まゆのウォーキング、ぼちぼち日記

2011年10月12日(水) ■「岩手、宮城県の被災地の状況その6.何かを変えるその瞬間に立ち会う為に… 

被災地報告の続きです。
今日が今回最後の報告になります。
どうぞ、おつきあいくださいませ。



「鮮」で、お腹がいっぱいになり、
気仙沼から、南三陸町に向かうことにし、
私たちは、どんどん進みました。
海は、本当に美しく穏やかでした。
しかし、しばらくいくと、友人が、



「左の方を見て」



と言い、言われた方を見ると、
こんなところが見えました。








鉄道か道路かよくわかりませんでしたが、
途中でぶっつりと分断されていました。




震災前に、ここを通ったら、
美しい景観だったと想像できますが、
今は、無残に分断されていました。



もっともここは、海がすぐなので
被害が大きくても仕方ないか
とも思えましたが、
山の中でも分断されていました。
これは、三陸鉄道です。









トンネルの前の鉄道が途切れているの、
わかりますか?
海から大分離れていましたが、
こんなところまで、水が来たんだと
実感出来ました。




そして、南三陸町志津川にはいると、
何もなくなった風景が広がりました。














「本当に…
 ここに町があったの?」
「あったの…
 ゆたかな養殖場もね…
 ゆたかでおだやかな町だったんだよ」




友人は、静かにそう言いました。
あったのです、ちゃんと町は。
これがその名残です。








おそらくメイン通りの一角だと
思われます。



そして、さらに行くと、
TVでよく流されていた、
公立志津川病院が見えました。









その前に立つと、
破壊尽くされていました。








「この病院の屋上まで水が達して、
 あの茶色の公立志津川病院と書いてある
 上まで登って助かったんだよ」




この病院を見て、ただただ呆然とし、
手を合わせるしか出来ませんでした。
とても現実のものとは思えず体が震えました。



この志津川は、海岸線寸前まで山が迫っており、
それで、大きな被害が出たということでした。 




荒涼とした志津川の町でしたが、
この日は日曜日で、「エグザイル」の
復興コンサートも行われたということで、
なんでも元気がでること、
勇気がでることはやってほしいと、
心から思いました。

そして最後に、この日、
この町に住んでいる知り合いに暖房機などを届けて、
この町を去ることにしました。
知り合いは、こう言いました。




「あまりにも多くのものを
 なくしてしまったので、
 今は、とても話せない。
 話したら涙が出てくるからね。
 話せるようになったら話すね…
 そしたら、また来てね。
 今日はありがとう…」





この町の復旧、復興もまた、
時間がかかるだろうとわかりました。
ここに住む方々の悲しみや辛さが
いえるのも…




私たちは、少しばかり話をし手を握り合い、
必ずまた来ると約束して別れました。
何か私に出来ることしていこうと決意しながら。

そう決意した割には、ささやかなことでしたが、
この町を出て、少し行った山間の小さな店に、
このようなものが売っていて、
名前がよかったので購入。









「気仙沼の夢」
1050円





私の大好きなお菓子類が詰まっていました。
きっと、「気仙沼の夢」も詰まっています。
(すいません、食べちゃいましたけど…)
そして、



「これからの奇跡に向かうために、
 私もその奇跡に参加しよう」




と、今月末にはボランティアに行き、
なんでもやってくるぞ、と決意もしたのでした。
いってきます。

最後に、「気仙沼を元気に」という
ブログに書かれていたこんな言葉を紹介して、
今回の報告は終わりといたします。
「気仙沼を元気に」



何かを変える 
その瞬間に立ち会う為に
                
伊藤




最後まで読んでいただき、
ありがとうございました<(_ _)>




■コメントが書ける「ぼちぼち日記」はこちら


 気軽にコメントが入れていただけます。 →「ぼちぼち、お散歩日記」
■「ことば探し」に戻る時→  「ことば探し」
■「ことば探し」メールマガジン(月〜金)発行しています。

 「今日のことば」以外の過去のことばも紹介しています。
  コンパクトで、読みやすい構成にしています。
  →「購読申込み」


 < 過去  INDEX  未来 >


まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加





《旅に行きたいですね〜》