【保存版】光玉の勲章はインチキ勲章
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2001年11月30日(金) (fake 027 真光隊/青年部)

光隊/青年部



「恋愛魔性」とは?<1> No: 5336 [返信][削除]

投稿者: 03/03/09 Sun 21:59:19
「真光青年への御教示 光の若人へII」 平成2年11月初版
岡田光玉師み教え
<恋愛魔性>
20-22頁
 (七)恋愛の本質は先に述べたとおりだといえるけれども、明治、大正時代をずっと支配していた、いわゆる「英雄豪傑色を好む」式の恋愛、これは結局一種の征服思想であって、ほとんど一方的に権力ある男性(といっても、権力のない者はこんなことはできなかった)が、自分の好む女性の意志を無視して、その女性を自由にしたものだが、近代になってからは新モラルと称えて、「恋愛至上主義」思想がだんだん拡がってきて、この征服思想にとって代わるようになった。
 その点だけからいえば、女性の位置が大分人間的に上がってきたというか、幾分進歩的になったといえるだろう。けれども思想的に自由が拡がっていくにつれて、男女間の性交観、つまり性交のありかたについての考えがだらしなくなり、実際には恋愛至上主義は享楽至上の無責任手技を、ていさいよく言い代えたに過ぎないことになったといってもいいと思う。
 この頃から、新聞、雑誌で取り上げられる社会記事には、いわゆる四足獣人的な乱交、昔は不義法度としてきびしく罰せられた姦通さえ、むしろ恋愛に生きる近代的な男女の、真実な生き方で自由だとさえいう風な表現がみられるようになったことを、反省しないではいられない。特に私は、
?産児制限法の公然実施と(日本は堕胎天国と世界中の評でいわれている)
?米軍進駐以来急激に大っぴらになった女性解放の二つが、この自由(実は非自由で放縦な)恋愛時代の風潮に、果てしない堕落の拍車をかけたのではないだろうかと思っている。
 こうなってしまうまでには、いろいろな原因があるだろうが、なによりもその根本に、わたしたちがハッキリした正しい恋愛観の定義を持っていなかった、つまり、あいまいな「乱考」でお茶を濁していたことにあったのだと、深く反省しないではいられない。

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「恋愛魔性」とは?<2> No: 5337 [返信][削除]

投稿者: 03/03/09 Sun 22:00:22
(続き)
34-38頁
 ただここに一つ、たいへん重大な問題がある。それは今まで全然考えてもみなかった霊の実在という大問題である。もう皆さんは霊の実在を知っているからわかるはずだが、人間が一度性交すれば、その時、同時に霊の交流が行われるということである。
 だからその性交が、善想念、正しい想念で行われるのなら文句はないのだが、もしもこれが姦淫であったり、浮気であったりした場合は、いうまでもなくそこには正しい、美しい想念など起こるはずがない。
 そういう行為の主体になるのは肉欲だけだといってもいい過ぎではないだろう。当然ダマシと無責任がその行為にからんでくるが、その結果はおそかれ早かれ、必ず「快楽をむさぼったための曇り」の総決算が形になって現れてくるだろう。
 当人同士はいろいろに工作をして、妻なり、夫なりにわからないようにするのだろうが、「天網(てんもう)かいかい疎にしてもらさず」の諺どおり、天道は厳正で悪事にはかならず悪い報いがあって、いつかバレて、夫がやれば妻が苦しむし、妻がやれば夫は怒って、その家庭はメチャメチャにこわれてしまう。
 「あんなに綿密に、極秘でやったのに……」と、当人は思うだろうが、それは当人どうしにはそれぞれに祖霊の代表がついていて、一切の成り行きをジッと見守っている上に、いろいろな恨みの霊もついていて、それらの霊も知っているばかりでなく、むしろこれらの恨みの霊にあやつられて、”ミチならぬ邪恋”に落ちこんでしまったともいえるのである。
 だから、とんでもないところでバラされたり、二進(にっち)も三進(さっち)もならない苦しい立場に立たされたり、清浄化を受けなければならなくなってしまう。
 こういう弱点を恨みの霊があやつるだけでなく、祖霊が非常にいやがって戒告の仕組みをしてくる。たとえ自分の方の祖霊は味方してくれても、相手方の祖霊が怒って絶対承知しない。またその反対の場合も起こり、とにかく霊的な障りの現象がおきてくる。
 しかもこの場合、肉体的にも女性は精液を膣から吸収し、同時に悪い体質、汚れた霊質をも吸収するのである。ということは、霊、肉ともに相手に同化する作用がおこり、そこに今までとちがった異質なものがはいるから、女性のほうは unpure つまり不純になってしまうばかりでなく、男から男へと移り気な女ほど、その肌が荒れて、醜い女になり、アガナヒの運命が追いかけていく。
 じゃア、男はやはり得かというと、とんでもないことで、男のほうには女よりも強い戒告がくるから、差引勘定してみればあいこで、神様は実に公平な処置をなさるのである。
 だからどんな理由をつけて離婚しても、次の生活がうまくいくかというと、そうは問屋がおろしてくれないのも、ここに原因があるからである。
 神にはオキテのほかに、神のご経綸があって、人類発生以来当分の間は、人類の数が少なかったために、大いに”生めよ殖やせよ”のご経綸にそって一夫多妻制も大目にみられたが、大体男女のバランスがとれてきた上、古代にくらべたら、人類は非常に進歩している今日では、もう神のお考えがちがってきて、しだいに人間から獣性を取り除いて、神性化させ、善想念のヒト時代へ昇華させていこうとのお意(こころ)がある。
 その意味からいっても、これからは神のご想念に一体化していかないと、必ず強い清浄化が起こって、苦しまなければならないだろう。姦淫や乱交は動物だけにまかせておけばよい。
 これからは人間に許されない度合が次第にキツクなってくるだろう。こうした行為が平然と行われれば、世の中が乱れるのは当然であり、神のご経綸に逆行することになる。
 特に日本人は陽(ひ)の霊統で、陽の働きが非常に活発である。だから世界人類に率先して、秩序正しい想念の元に行動しなければならない霊質と霊的役割を持っているわけで、それだけに正しい秩序を乱した時には、一段ときびしいミソギが起こってくるのである。
 アダムとイヴがエデンの園を追われて、人類が今日まで苦しみさまよったのも、この間の事情を物語っている。
 モーゼの十戒の中にも、また神道の祝詞の中にも姦淫、乱交はきびしくいましめられているし、仏教の戒律がきびしいのも、イエス・キリストが「色情をもって女を見た場合、汝は姦淫を犯したるものなり」とさえ言っているのも、みんな神のご意図をサトッているからで、もうこの時から神意の転換期を予告していたとさえいえる。
 しかし、もうやってしまったものは仕方がない。いざぎよく自分の犯した罪穢はお詫びし、人救い世直しで消していかなければならない。改心して、神の真の光を受けて、タマヒを浄めていくことだ。出来る限りの努力をして、神のお役に立つ大乗の行をすることである。

(解説) 「もうやってしまったものは仕方がない」というのは、結局は光玉師自身の体験のようだ。この俺だって、「やってしまった」ことはあるから、光玉ジジイのお説教はありがたく聞いておくことにする。


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