K馬日記
サリュウラヴケーマ号とバリトンサックスの『ウエエ、ウエエ』なわだち
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| 2008年03月07日(金) |
「信頼」というべく条件 |
夫れ「信頼」とは何ぞや。 ぼくの見解を書きます。 「信頼」とは即ち、「孤独を共有すること」に他ならないと思います。 一緒に話したり、遊ぶことではないのです。 それは、一般に「友情」と呼ばれるものなのです。 無論、「信頼」=「友情」ではありません。 では友情と信頼の相異はなんでしょう? それは思うに、無言で一緒の空間にいられるか否か。 これに尽きると思われます。 話さないことは即ち、自分の内面を外界かと完全に遮断すること。 つまり精神的孤独という状況であります。 同じ空間に2人だけで居る時に、雄弁に喋るものは相手を信頼をしていないのです。 それは勿論「友情」ではありましょう。 しかしその上に築かれる「信頼」までには至っていないのです。 ある空間内に放られた時、何もしていないで「居られる」ということこそ、2人の間の人間関係の極地とでも言えましょうか。 その状況下ではお互いに孤独なのです。 このパラドックスを理解できるでしょうか。 雨月物語の宮木の想いに似た心理が2人には働いているのです。 喋らないのは嫌いだからというわけではない。 喋らなくても相手は自分と同じ空間に居れることを楽しんでくれていると信じているのです。 つまり、お互いに自分という存在価値のありがたみを相手に押し付け合っているのが「信頼」の本当の姿なのです。 あなたは他人に自分の存在価値を押しうることはできますか? それに対する責任を持つことが出来ますか? 相手も自分に存在価値を売ってくるという自信がありますか? その価値を欲している人に気付いて居ますか? それこそが「信頼」の究極的な姿であると。 あなたには理解し得ますか?
たまには真面目なことも書く(笑)
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