* たいよう暦*
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2004年05月30日(日) 寿命

たとえば、セーター。
毛玉がたくさん出来たり、のびてしまったり。
たとえば、洋服。
穴があいたり、ほつれてきたり。
たとえば、かばん。
汚れきってしまったり、布がすりきれたり。
たとえば、携帯。
充電がもたなくなったり、表面の傷が見苦しくなったり。

それって、わかりやすい「寿命」ってものだと思う。
じゃあ、「車」の寿命ってどこで見たらいいのかな。

私の中古の軽自動車は、平成7年式。
MOVEやワゴンRが爆発的に売れた、居住性を伴う軽自動車ブームの前の、ほんっとに昔の「軽」。

それでも、整備士さんの腕がいいせいで、快適に走るし、
(バッテリーをあげたこともあるけれど)、
クーラーだってきくし、
(ききはそんなにはよくないけれど)
遠くの友人宅までいけるし、
(西は岡山、北は滋賀、南は和歌山の先端、東は愛知県豊橋までだけど)
犬猫の病気の時には、動物病院まで連れていけるし、
(車庫から出すのに時間はかかるけど)
今まで大きな修理もしたことのない健康体だし・・・。
(後ろにスピーカーもつけてもらったし、オーディオもかえてもらってるし・・・!)

それでも、今日、
「買い換えたら。寿命を考えて」
と言われた。
動かなくなったら、考える。それが寿命だと思うから・・というと、
車はそういうもんじゃない。途中で止まったりしたら危ないだろう。もうそろそろ寿命だろう、居住性もないし。
なあんて、言われてしまった。

でも、「止まるかも」「寿命かも」と思って、今快適に動いているものを捨てるというのは、なんだか違うような気がする。
でも、相手の言うこともわかる。
ある日突然故障はやってくる。その「突然」が、「どこで」だかわからないし、
その「突然」が命に直結する場合もあるから、リスクも危険もあると言いたいのだろう。

でもやっぱり、動いている限りは「寿命」がまだ来ていないと思うんだ。
「寿命」のきていない、そして気に入っているものを、捨てるなんてできない。
「買い換える」
これも、ひとつの手だ。
私だって、新しい機能のついたカメラなんかを欲しくなった時は、買い換える。
でも、それはあくまで「新しいこういう機能がほしい」からであって、昔のものも一応おいた上で、新しいものを買っている。
私が車に望むことは、唯一「動いてくれる」ことであって、その機能は今のものでも十分果たしている。そして、車は、新しいものを買ったらといって、古いものまで置いておけない!じゃあ、古いのは捨てる?いやいや、最初の欲求「動いてくれる」を満たしているのに、捨てるなんてとんでもない・・・!

これは、私が初めて買った自動車だから、こうやって固執してしまうのかなあ。
でも、前から思っているんだけれど、運転もそんなに好きではなくて、遠くにいけなくても便利に使えたらいいや・・・っていう私にとっては、「すみれちゃん」がちょうどいいのだ。

かといって、いつまでも乗っていられないことも、わかっている。
かといって、快適に動いている、寿命のきていないものを、切り捨てることもできない。

うーん、動かなくなってから、寿命が来てから考えるってのじゃあ・・・だめなのかなあ・・・。


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