暴かれた真光日本語版
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2003年11月24日(月) 039 pseudoscience

『日本国語大辞典』小学館

ひ−ふみ【日文】〔名〕
 漢字の渡来前、日本で使用したと称せられる一種の音節文字。「いろは」に当たる四十七字で、古代の遺物ではなく、近世、ハングルを模してつくられたとされる。
* 神字日文伝(1819)上「右の日文四十七字は、行文と有れど真字と見ゆ。此を伝へたる阿比留氏は対馬国のト部と有れば」
〔諸言説〕ヒフミヨイムで始まる文字であるところから〔大言海〕。

あひる−もじ【阿比留文字】〔名〕
 古代、漢字の渡来前にすでに存在していたという神代文字の一つ。日文(ひふみ)と呼ばれる文字の異称。対馬国ト部阿比留氏に伝わったとされるところからいう。諺文(おんもん)に類似する。平田篤胤によって積極的に主張された。

じんだい−もじ【神代文字】〔名〕
 わが国で、漢字渡来以前に用いられたと称される文字。日文(ひふみ)、天名地鎮(あないち)、阿比留(あひる)文字などの種類がある。これらは古代の確実な遺例がなく、かつ、いろはがなの体系を出ないものであって、現今ではすべて後代の仮託のものとする。
 その存在を認める平田篤胤の「神字日文伝(しんじひふみでん)」、それを駁する伴信友の「仮字本末」その他の論がある。神字。神代字。
*国語のため(1895)<上田万年>言語学者としての新井白石「初めに支那文字の沿革を説き、次に日本に神代文字のあったことを説き、仮名といふものは右の二つより発達してきたといふことを示し」
*普請中(1910)<森鴎外>「室の入口を挟んで、聯のやうな物の掛けてあるのを見れば、某大教上の書いた神代文字といふものである」

『広辞苑』 第五版
ひ‐ふみ【日文】
神代文字と称せられるものの一。平田篤胤が「神字日文伝(かんなひふみのつたえ)」に挙げているもので、対馬国の卜部阿比留氏の秘伝というヒフミヨイムナヤコトモチロなどの47音をあらわす表音文字。実は朝鮮のハングルに模して偽作したもの。

じんだい‐もじ【神代文字】
わが国固有の、神代から伝えられたという文字。実は、亀卜の灼兆(しやくちよう)や朝鮮のハングルに擬した偽作。日文(ひふみ)・天名地鎮(あないち)・阿比留文字などの種類がある。江戸時代、その存否について平田篤胤の「神字日文伝(かむなひふみのつたえ)」(存在説)や伴信友の「仮字本末(かなのもとすえ)」(否定説)などの論争があった。神字。

あないち【天名地鎮】
いわゆる神代文字(じんだいもじ)の一。鶴峯戊申(しげのぶ)がその存在を主張したもので、ヒフミヨイムの順に排列した47の表音文字と1、2、3…などの数字とから成る。

じょうだい‐とくしゅかなづかい【上代特殊仮名遣】じやう・・づかひ
奈良時代に、エキケコソトノヒヘミメヨロおよびその濁音、合計20の音節(古事記にはモの仮名も)を2類に書き分けた仮名遣。エはア行・ヤ行の別、他は母音に2種の別があった。エ以外について、甲類・乙類と名づける。江戸後期、本居宣長の指摘を受けて石塚竜麿が実態を明らかにし、明治末期に橋本進吉が別個に研究、竜麿の研究を世に紹介し、上代語研究に一期を画した。

【解説】 平田篤胤は対馬の阿比留家において発見された神代文字を報告した。イロハと同じ四十七文字からなり、配列は「ヒフミヨイム・・・・・・」であった。最初の三文字をとって日文(ヒフミ)と称した。楷書体と草書体の二種があったため、楷書体を阿比留(アヒル)文字、草書体を阿比留草(アヒルクサ)文字とした。
 岡D晃Y氏は「ヒフミ文字やアヒル文字・・・・」とあたかも別の文字のように語っているが、アヒル文字は日文(ヒフミ)に含まれているはず。そしてその日文(ヒフミ)も『広辞苑』において”偽作“と決めつけられている。晃Y氏は『広辞苑』を読んだことがあるのだろうか。

「國語学概論」橋本進吉著 岩波書店1946年初版
原文http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/hasi/hasi8.htm#kigen
所蔵http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN00647153

