月に舞う桜

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2006年07月01日(土) 左手が空いています。

新宿で乗り換えて、目的地へ。
日本で一番利用者の多い駅だけあって、新宿は凄まじい数の人で溢れかえっている。ただでさえ蒸し暑くて疲れるのに、人酔いまでしそうだった。
でも、日常的に混雑している駅というのが私はそんなに嫌いではない(何かイベントや非常事態があったせいで、いつもと違う様子で無秩序に混んでいる駅は本当に辟易するけれど)。行きたい方へ歩くだけでもかなり気力を消耗すると言うのに、それでもだ。それでも結構気に入っているのだ。
広い広い駅構内を、いろいろな人たちがいろいろな方向へ歩いていく。それぞれに、手を繋いだり早足だったり迷ってキョロキョロしたり外国語を話したり家族で笑い合ったり暑さにうんざりした顔をしながら。その大勢の人の中にいると、「あぁ、私もここでこうしてちゃんと生きているんだわ!」という感じがする。勝ってるわけじゃない。でも、負けてるわけでもない。私は私で、自分の道を自分で選んで歩いているのだ。

本当は一人で行けるところなんて限られているのに、新宿の人波をかき分けて歩いていると、一人でどこへだって行ける気がしてくる。誰もいなくても、一人でずんずん進んで行けそうな気が。
その反面、誰かがいればいいのにとも思うのだ。できるかできないかじゃなくて、何を願うか願わないか。
一人でも行ける。でも、誰かがいてくれればいいのにと感じる瞬間がある。
手を繋いだカップルを追い越す。手を取り合わないと歩けないわけじゃない。彼らは、手を繋ぎたいから繋ぐのだ。
私の左手は空いているよ、と思う。寂しいだけでもなくて、楽しいだけでもない。左手を埋めるためにも、私は一人で、どこへだってずんずん歩いていく。

帰りの電車では、私より年下の男女4,5人が楽しくてたまらなそうに喋っていた。
女の子が、「やばいよー、ハタチになっちゃうよー」と嘆いた。私はそれを聞いて、心の中で苦笑する。
うん、でもね、その気持ちは分かるよ。私もきっとそうだったから。
同じように嘆いたはずなのに「きっと」としか言えないのは、私にとってハタチが大した転機ではなかったからだろう。19歳でも20歳でも、私は相変わらず大学生で、生活に何か変化があるわけではなかった。だから、あまり覚えていない。
でも、「ハタチになっちゃうよー」と嘆いた頃、その瞬間はたぶんキラキラしていたと思う。今日の電車の彼女みたいに。
年を重ねなければならないことを、嘆く。楽しげな嘆きなら、それは年を重ねる上で必要な儀式なのだろう。最近、そんなふうに感じるようになった。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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