暴かれた真光日本語版
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| 2004年12月06日(月) |
私もクリスチャンですので、ちょっとお邪魔させて頂きますね。 |
私もクリスチャンですので、ちょっとお邪魔させて頂きますね。
●archive手かざし宗教情報BBS
Re: Re:真光の分派 Prev: 1641 / No: 1642 [返信][削除] 投稿者:ちわす 01/02/10 Sat 02:25:02 ちわす。 私もクリスチャンですので、ちょっとお邪魔させて頂きますね。 >しかし御神体やおみ霊が印刷物だとか文明教団との裁判の >経過又救世教の教えである事など?? >何を信じていいのかわからなくなりました。
はっきり申し上げるなら、聖書の神に立ち返るべきでしょうね。 真光信者の方はご気分を悪くされるでしょうけれども、 「真実である神」以外の神を信じている先にあるものは、 「何を信じたらよいかわからない」という貴方がもっておられるような 疑問と空虚さ、またあるいは、惨めな狂気でしょう。 その「真実である神」を誰であるとするのか。それが、人間が行うべき、 最大・最重要な選択なのでしょうね。
>しかしなんで神の御子キリストが十字架にかからなくては >人間が救われないのでしょう?神に子供があるのもおかしな話ですね。 その一見するとおかしな理論を「神様がそうおっしゃっているのだから、 それを信じる」という、単純・純粋な信仰を、神の前に差し出すことに 価値があるのだとお思いにはなりませんか。
また、神様は人間が理解できるような表現で、聖書を書かれました。 文字どおり「神の子」として解釈するのも良いのですが、 その言葉の本質は「自らの子どもに等しいほどに大切な、ご自分の一部」を 神は私たちの罪を許すために与えて下さった、ということではないかと、 僕は考えています。
宮大工さんへ: >うーん。わからなくなってきました。 >原始キリスト教と「真光」って共存できる物なんでしょうか? これに関して、説明したページを造ってみました。リンク先に 飛んで頂ければ閲覧できます。ご覧になって下されば幸いです。
では
http://web.archive.org/web/20010210011936/http://chiwas.tripod.com/documents/chiwasu_0208.html
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− http://web.archive.org/web/20010809043528/chiwas.tripod.com/documents/chiwasu_0208.html
> うーん。わからなくなってきました。
> 原始キリスト教と「真光」って共存できる物なんでしょうか?
結論から申し上げると、聖書によれば、答えはNOです。聖書にそう書かれているからです。旧約聖書、出エジプト記の第20章に、有名な「十戒」について記した個所がありますが、そこには神御自身が人間に戒めを与えています。
出エジプト記 第20章 あなたは、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは自分のために、偶像を造ってはならない。
上の天にあるものでも、地の下にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも(偶像として)作ってはならない。
それらを拝んではならない。それらに使えてはならない。
ですから、真光にせよ、ほかの宗教にせよ、「聖書」に記されている神以外の神を土台に据えている宗教は、キリスト教とは、その信仰のあり方において、共存できません。不可能です。
「キリスト教の神と、ほかの宗教の神々も、同一の神であって、どんな宗教を信じていても、結局は同じ神だから、どれでも良いじゃないか。」とおっしゃる方もおられるでしょう。しかしながら、それらの宗教が、教祖としての一個人、仏像、宗教団体そのもの、あるいは「形」のある「者・物」など、「聖書の唯一の神」以外の存在を崇拝対象としている以上、それらの宗教は「聖書の神」の戒めに、真っ向から対立します。つまり、「聖書の神」を唯一として信じていない宗教は、キリスト教と本質的に異なるのです。
キリスト教とは、私たちが神の前には罪人であって、その神が、「人の罪が許されるためにはキリストを信じる以外に無い」と定められた事を信じる人たちの集まりです。クリスチャンの 崇拝対象となる方は、「聖書の神」ただお一人です。教祖や偶像ではありえません。
> 結局は、イエスを、神を信じていれば
> 生きてるあいだの行動は関係ないよって読めました。
「平気で罪を犯すため」に自分に都合のよい解釈をするのではなく、心から罪を悔い改め、イエス・キリストを信じたなら、そうでしょう。 神様は、その人がどんなに罪深い人生を送ってきたとしても、「イエスキリストを信じること」その一つだけのことによって、すべての罪を帳消しにしてくれます。これが、キリスト教のもっとも不思議で、もっとも素晴らしい教義なのです。
あるいは、神は、愛する人々の罪を帳消しにするそのために、イエスキリストを私たちにお与えになったともいえます。
聖書にはこう書かれているからです。
ルカ23:42 〜43 「イエス様、あなたの御国の位にお着きになるときは、私を思い出してください。」 イエスは彼に言われた。「あなたは、きょう、私とともにパラダイスにいます。」
上記の個所は、イエスが十字架にかけられたその時、一緒に処刑された二人の罪人のうちの一人と、イエスとの間に交わされた会話です。
当時の死刑にあたる十字架にかけられるほどの罪人ですから、殺人・強盗・レイプ 、どんな大きな犯罪を、この人は犯してきたことでしょう。でも、この罪人が「あなたは、きょう、私とともにパラダイスにいます」と、罪が許されたのは、「彼が、イエスを信じ、それを口で告白したこと」、その一つのことによってなのです。十字架につけられ、死を待つばかりの人間が、他にできることなど何一つ、無いからです。
また、注目したいのは、イエスがおっしゃった、「きょう」という言葉です。明日でもなく、一ヶ月後でもなく、来世においてでもなく、「きょう」、すなわち、この罪人が自らの罪を認め、その救いをイエスに求めた、「その時・その瞬間」において、この罪人は救われたんです。
