A Dream Is a Wish Your Heart Makes
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2006年04月10日(月) 後3日

荷造りも大詰め。
子供たちの相手をしながらの荷造りは惰性に近くなってる…

なるべくコンパクトにって旦那は言うけど無理やっちゅうねん。

帰れるのはうれしいけど…
さっそく日曜日にお姑さんに会いに行かないといけないらしい。

お姑さんがいないと旦那はいない。旦那がいないとマメたちはいない…それを考えたら…

でもな〜どんな顔して会いに行けって言うんやろう?

『親の悪口は言うたらいかんやろ』って旦那はお姑さんに言ってくれたらしいけど、あの言葉はうちの親をバカにしただけじゃない。私自身を否定した言葉。
『親父が死んで間なしでおかんもおかしくなってたんや。許したってくれ』って言われたけどね…
いくらお義父さんが亡くなって息子も少し遠くに行くから心細くてって言っても簡単に許せることじゃないで。

ちょっと前に旦那がお父さんがいない姪っ子に障害があるって言うから障害って何?って聞いたら学校とかでイジメられるって言った。
思わず腹が立って『私はお父さんがおらんからってイジメられたことはない』って怒ってしまった。父親がおらんってそんなに恥ずかしいことなんやろうか?父親がおらんってそんなに卑屈にならないかんことなんやろうか?

姪っ子に障害になるんやとしたらお父さんがおらんでかわいそう。いじめられるんやないか?なんて考えてる身内がおる方が障害や。

私は父親がおらんことの不便さを感じたことなんかなかった。
しつけだってきちんとしてくれた。箸の上げ下ろしはもちろんナイフとフォークの使い方、畳の縁や敷居を踏むなとかそんな小さいことも教え込まれた。お金でだって苦労したことはなかった。音大に行きたいなんて言って月に10万以上のレッスン代がかかってたけど母は何とかしてくれた。当時の母の月収は13万円やった。それでもきちんとレッスン代を払ってくれたし、高い楽器もピアノも買ってくれた。父親がいる子との差なんて感じたことがなかった。

母は1人で辛かったかもしれない。でも私は父親がいたら…なんて1度も思ったことがなかった。

それやのに…『血筋が血筋やな』…そんな1言で母と私は全否定された。
その時だけ父親がおったらこんな言い方さえれずにすんだんかなって思った。

あれから1年半経った…
この思いを胸の中に押し込んで何もなかったふりして会いに行ったんでいいんやろうか…

それしかないんやろうな…

ここにおった1年半で私たち家族の絆は深まった…気がする。

でもまた同じことがあったら…
その時旦那が前と同じように何も言ってくれなかったら、私を助けてくれなかったら…

その時はもう捨ててしまおう。


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