トルコ石の日記

DIARY

2007年06月22日(金) 墓とかいらね

神も仏もいないと思っている。
よって死んだら終わり。

葬式や墓なんて坊主を儲けさすだけ。
なんで死んでまで金かけるんか納得できんし
そんな金ない。
そんな金あったら、生きてるうちに贅沢したい。
見ず知らずの坊主に一銭もやりたくない。

だから、葬式も墓も要らない。

そんな話をなんとなく夫にしたら
『えー、死んだら、一緒じゃないの?』
と悲しそうに言った。

夫と一緒の墓か・・・
悪くない、かもだけど・・・
誰が面倒見るねん?

それに、まさかウトメと同じ墓じゃないんだろうな?
(もれなくコウトもついてくる)

死んだら終わりだと思うけれど、
生きているうちにそれを思うと、気持ち悪い。吐き気がする。

ある意味「死」は自由になることだとも思っている。
終わりなんだから、生前のしがらみもそこで終わらせたい。

てか、順番で行くとトメが先に死ぬ

コウトを追い出す口実がやっとできる

やっと夫と2人だけで自由に生きれる

なのに、死んだらまた一緒なんて、有り得ん。

けど、生前のしがらみの中には夫のような関係の人もいるってことなんだよな。
それを全部終わらせるのが、私の「死」なんだ。

現実問題として、夫が先に死んだら夫は夫家の墓に入れるだろう。
大体、墓がなくて、家が借金して買ったんだよね、墓・・・
夫の親戚も入るんだろうけど、なんか損した気分。

私は、身寄りのない人の骨の扱いでいい。

けれど、そうなると見たこともない遠縁の人が骨を引き取ることになるのか?
気の毒だ。
どうすればいいんだろう?

それに、そうなったら今度は「虐待の家」の墓に入ることになる。
やっと絶縁できた母親とまた一緒か、ウンザリする・・・

駅の忘れ物の中にお骨があると聞いた。
そして、昔読んだ小説で電車の中にお骨を置いて帰るというのがあった。

そんな扱いの方がマシだと思う。
てか、ひどいことと思わない。

そういう扱いを受ける人は、人と(身内と)関わりたくない人なんだろうと思う。
人と(身内と)関わってこなかった結果なんだから。


過去   INDEX   未来



HOME