また、別の個所にはこう書かれています。
ヨハネによる福音書 3:16 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じるものが、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」
その実の子を「十字架にかける」ほどに人類を愛してくださった神様。
その偉大な、また愛に満ちた神様に対して自ら反逆し、他の神々に仕えていることが、「罪」そのものなのです。
あるいは、聖書に「私のほかに、ほかの神があってはならない」とおっしゃっている神様を無視することによって生ずる、さまざまな人のネガティブな心の働きが、殺人、強盗、レイプなどの「目にみえる」罪を引き起こしているのだと、私は考えます。
新しい理想世界を作るとか、未信者を教団に引き入れるとか、どの教祖に付いてゆくのかとか、そういったコト以前に、「自分と神様との間の、罪によって壊されてしまった関係」を修復することが、人間にとってもっとも大事なことであり、
その修復方法、つまり「イエスを信じること」を言い広めようとするのが、クリスチャンである、と表現できるのではないかと思います。
このような「救いのコンセプト・概念・教義」は、他の宗教に見られないものです。真光の信者の方は、上記した罪の許しのプロセスと、自分たちが信じるものとの間の違いを、どのようにお感じになっておられるのでしょう。
興味のあるところです。
2月8日 ちわす。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 最後のカキコ Prev: 1977 / No: 1978 [返信][削除] 投稿者:ちわす 01/03/28 Wed 07:43:42 最後のカキコです。 この掲示板を通して、誠実に神と宗教について考えておられる、幾人か の方々に出会うことができました。それについては感謝しています。
ですが、もうこのBBSはブックマークから削除します。 最後に申し上げたいこと、いくつか書きます。
�\蚕颪髻峅鮗瓠廚覆気襪覆蕁�一貫したポリシーを持って、「聖書全部」 をそのポリシーのもと、解釈してください。拾い読み的に、所々都合 よく解釈するのは単なる「曲解」に過ぎません。
�∪蚕颪魯ぅ┘好�リストがこの世界にお生まれになった以前から、存在します。 旧約聖書がそれです。そして、キリスト御自身は、「聖書が自らのことを 証言している」と言っています。旧約聖書の中に、その存在の証(あかし) がない宗教、あるいは教祖は、聖書の観点からは嘘っぱちの偽者です。
ヨハネ5:39 「あなたがたは聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べてい ます。その聖書がわたしについて証言しているのです。」
��聖書の記述を少しでも引用して、それに頼っているならば、聖書全部を 読んだ上で、利用してください。それでもなお矛盾なくご自分の理論、 哲学、あるいは宗教が維持できれば、その宗教も正しいものなのですから。
�だ蚕颪砲茲譴弌▲�リストや予言者を語る「人」は、すべて偽者です。 マタイによる福音書 24:23〜27 「そのとき、『そら、キリストがここにいる。』とか、『そこにいる。』 とか言うものがあっても、信じてはいけません。にせキリスト、にせ予言者 たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議な ことをして見せます。 さあ、あたしは、あなたがたに前もって話しました。だから、たとい、 『そら、荒野にいらっしゃる。』と言っても、飛び出していってはいけません。 『そら、部屋にいらっしゃる。』と聞いても、信じてはいけません。 人の子(イエス)のくるのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、 ちょうどそのように来るのです。」
ヨハネ14:6 イエスは彼らに言われた。「私が道であり、心理であり、いのちなのです。 わたしを通してでなければ、だれひとり、父のみもとに来ることはありません。
ヨハネ14:10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。 わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではあり ません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。
神御自身の言葉を「そのまま」伝えていたイエス・キリストが、上記のように ご自分が唯一の神様への道であると公言しているのに、真光は、 「いやそうではない。別に道がある。キリストにも語ることが許されていな かった心理を教え主には語ることが許されている」と言うのですか?
また、キリストは霊においてはこの世が存在する前から、神と共に存在していた 方です。 ヨハネ 17:5 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する 前に、ごいっしょにいてもっていましたあの栄光で輝かせてください。」
そのような方であるイエス・キリストを、「人間である教え主」以下の存在 として扱おうとする真光の考えが、神の前にどれほど大それた背信行為で あるか、考えて見てください。
以上。
http://web.archive.org/web/20010415032304/http://www.aaacafe.ne.jp/free/masakichi/main.bbs
453 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 03/02/09 20:11
真実板でキリスト教徒のカエル氏が、真光は聖書の教えを盗んでいると指摘していたな。 キリスト教は絶対に真光を受け入れないと、おだやかな口調で言っていた。
真光関係者集合!!(12)
日記作者

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