【文字の種類】P104-105 (要旨)
 意字(表意文字)と音字(表音文字)とがある。音字は、さらに二つにわかれる。一つの文字が音節を表すのを『音節文字』とし、一つの文字が単音を表すのを『単音文字』とする。日本語の仮名や梵字は音節文字であり、ローマ字は単音文字である。ハングルは単音文字であるが、これを組み立てて音節文字のようにして用いている。
【文字の起源發達】P105-106(原文のママ)
 文字は、事物そのものを示す爲の記號又は圖畫から發生したものである。まだ文字の無い時にも、或物の形を寫してそのものを示し、又或符號を書いて或事を示した。その形その符號は、その事物自身を直接に示すのであって、その事物を表はす言語とは關係が無かったのであるが、その形その符號がその事物を示す處から、同じ事物をさし示す言語との間に關係が生じて、その形や符號が、その事物のみならず、これを表はす言語をも示すやうになって、はじめて文字となったのである(例へば、目そのものを表はした形が、「メ」といふ語を表はすやうになって、はじめて「目」といふ文字になった)。それ故、最初に出來た文字は、事物の觀念を表はす文字即ち意字である。意字は無論音をも表はすが、意字がその意義にかゝはらず、唯言語の音を表はす爲にのみ用ゐられるやうになって、はじめて音字が出來るのであるが、意字は意義を有する言語の單位を表はすもので、普通の場合單語を代表するものであり、單語の音の形は音節から成立ってゐるのが常であるから、意字から變じてまづ出來た音字は音節文字であり、その音節文字が更に變じて單音文字が出來るのが、文字發達の一般原則である。
【日本に於ける文字の種類】P106-108(原文のママ)
 我國には古く文字が無かった。漢字が傳はつて、はじめて文字を學び、遂にこれで日本語をも寫したが、後には漢字から假名が出來て、以後漢字と假名とが永く用ゐられた。又印度で用ゐられた梵字が僧侶の手で支那から傳はつたが、これは梵語を書く爲に用ゐられ、日本語としては、間々人名を之で記すものがあつた位である。又ローマ字が西洋から傳はり、之で日本語を書く事もあるが、特殊の場合に限られてゐる。かやうに、我國に用ゐられた文字は、すべて外國の文字か、又はそれから發生したものである。
 しかるに、これ等の外に日本固有の文字があつたといふ説がある。所謂�誕緤源�がこれである。これは江戸時代の一部の國學者�弾参箸隆屬望Г悗蕕譴燭發里如�日文(ヒフミ)、秀眞(ホツマ)、天名地鎭(アナイチ)其他種々のものがあるが、これらは�誕紊�らあつたものとは到底信ずることの出來ないものである。平田篤胤は�短�日文傳を著して、日文だけを信ずべきものとし、他は疑はしいとした。然るに、日文は對馬の阿比留家に傳はつたといふもので、文字の構成を見ると、單音文字を組み立てて音節をあらはすもので、その形は朝鮮の諺文に酷似してゐる。二三の例を示せば、
(図は省略)
これは明かに諺文に基づいて作つたもので、諺文は朝鮮の世宗の時はじめて作られたものであるから、日文はそれ以後のものである事疑無い。篤胤は、諺文との類似を認めながら、却つて、日文が古く朝鮮に傳はつて殘つてゐたのに基づいて諺文を作つたものとしてゐるが、さうで無い事は、諺文創定の歴史や、それまでの朝鮮の文字の歴史を見れば明かである。猶、日文は伊呂波と同じく四十七字であつて、濁音を除いて六十種の音節を區別した奈良朝の言語は勿論の事、四十八種の音節を區別した平安朝初期の言語を寫すにも不十分である事、もし日文が實際世に行はれたものとすれば、これで國語を書いたものが殘存すべき筈であるのに、さやうなものはなく、あらゆる違つた文字だけを集めた字母表といふべきもののみが存する事、その字母表の順序も「ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキルユヰツワヌソヲタハクメカウオエニサリヘテノマスアセヱホレケ」となつて、かやうな順序は古書にも所見なく、全く意味をなさぬ事、又、一般文字史上單音文字は最發達した段階に屬するものであるから、日文の如き單音文字は我國にはじめて出來た原始的の文字とは考へ難い事などの諸點から觀れば、日文は決して古く我國に出來て行はれたものではなく、ずつと後世に誰かが作つたものと考へられる。日文以外の諸種の�誕緤源�は、更に一層疑はしいものである。さすれば、我國には、固有の文字は無かつたのであつて、漢字が早く渡來した爲、之を用ゐて日本語をも寫したものとおもはれる。

【解説】 橋本進吉氏の「國語学概論」は、当初1932年「岩波講座日本文學」として出版され、1946年に「橋本進吉博士著作集」として再刊された。国語国文学における歴史的名著であり、現在、数多くの図書館に収蔵されている。岡D晃Y氏は國學院大學で神道考古学を専攻したのなら、この名著の存在を当然知っているはずである。
<橋本氏の主張>
1) 文字発達の一般原則は、表意文字が最初にでき、次に音節文字ができ、最後に単音文字ができる。日文(ヒフミ)はハングルに似て、単音文字を組み立てて音節を表現しており、わが国に最初にできた原始的文字とは考え難い。
2) 篤胤は日文が古く朝鮮に伝わってハングルができたと称しているが、歴史上は考えられない。
3) 日文はイロハと同じ47字である。奈良朝期は60種、平安朝初期は48種の音節を区別していたはず。
4) 日文を用いて書いた文献がなく、字母表のみが残っている。
5) 結論として、日文はずっと後世に誰かが作ったものであろう。漢字が伝来するまで、我国に固有の文字は無かった。

