月に舞う桜
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※実際にこれを書いているのは29日(日)です。今更書くのもどうなのかと思いますが、どうしても残しておきたいことなので1週間遅れで書いてみます。
恐れ多くも「物書き仲間」と呼ばせて頂いている衛澤蒼さんが海上自衛隊観艦式の予行演習に乗艦するため横浜にいらっしゃったので、お会いして晩御飯をご一緒した。 衛澤さんとは3年ほど前からネット上での親交があったものの、実際にお会いするのは初めて。以前からずっと、直接会ってお話してみたかったので、衛澤さんが横浜にいらっしゃると知ったとき、これはもう、ぜひお会いせねば! と思ったのだった。 待ち合わせの横浜駅に向かう電車の中では少なからず緊張していたのだけれど、すでに待ち合わせ場所に着いていた衛澤さんが私を見つけて手を振って下さっているのを見たとき、私の緊張はすーっと消えていった。衛澤さんのにこやかな笑顔のおかげだと思う。
高島屋にある横浜グッズのお店に行きたいとのことだったので、まずはそこへ向かう。 恥ずかしながら、ネットで下調べしていた衛澤さんに教えてもらうまで、高島屋にそんなお店があるとは知らなかった。ちなみに、観艦式で艦が出入港する瑞穂埠頭の場所も知らなかった。何たる不覚! 横浜駅構内から高島屋まで歩いている途中、横浜がいつもと違う顔を見せているような気がした。工事中の通路とか行き交う人たちの足並みとか外の空気とか高島屋の建物とか、私たちを取り巻くもの全体が余所行きの雰囲気を醸し出しているような。あぁ、きっとこれは私の気持ちの表れなんだ、と思った。遠くから初めて横浜に来た衛澤さんに横浜という街を少しでも良く見せたい、気に入ってもらいたい。そう思って案内している私自身が余所行きの気持ちでいるから、目に映るものもそんなふうに見えるのだろう。慣れ親しんだ横浜の言わばなぁなぁの感じじゃなくて、ちょっと襟を正したすまし顔に。 高島屋の入り口からエレベーターに行く途中に4℃がある。前を通るとき、すかさず「ここが私の好きな4℃です」と紹介しておいた。別にねだってるわけじゃあないんです、ねだってるわけじゃ。
お店には、お菓子やハンカチやキーホルダーやプラスチックの小さな船なんかが売られていた。 横浜名物(?)のシュウマイとギョーザをキャラクターにしたキーホルダーを衛澤さんがお土産に選んでいる間、私はおいしそうなスイートポテト「雅芋」を見つけて、「さつま芋のどこが横浜名物なんだ! 何でスイートポテトが横浜銘菓なんだ!」と思いながらも我が家へのお土産に買って帰ることにした。翌日食べたら、甘さ控えめでとってもおいしかった。
ところで、私はひどい方向音痴である。 晩ご飯の希望を訊くと衛澤さんは中華が食べたいとのことだった。ジョイナスの地図付きレストランガイドを見てお店を決め、ガイド片手にそのお店を目指して歩いた。で、案の定と言うべきか、地図を見ているのに迷いに迷った。ジョイナスって複雑な作りじゃないのに。 衛澤さんも方向音痴だと以前に聞いていたし、実際一緒に歩いてみると確かにその通りのようだったけれど、それでも最終的には衛澤さんが地図を見てくれて目的のお店を見つけてくれた。 本当なら私がスムーズに案内しなきゃいけないのに、何やってんだか、私!
