* たいよう暦*
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たとえば、セーター。 毛玉がたくさん出来たり、のびてしまったり。 たとえば、洋服。 穴があいたり、ほつれてきたり。 たとえば、かばん。 汚れきってしまったり、布がすりきれたり。 たとえば、携帯。 充電がもたなくなったり、表面の傷が見苦しくなったり。
それって、わかりやすい「寿命」ってものだと思う。 じゃあ、「車」の寿命ってどこで見たらいいのかな。
私の中古の軽自動車は、平成7年式。 MOVEやワゴンRが爆発的に売れた、居住性を伴う軽自動車ブームの前の、ほんっとに昔の「軽」。
それでも、整備士さんの腕がいいせいで、快適に走るし、 (バッテリーをあげたこともあるけれど)、 クーラーだってきくし、 (ききはそんなにはよくないけれど) 遠くの友人宅までいけるし、 (西は岡山、北は滋賀、南は和歌山の先端、東は愛知県豊橋までだけど) 犬猫の病気の時には、動物病院まで連れていけるし、 (車庫から出すのに時間はかかるけど) 今まで大きな修理もしたことのない健康体だし・・・。 (後ろにスピーカーもつけてもらったし、オーディオもかえてもらってるし・・・!)
それでも、今日、 「買い換えたら。寿命を考えて」 と言われた。 動かなくなったら、考える。それが寿命だと思うから・・というと、 車はそういうもんじゃない。途中で止まったりしたら危ないだろう。もうそろそろ寿命だろう、居住性もないし。 なあんて、言われてしまった。
でも、「止まるかも」「寿命かも」と思って、今快適に動いているものを捨てるというのは、なんだか違うような気がする。 でも、相手の言うこともわかる。 ある日突然故障はやってくる。その「突然」が、「どこで」だかわからないし、 その「突然」が命に直結する場合もあるから、リスクも危険もあると言いたいのだろう。
でもやっぱり、動いている限りは「寿命」がまだ来ていないと思うんだ。 「寿命」のきていない、そして気に入っているものを、捨てるなんてできない。 「買い換える」 これも、ひとつの手だ。 私だって、新しい機能のついたカメラなんかを欲しくなった時は、買い換える。 でも、それはあくまで「新しいこういう機能がほしい」からであって、昔のものも一応おいた上で、新しいものを買っている。 私が車に望むことは、唯一「動いてくれる」ことであって、その機能は今のものでも十分果たしている。そして、車は、新しいものを買ったらといって、古いものまで置いておけない!じゃあ、古いのは捨てる?いやいや、最初の欲求「動いてくれる」を満たしているのに、捨てるなんてとんでもない・・・!
これは、私が初めて買った自動車だから、こうやって固執してしまうのかなあ。 でも、前から思っているんだけれど、運転もそんなに好きではなくて、遠くにいけなくても便利に使えたらいいや・・・っていう私にとっては、「すみれちゃん」がちょうどいいのだ。
かといって、いつまでも乗っていられないことも、わかっている。 かといって、快適に動いている、寿命のきていないものを、切り捨てることもできない。
うーん、動かなくなってから、寿命が来てから考えるってのじゃあ・・・だめなのかなあ・・・。
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