だきあえばすべてわかるきがした

2011年07月21日(木)

思わせぶりに書いたところで、別になんの他意もなく、まあ有り体にいえば酔っ払いの戯れ言程度のアレです。

みんな色んな生活を送っているようで、さりとてしかるにこちらはといえば、携帯の充電コネクタカバーが壊れたし、そろそろ機種変の頃合いかなあとか。
ぬるい。
今の携帯にしたのは去年の1月だか2月。古いけど人気機種で、結構探し回った記憶がある。
あの頃は、そーだね、まだ一人暮らしで、6畳の1Kに暮らして、話によると歯ぎしりばっかしてたらしい。知らんかった。

その昔の話、ロクに連絡とらない友人がいた。お互い筆不精だったし、まわりの環境なんかが、なんとなくそのほうがいいと言ってた。実際そう思った。
それでもその友人と、その友人を語るに避けては通れないもう一人の友人
とは、何の連絡もなくても、思っていることは通じ合うような気がしていた。実際にそんなフシもあった。
3人の人間が全開でポジティブに物事を考えられた時代。

そしてそのまま不思議なことに3人は歳をとって、当たり前をほんの少しだけ小出しにするようになった。
通じ合わない不安ではない。たぶん、このまま続くと関係が切れるんじゃない?
という経験則と一般常識に基づく判断。
つまり、ぼくらだけは特別だという認識をやめた証明。
なのかなあ。

ぼくもきみも、結局のところ特別じゃない。一人にとってではなく、もっと広い意味でだけど。
言わなきゃわからないことは言わないと伝わらない。「抱き合えば全てわかる気がした」と思春期の彼は言うけど、それはどこまでも透き通った無い物ねだりだ。
どこかの海にメッセージボトルを流すような叫びを。
叫びなんてもんじゃない、電話越しの息遣い程度の沈黙を。
その中に少しでも、意味のある言葉を。


ハロー。こちらはなんとか相変わらずです。
日常ってたいせつですね。
そちらはどんな相変わらずでしょうか。

いつかはそう、そんな日も来るじゃないかと思っています。


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