竜也語り

2005年05月08日(日) 組織という魔物

兵庫県で起きたJRの事故で企業側の失態が次々と露になった。マスコミによって暴露されるその事実に当初は人並みに憤りを感じていたが、その内に少しずつ私の中で変化が生じてきた。“人ごとではない…”と痛切に感じ始めたからだ。このような大惨事が起きるととかく私達はまず被害者と自分を重ねる。いつかこんな事故に巻き込まれるかも知れない…と。前述の“人ごとではない…”、JRとマスコミの一連のやり取りを見ているうちに、いつしか私は加害者の立場に自分を置くようになっていた。
いみじくも私も組織に属する人間だ。もし大事故が起こり、そして更にその事故原因に自分の勤務する会社が大きく関わっていたら…、果たして自分は組織の一員として、被害者や遺族達に十分納得してもらえるような対応が出来るのだろうか…?彼等に申し訳ないと思い、どうか不具合のないようにと心を配っていても、その不具合とは何に対するものなのか。被害者や遺族に対するものなのか、それとも自分の会社に対するものなのか…。
私は…この対処の仕方で上司に叱られないだろうか、会社側から何かしらの処分を受けることはないだろうか…。遺族に頭を下げ詫びながら、少なからずもそんなことを心配している自分の姿が浮かんでくる。

組織とは不思議なもので、世間一般とは少しかけ離れた常識とかルールを独自に持っているものだ。個人ではそんな不道徳なことは絶対にやらないと断言出来るようなことも、組織の一部という立場になると多少の後ろめたさを感じても行動に出してしまう時がある。正確に言えば、やらざるおえなくなるのだ。「正義」とか「人のみち」とか…そこら変の感覚が非常に鈍くなってしまうのだ。もちろんそれがいいとは誰も思っていない。中には正義を貫き孤軍奮闘する人もいるだろうが、やはり長いものに巻かれてしまう人間の方が圧倒的に多い…これが現実だと思う。

JRの役員達に居丈高に記者が詰め寄っていた。記者達の言っていることはもっともなことで筋が通っている。立派だ。人間として本当に立派なことを説いている。しかしこの光景を見てふとよぎったのだ。記者達も恐らく組織に属している人間が多いと思う。ならば彼等はいかなる時も権力という圧力に屈することなく真実を最後まで書き通すことが出来るのか。売上部数や視聴率を優先することなく冷静に事実を伝える報道をこれまでにちゃんとやってきたのか。まぁ彼等も上からの指示であのような態度に出ているのかも知れないが。
2次会だとか3次会だとか、そんな話はもううんざりなのだ。それは「あなたの彼氏が女の人と○○で歩いているのを見たわよ」とわざわざ話す女の姿を彷彿させる。そしてそれは遺族や被害者の気持ちをいたずらに逆撫でするだけで、問題解決のいい方向へ向かわせているとは思えない。もうそろそろ視聴率狙いの報道は終わりにして、原因究明と再発防止に重きを置く報道をしてもらいたい。


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