 漢字が伝来するまでに我国に固有の文字が存在したなら、遺跡・古墳から出土した土器・副葬品・瓦・石碑などに文字が書かれたものが出てくるはずだ。岡D晃Y氏は、中国で亀甲や獣骨などに刻まれたのが発見されていると、はっきり述べている。『神代文字』なるものは考古学上証明されていない。また正倉院に数多くの古文書が保存されているが、神代文字で書かれたものは一つもない。もし神代文字の正当性を主張するなら、その学問的根拠を博物館に展示すべきであろう。
 国語・日本史の教科書や、広辞苑にも、「漢字渡来以前には我国に固有の文字は存在せず」と書かれている。S教M光推奨校の立S大学S南高校では、国語や日本史の授業でどう教えているのだろう。
 橋本氏は『上代特殊仮名遣い』の研究を大成し、奈良朝期には八母音であることをつきとめた。神代文字は五母音のため、合致しない。もっとも最近、金沢大・松本克己教授と奈良女子大・大森重敏教授により「母音の交代現象」という新しい説が出た。「古代の日本で使われていた日本語はあくまでも五母音であったが渡来人の影響で八母音になった。」という説である。「漢字」を国語化する際の一時的な虚像であるというのだが、この議論はまだ決着は付いておらず、橋本氏による定説を覆すにはいたっていない。もしこれが認められれば、神代文字を否定する根拠の一つが崩れるわけだ。

『國語學書目解題』 亀田次郎
原文http://www.ne.jp/asahi/nihongo/okajima/Kameda2.htm#motosue
所蔵http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN11062672

神字日文傳 本文二巻二冊附録一冊
 文政二年平田篤胤著。平田篤胤全集所収。本書は伴信友の「假字本末」の所説を反駁する爲に著したもので、漢字渡來以前に日本に文字のあつた事を證明し、又その文字(日文)を考證し解説したものであって、或は日文に於ける真體草體の別、或は朝鮮の諺文は日文から轉生したものである事等を述べて居る。附録には神代文字と言はれてゐるもので疑はしいもの三十餘種を掲げてゐる。この篤胤の神代文字存在説も「假字本末」出現以來學界はその非存在説に傾き、今日では非存在説を以て定説と見做すに至ったので、全く顧られなくなった。

假字本末 上下二巻附録一巻四冊
 伴信友著。嘉永三年刊行。伴信友全集所収。上巻二冊は草假名の研究で下巻は片假名。附録は神代文字の研究である。草假名の起原・沿革について漢字渡來以後我國では漢文で用を辨じてゐたが祝詞宣命等次第に漢文のみでは不都合を生じその音を借り或は訓を以て言葉を表はす様になり、扨その文字も楷書でのみ書くは煩雜なる故遂に草假名の發達を見たものと思はれる。而して弘法大師に至って初めて字體も一定して伊呂波四十七文字に整理されたのである由を述べてゐる。附録に伊呂波歌は弘法大師の作なる事、和讃・今様・巡禮歌の沿革を記して居る。下巻の片徴名の研究に於いては片假名は悉曇の音圖に準じて天平勝寶年中に吉備眞備が作ったものであらうと云って「倭片假名反切義解」の説を認めてゐる。次の附録一卷は「神字日文傳」を反駁して神代文字を否定したものである。本書は當時に於ける考證學の第一人者信友の代表的著作であり全體的に今日も猶十分尊敬に値するものである。殊に當時の熱狂的な自國尊重思想に災されずその考證的立場に於いて穏健確實な説を以って神代文字非存在説を主張した事は彼の卓見であって、この否定論に對して松浦道輔は「假名本末辨妄」を以って、篤胤は「古史本辭經」に於いて駁論を掲げてゐるが明治以後の學界は信友の否定説を定説としてゐるのを以て見ても彼の所説の如何は窺はれる。

日本古代文字考 二巻二冊
 落合直澄著。明治二十一年出版。神代文字存在論は平田篤胤以來頗る多く、殊に國學著神道家はその思想的立場から多くこれに賛成してゐた。本書も亦その類で、神字日文傳を根據とし、これにその後の諸家の研究を參酌し、自家の説を加へて篤胤の説を増訂したものであって、神代文字存在説を集大成したものである。然るにその研究は學界を首肯せしめるに足らざるのみならす、爾後學界は新研究法によって五十音或は伊呂波の研究を進めて神代文字非存在説に逹した爲この存在論を継承する學者が後を斷った。

【參考】
「日本神字文考」「假名赴起源考」その他數部落合眞澄の著にして神代文字に關する研究がある。

 私はとくに大学で国文学や国史を学んだわけではない。それでも、ネットで下調べをし、公立図書館で文献を閲覧し、このようなレポートが書けたほどである。国文科の学生のレポートぐらいのレベルには到達していると自負している。私からの問題提起に対し、大学で神道考古学を専攻した岡D晃Y氏から責任ある回答をいただきたい。自らの主張に対して裏付けのある学問的資料を、博物館に展示していただきたいものである。
 なお、国立国会図書館では明治時代の出版物を順次Web閲覧できるようにしており、『日本古代文字考』(落合直澄著)も近く閲覧可能になると思われる。



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