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■ 意地悪ビショップ【ロビナミ】
船体をやさしく叩く雨音を聞きながら、一定のリズムでページをめくる。 甲板にはさすがに誰も出ていないようで、今日はいつもより静かな午後。 「チェス、できる?」 と聞きながらも決め付けているのか、ナミはすでにベッドの上にチェス盤を乗せ、駒を並べ始めていた。 次の島が近づき安定を始めた気候に、航海士は少し退屈している。気付いていたロビンは、夢中になりすぎないよう軽く読み流していた本をぱたりと閉じた。 「ええ、ルールくらいは」 「この船のクルーはね、ルフィ以外は一応みんな指せんのよ。意外でしょ? あぁ、フランキーとブルックはまだ分かんないけど。まずはあんたから、お手並み拝見ね?」 にっと上目遣いで笑って、ロビンに白のキングを差し出した。 生意気な自信家、でもそれがかわいくて、ロビンはケンカを受けて立つ。
「ほんとにルールくらいは、って感じね」 勉強家の指し方だなと、定石通りのロビンの手を見てナミが首を傾げる。 素直に意外だった。チェスなんか、自分よりずっと似合いそうなのに。 「そうは言っても、定石と言うのは多くの局面に対して有効だから定石なのよ」 「言うわね。なんか賭ける?」 不敵に笑ってあくまでケンカ腰。おそらく負け知らずなのだろう、少なくともこの船では。 その笑顔を崩してみたくなるささやかなサディズム。改めて受けて立つ昼下がり。 「定石通りいきましょ。駒ひとつにつき、相手にひとつ好きなことをする。」 「ひとつ?好きなこと?いいわよ」 妙な提案に不思議がりながらもナミは快諾した。 俄然やる気のでたロビンは、次のターンで一気に攻撃へと転じる。 「え、ちょっ」 「まずはひとつ」 競り合いをしていたのとはまったく違う場所から飛び出してきたビショップに、ナミのポーンがひとつ、その手に収められる。 長い指に弄ばれるポーンを呆気に取られて見ていると、反対の手がすっと額に伸びてくる。 視界を遮る動きに反射で目を閉じて、一瞬後に襲うひやりとした感覚。 そのまま生え際までゆっくりと撫で上げながら前髪をそっと後ろにやられた。手が離れると、前髪はまたはらはらと瞼の上に落ちてくる。 何がなんだか分からず目を開けると、にこにこといつもと変わらないロビンの笑顔。 「おしまい」 「え?え?」 「あなたの番よ」 「あ、うん……え?」 腑に落ちないけれど、ナミは気を取り直して盤面を見た。 そこで初めて気付く。定石じみた手の中に隠されていたロビンの攻撃性。ポーンが取り除かれたことで見えてくる、ロビンの手の前にあまりにも無防備な自分。 「ルークとナイト、どっちにするの?」 あぐらをかいて硬直したナミを面白そうに見ながら、ロビンは意地悪く聞いた。どうあがいたところでナミはそのどちらかを手放さなければならないようだ。 ナミは居住まいを正した。本気モードに入ったらしい。シーツの擦れる音が微かに響く。 ナミはナイトを選んだ。 「それじゃあルークはいただくわね」 言ってポーンを取ったばかりのビショップをルークと入れ替える。ベッドの上、無造作に転がされたポーンの隣にルークを並べて、また手を伸ばした。 ナミは今度は目を閉じなかった。ぎゅっと唇を結んでロビンの目を見据えている。 その顔が怯えを隠す精一杯の強がりだと知って、ロビンは満足気。 右手でナミの頬にかかる髪を押さえ、耳にかけながら耳ごと撫でる。 ぞくりと震えそうになる自分を制し、ナミはじっとそれに耐えた。 これは立派な罰ゲームだ。 ロビンは何を考えてるか分からない顔で穏やかそうに微笑んでいるけど、ナミは早くも気が気じゃない。ロビンの意図が読めない分、自分の体が示す反応の意味が分からない分、ナミが分かるのはただ、自分が怯えているということだけ。 様子を窺うように控えめな一手。 「……あんたの番よ」 言われるまでもないに違いないだろう相手に、せめてもの反撃とばかり言い放つ。 ロビンはお気に入りらしいビショップを元の場所に下げる。保守じゃない、威圧。 ナミは空気に呑まれないよう、冷静に頭を巡らせる。チェスは、取って取り返されるより、取られてから取り返した方が有利なのだ。ここで反撃に出られれば主導権は取り戻せる。 けれどビショップが気に掛かる。あいつが居る限り、どうも自分は落ち着いて駒を進められる気がしない。 「あら、」 意表はつけただろうか。 「笑えばいいわ」 兵士と城を――そして自分の冷静さを――奪った憎きビショップを左手でぽんぽん放りながら、ナミは笑って吐き捨てる。 ビショップを守っていた背後のルークが、次のターンでこちらのクイーンを奪うのは間違いなかった。 「それでも私の一勝よ」 そしてナミは身を乗り出して、チェス盤の両脇に手をつきながらロビンの唇にキスをした。 崩してやりたかった、翻弄しようと手を伸ばす大人の顔とか何もかも。 でも、唇を離して最初に見たのは、恐らく目も閉じてなかったのだろう、子供の悪戯に困ったような変わらない大人の笑顔。 「……むかつく」 「私は困ったわ。止められなくなりそう」 「は?」 ベッドに両手をついたままのナミに応えず、その体の下のチェス盤に手を這わす。無謀にもやってきた最強のクイーンをルークでさらりと奪い、今までと同じように盤外に放り出す。 「勝負は見えてるわ。これ以上は不要ね?」 「え?」 疑問符だらけのナミの唇に再び唇を寄せ、合わせるだけだったキスとは違う、舐めるようなキス。 びくりと怯んで後ずさろうとする肩を掴んで、勢い借りて押し倒す。 がしゃんとひっくり返るチェスと一緒にベッドに倒れこみ、キスはまだ終わらない。 「チェックメイトよ」 唇離して最初に一言宣戦布告すれば、ロビンの意図を察し、自分が感じてたものに気付き、ナミは頬を赤く染めた。 その頬を撫で、耳を撫で、首を撫でる。 最初に触れた手はひやりとしていた。いつのまに熱を持ったのだろう。 抵抗しないのは、これが賭けの代償だから。ケンカを売ったのは自分だから。翻弄されて負けたのは自分だから。 体を開くのは、熱く圧し掛かる女が、自分にまたがる権利を持った勝者だから。
そして、そう、大好きだったから。
2000年01月02日(日)
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