優雅だった外国銀行

tonton

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47 都落ち
2005年08月13日(土)

 1993年になると、東京支店の移転話しが持ち上がった。 俗に言うバブルの崩壊後、ビルの空室があちこちで目立ち始め、丸の内であっても例外では無くなっていた。 当然のこととして賃料も新規契約分は下がり始めていた。

 「急ぐ事ではないが、良い物件が有ったら知らせてくれ」と支店長に言われた。 謙治は現在の場所が、如何に得難く、手放したら決して手に入らない場所である事を説明したが、単純に平米いくらしか計算出来ない首脳陣の前では、煩がられるだけであった。

「一流銀行は、例えそれが高くついても、一等地に無くてはならない」15年前に、シャピュー氏は根強い交渉の末、この場所を手に入れたのでは無かったか。 東京駅から皇居に向かって行幸通りをまっすぐ、お濠に面した角、これより良い場所が他に有ろうか。

謙治は2・3の不動産仲介業者に声を掛けただけで、積極的には探さなかった。 虎ノ門界隈の森ビルにかなりの空きがあり、なお、新ビルが出来つつあった。 日本たばこの本社ビルが虎ノ門のNCRビル前に建設中で、1994年末には完成する。 謙治が妥協出来るのはそれ位しか無かった。

「パリさんは、城山JT森ビルにほとんど決まりですね」不動産業者から聞かされた時には、驚きを表さないようにするのが精一杯であった。 探し初めて1ヶ月も経ってない。 謙治は勿論そのビルを知っていた。 地下鉄日比谷線、神谷町駅からホテルオークラに向かって5分位の所に、森ビル株式会社がアークヒルズに続いて、環境と美観を考慮して開発した城山ヒルズのオフィスビルで、1年ほど前に完成していた。 1階ロビーは広々として気持ち良く、2・3階も空間を大事にした設計で、まだ空室が目立っていたが、飲食店が並ぶ事になっている。 ビルの外側空間も、車寄せも、森ビルのイメージを変えるに足る設計である。 しかし、表通りに面しているではなし、神谷町ではヨーロッパ最大を自負している銀行にしては中心から離れ過ぎている。 謙治はそう思って候補に入れてなかった。 それにしても、何故そんなに急がなくてはならないのだろう。 そして何故、謙治の知らない所で事が運ばれているのだろう。

外国銀行の丸の内離れは、ここ数年続いている。 大手町へ越したのがあれば、まるっきり遠くに、モノレールで行く天王洲へ行ってしまったアメリカの大手銀行もある。 気が付いて見ると丸の内に集中していた外国銀行が、ほんの数行になってしまっていた。 高すぎる賃料を嫌気して出て行ってしまったのである。 パリ国立銀行も例外ではない。 移転の第一の理由は賃貸料である。 支店長たちの頭には、「賃料の安い所へ行きたい」それだけしかない。 1等地も1階も彼等にはどうでも良い事なのである。 城山JT森ビルの23階だそうだ。

支店長たちの本店への報告には、神谷町を、「ホテルや大使館の林立する東京の中心地」とし、しかも、「賃料は新築のインテリジェントビルであるにも拘らず、丸の内の半分以下である。 内装建築費用、移転費用を考慮しても、2年後には大きな収益増になる」となっていた。

支店長たちが言う建築費用と移転費用は、何等の根拠も無い不動産屋が無責任に言った金額であって、最低の間仕切りと物量の移動だけの金額である。 謙治は15年前に引っ越しを経験している。 当時の移転に厄介なものは金庫だけであって、通信機器はテレックスしか無かった。 当時KDDは殿様商売をしていたので、テレックスの移動は引っ越し日の日曜日に出来ず、明くる月曜日のディーリング業務に多大な支障を来したのを覚えている。 障害はそれだけであった。

15年の歳月は銀行を全く別の性格のものにしていた。 コンピューターのケーブルが縦横に走り回り、種々の通信機器の為の多種類の専用線が引き込まれ、ディーリングルームに至っては、ロイター、クイック、テレレートと言った情報機器は、何時の頃からか通信機器としての役割が大きくなり、夥しい数の電話線、ブローカーや顧客との専用線が絡み合ったディーリングテーブルの移動は、考えるだけでも足がすくむ思いがする。

大蔵省への移転許可願いに始まる諸々の手続きが進行し始めたが、一般行員には何等の正式発表も相談もなされず、支店長ソテール氏、総務担当のオースタン氏、それにBNP証券東京支店の支店長であり、BNP日本グループの事実上のボスであるフォンテーヌ氏の間で全ては進められた。 勿論、一般行員が知らない筈はない。 皆が「都落ち」と言ってこれを嫌がったが、正式に苦情を言う者はいなかった。 言えない雰囲気が出来ていたからだ。 優秀な人材の確保は長い間非常に困難な事であったが、バブル崩壊後それは一変していた。 優秀かどうかは別として、比較的低い給与でも応募者は後を絶たない状態が続いている。 「嫌なら辞めろ、お前より優秀なのがもっと安く雇えるんだぞ。」が首脳陣の口癖になっていたし、労働組合は長い安泰の末に、空中分解してしまっていた。




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