月に舞う桜

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2020年04月01日(水) 特例子会社という制度の構造上の問題

KDDIの特例子会社の記事。

スタッフが仕事に慣れてくると「外」に憧れて転職を考えてしまい、一般就労の難しさや、一般就労できても現状より収入が減ることを説明しても分かってもらえない……というのは、障害特性もあるかも知れないけど、特例子会社という制度や構造上の問題も無視できないと思う。
個々の特例子会社の問題だけではなくて、特例子会社というあり方の問題。

私自身も特例子会社で働いていたので、制度を全否定はしないけど、障害者を囲い込んでいるという側面は否定できないし、社会の中で特例子会社がどういう位置づけなのか、どう見られているのかは考えた方がいい。
記事の会社も、健常者との交流と言っても、あくまでカフェスタッフと客としての交流だよね。共に働く仲間として健常者と障害者がごちゃ混ぜになっているわけではない。

この会社がダメと言っているのではない。
特例子会社という制度・特質そのものに、知らず知らずのうちに自尊心を傷つけられることは、ある。
働く上で収入を考慮するのはとても大事だけど、お金の問題じゃなく、囲い込まれない環境に行きたいと思うのは、ある意味当然なんじゃないか。
インタビューの部長さんも「外」という言葉を使っているとおり、特例子会社は「外」と「内」を作り出して、障害者を内に閉じ込める作用もある。
閉じ込められることへの反発って、誰にでもあるじゃない?
一般就労の難しさ、厳しさを理解してもらう、という方向ばかりでは解決しない気がするな。

とは言え、障害者が働くには特例子会社はまだまだ必要なんだよね……。

あと、個人的には、部長さんの「障がい者は特別な人ではなく、凸凹の幅が大きいだけの普通の人たちです」という言葉が気になる。

「○○は特別な人ではなく、××なだけの普通の人たちです」

○○にマジョリティ属性を入れて言われるケースって想定できる?
この言葉自体、マジョリティ仕草だな、と思う。
つまり、障害のない自分たちは常に「普通の人」側にいると思い込んでいて、「障害者だって〜なだけで、普通の人だよね♪」とジャッジしている。自分らはジャッジしていい立場だと思ってるわけですよ。たぶん無自覚だけど。


◆「コーヒーおいしかったよ」障がいのある社員と交流が生まれるカフェがあった。(2020.03.13 HUFFPOST)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/kddi-2_jp_5e69a835c5b6747ef116fc39?ncid=tweetlnkjphpmg00000001&fbclid=IwAR0OGRZkjkfz8Q2uU88Re-fljeWeKsuILPKZm-JtPDD3PBy391sqEZYcMTU


桜井弓月 |TwitterFacebook


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