月に舞う桜
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| 2006年06月03日(土) |
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前置き。 今さら改めて言う必要もないことだけれど、私は車椅子ユーザーだ。自力での起立や歩行はまったくできない。私の体を司る脳は私がこの世に生まれるときに何らかの不具合を起こしたらしく、そんなわけで私は生まれてからずっとこの体と付き合っている。 車椅子との付き合いが始まったのはそれから遅れること6,7年後だから、もう20年近くお世話になっていることになる(この20年の間、何台も乗り換えたなぁ)。 哲学者メルロ=ポンティは、盲人にとっての杖やピアニストにとってのピアノを「身体の延長」と表現したけれど、私にとっての車椅子もまさにそれだ。車椅子のタイヤの、地面と接している部分までが、私の身体。 (だからだろうか、操作を誤って壁などにぶつかってしまったとき、私は思わず「痛っ」と発してしまう。自分自身はどこも痛くないのに) 私にとって、車椅子で移動することは概念的には歩くことと同じことだ(もちろん、本質的に同じ意味になることは、これからもないのだろうけれど)。だから、私は平気で「駅まで歩いて行く」などという言い方をする。中には私が「歩く」という言葉を使うことに戸惑う人もいるようなので、無用な混乱を引き起こさないために「歩いて、って言うか、この車椅子で」のように言うときもあるけれど、とにかく、私にとっては「歩く」なのだ(ちなみに、電動車椅子の最高時速で行くのは「走る」になる)。 長い前置き終わり。
この日記でも何度も書いているけれど、私は4月から徒歩通勤になった。今の職場までは、歩いて20分弱、往復40分だ。 前の職場は電車通勤だった。電車に揺られている時間は、片道18分。往復で36分。私は、この時間の多くを本を読んで過ごしていた。36分まるまるというわけにはいかないけれど、毎日30分くらいは読書時間として確保できていた。 しかし、今は徒歩通勤。当然、通勤中に本を読むことはできない。 職場まで歩いて行ける距離だなんて、こんなに助かることはない。徒歩通勤のおかげで、負担がずいぶん軽減されている。けれども、電車に揺られながらの読書時間がなくなってしまった点だけは、ちょっぴり惜しい。 小説の世界にどっぷり浸かるのは、程よい現実逃避になる。仕事という現実と、家でのプライベートな生活という現実。読書は、二つの現実の間でうまく切り替えをするためのワンクッションだった。仕事とプライベート、互いに悪影響を及ぼさないようにするため、現実を一度リセットする時間だったのだ(とは言え、過去は美化されるので今はこんなふうに書いていられるのだろう。本当は、リセットしきれないことが多かったはずだ)。 今は、読書の代わりに時速6キロで疾走したり空を見上げたり買い物したり頭の中で歌ったりして、リセットし(ようとし)ている。これはこれで結構気持ちが良いのだけれど、電車内での読書には、やはり特別の心地良さがある。周囲に大勢の人がいることで、かえって自分一人の世界に集中して閉じこもれるという感じ。
今日は、久しぶりに電車内での読書を楽しんだ。電車に乗るのは、またもや一ヶ月ぶりだ。休みは毎週のように引きこもっていたけれど、週の初めから「今週末は買い物に行くぞ」という気分だった。 読んでいたのは、女性作家を集めた短編集。一行読むごとに、頭の中は現実世界からフィクションへと移行していく。床にべったり座ったカップルも、子供のはしゃぐ声も、何も気にならなくなる。 もしかすると、買い物だけでなく電車に揺られながら本を読むことも、今日の目的の一つだったのかもしれない。 出掛けた先で思いのほか安いお店を見つけ、ずいぶん悩んだ末に洋服を大量に買ってしまった。いくら安くても、たくさん買えば出費はかさむわけで、月初だというのに財布がすっからかん……。本当はスカートがほしかったのだけど、「これだ!」と思うものを見つけられずに今日は断念。 でも、気に入ったものをそれなりに思う存分買ったから、大満足だ。 そして、帰りの電車ではまた読書。 贅沢な休日だった。 しかし、しばらくは緊縮財政……。しかも、このままでは洋服を仕舞いきれないので、古くてあまり着ないものはどんどん処分しなくては!
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