そんなこんなで、衛澤さんのおかげで何とかお店に入ることができた。入ったそこは、ラーメンと餃子が売りらしい中華食堂。私が頼んだのは、石焼ビビンバ風のチャーハン(器がジュージュー言って、お焦げができてる)と餃子のセット。衛澤さんの食べていたラーメンがおいしそうだった。人が食べているものほどおいしそうに見える。 私たちはまず、名刺交換をした。衛澤さんの名刺に書かれた肩書きは「文筆業」。すごい。私の肩書きは「作家」なんだけど、「文筆業」のほうが「何でも書けます、書きます」という心意気が伝わってくるし、重厚な感じがする。だいたい、私の肩書きは「言ったもん勝ちだろ」という勢いでつけてしまっただけで、実際は作家でもなんでもない。でも、衛澤さんはれっきとしたプロの文筆業なのだ。名刺の大きさは同じでも、重みが違う。私は、渡した名刺の「作家」という文字をペンで塗りつぶしたくなった。実体を伴わないのに「作家」と書いた名刺をプロに向かって堂々と差し出しているのだ。お恥ずかしい限りですじゃ。 救いだったのは、衛澤さんが私の名詞を褒めて下さったことだ。私自身とても気に入っているデザインなので、非常に嬉しかった。桜が斜めに散りばめられた、自慢の名刺。私がデザインしたわけじゃないけど。
私たちはそのお店でいろいろな話をした。2時間くらいは居座っていたと思う。私は普段、人から本名で呼ばれるので、肉声で「桜井さん」と呼ばれるのは神戸新聞社さんの電話取材を受けたとき以来だった。衛澤さんと話していて、何度か「あ、桜井って私のことなんだ」と思ってしまった。未だに自分のペンネームに慣れていない私。 衛澤さんは、想像していた以上に(失礼な!)穏やかで落ち着いていて、紳士でジェントルな方だった(あ、紳士とジェントルは同じか)。 そして、「気遣いの人」だった。ご自分のこともいろいろとお話して下さったのだけれど、途中何度か「こんな話、してもいいですか」と確認する遠慮がちな表情が印象的だった。してもいいも何も、私は初対面の人に自分のことをあれこれ話すのが苦手なタチなので、衛澤さんが話題を広げてくれるのは大変有難いことだった。それに、初対面の私に向かって自分を開いて下さったのは本当に嬉しいことだ。 他人に対してどんなふうに気遣いをするかで、その人の歴史が垣間見れる気がする。衛澤さんの配慮は元々の性格もあるのだろうけれど、これまで生きてきた中での積み重ねが大きいのだろうなと思った。年上の方とお会いすると、人は何年生きているかじゃなくて、どんなふうに年を重ねてきたかが大事なんだといつも実感する。
が、そんなことよりも(……って、これまた失礼な!)、一番印象的だったのは衛澤さんがやはり関西人気質だったことだ。どんなときでも笑いと突っ込みの心意気を忘れない。個人的には、ときどき混じる関西弁に、萌え。
そんな感じで私がこっそり萌えている間に時間はどんどん過ぎ、帰らなければいけない時刻になってしまった。誰がって、私が。本来なら、夜行バスで帰る衛澤さんをお見送りして然るべきなのに、逆に衛澤さんに改札まで見送ってもらってしまった。またまた何をやってるんだか、私。 お店を出る前、衛澤さんはお土産を下さった。それも二つも。以前タイに行かれたときに買って来たと言うかわいいマスコット人形と、「ほぼ日刊イトイ新聞」でおなじみのTARO MONEYだ。嬉しい。マスコットは強運のお守りだと言うので、タイでそういう言い伝えがあるのかと思いきや、衛澤さんが勝手に決めたらしい。色違いをいくつか買って帰って、あげる相手に最後まで選ばれずに残ったから運が強いのだ、とのこと。さすが関西人。話術が巧みなんである。こっちの友人にそんな理由で「これは強運のお守り」と言われたら、即座に「って言うか、ただの残り物じゃん」と突っ込むところだ。でも、衛澤さんの言い方には妙な説得力があって、私は「これを持っていればきっと運に恵まれるんだろう」と思ってしまった。恐るべし、関西人。この商売上手!(お土産をもらっておいて、なんちゅう言い草だ)
駅まで歩いているとき、なんと衛澤さんは「ご婦人をあまり遅くまで連れ回してもいけないので」と仰った。これには心底びっくりして、恐縮してしまった。わたくし、殿方に「ご婦人」と呼んでもらえるほど大層なものじゃありませんことよ。
本当はもっと街を見て回りたかっただろうに、私と食事することを快く受けてくださった衛澤さん。せっかくの初めての横浜だったのに、時間を奪ってしまって申し訳ない。でも、別れ際まで何度も「(横浜に来て)良かったぁ」と、社交辞令ではないと思われる口調で仰っていたので、私はその言葉のおかげで心苦しさから解放された。と同時に、横浜に住んでいて良かったなぁと心底思えたのだった。 衛澤さんとお会いしていた時間は本当にあっと言う間で、私は帰りの電車の中で「あれも話したかった、これも話したかった」とちょっと悔やんでいた。機会があれば、またいつでも横浜にいらして欲しい。 それにしても、衛澤さんと出会うきっかけを作ってくれたネットという文明の利器と、出会いというものの不思議さと、この絶妙のタイミングと、それからついでに自衛隊にも感謝感謝。
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