優雅だった外国銀行

tonton

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1 無音のH
2005年05月01日(日)

「オンダのタカアシさんに電話したい」多くのフランス人は、Hの音を出すのが非常に苦手である。 それは、一般的な日本人が、英語やフランス語でLとRが難しいのと似ているかも知れない。 「本田」が「オンダ」になり「高橋」は「タカアシ」になってしまう。「週末にアコネへ行った」と聞けば、ははあ、箱根へ行ったのだなと、フランス人に慣れると解るようになる。 時にはH音を気にし過ぎて、無い所に付けてしまう事もある。「ハタミのMOA美術館は素晴らしい」一瞬まごつくが、MOA美術館は熱海に在ったなと思い、H音を出そうとする意欲に敬意をはらい、微笑んで上げることにしている。

津村謙治は、ひょんな事からフランスの銀行に職を得て25年になる。 初めは難解であったフランス人の英語にすっかり慣れ、最近ではアメリカ人の英語の方が分かり難いと思うようになってしまった。 例えば、こんなのはどうであろう「イー・アズ・イズ・アット・イン・イズ・アンド」謙治はこれを He has his hat in his hand. であると容易に判断するようにいつしかなった。 それでも、未だに多くの固有名詞、特に人名、尾高さんと穂高さん、石田さんと菱田さんの様に、両方存在する名前には泣かされる事が時としてある。

フランスから保険会社の重役だというご夫妻が、観光旅行で来たことがあった。 感じの良い人達で、謙治も喜んで箱根、伊豆、日光へとサービスした。 御殿場インターを出て、箱根へ向かう左側のすえひろで、すき焼きを食べながら箸の持ち方を教えるのが恒例になっていたが、二人とも良い生徒で、喜んで習い、すぐに上手に使えるようになった。 離日が近くなって来た日、「息子への土産に医療器具を買いたい」と言い出した。

1970年代初めである。誰もが日本からの土産といえば、ラジオ、カメラ、真珠、ゆかたの様なものを選んでいた。 日本の楽器という人もいた。 医者嫌いの謙治は、医療器具には何の知識もなかった。 ともかく、外科医の手術用だと言うので、電話帳で探した文京区湯島の医療器具問屋へ行き、いろいろ見せてもらった。 どれも立派なもので値の張る物ばかりである。 その内に、"My son is only eye school student."という。不定冠詞が省かれているし、眼科医の学校なら他に単語があるのだがと思いながらも、英語を母国語としない人達の英語である、この位の事はお互い様だ。 眼科医の道具を見せてもらう。 しかし、まだ不満であるらしい「アイ スクール」を盛んに繰り返す。 「これらは、眼科医の道具である、見れば分かるではないか。」遂には手のひらを下にして高くかざし「アイ スクール」を繰り返す。 ああそうだ、アイ スクールではなくハイ スクール(high school student)だったのだ。

失敗も嫌な事もたくさんあった。 しかし、25年を振り返る時、謙治は、愛すべき民族、フランス人達と過ごせた事を、そのおおむねに於いて幸せであったと思っている。





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