まゆのウォーキング、ぼちぼち日記

2009年12月08日(火) 「がばいばあちゃん」のお話その3…「夢を持て」

今日も、昨日からの続きで、
島田洋七さん著作の
「がばいばあちゃん」からの
お話紹介です。
今日も、以下の2冊からの紹介です。
おすすめの本です。



「佐賀のがばいばあちゃん」






「がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい!」





さて、今日は、
がばいばあちゃんの本領発揮の、
明るい貧乏生活やことばなどを紹介しますね。
私がとくに気に入っているお話です。
これを読んだら、きっと、
がばいばあちゃんファンになりますよ〜




■「佐賀のがばいばあちゃん〜
  35〜38ページ」



ばあちゃんについて行くと、
なぜか川をのぞき込みニッコリと笑っている。


「昭広(洋七さんの本名)も
 手伝いんしゃい」



振り返ってそう言うと、ばあちゃんは川から
木ぎれや木っ端を拾い上げ始めた。
川の水面すれすれに1本の棒が渡してあり、
その棒に木ぎれや何かが引っかかっているのだ。

さっき、川を覗いていた時に、
「何かなあ?」と渡された棒を見ていたのだが、
まさか、ばあちゃんが仕掛けたものだとは思わなかった。

なんと、ばあちゃんは、この棒に引っかかる木の枝や
木っ端を乾かして薪にしていたのだ。


「川はきれいになるし、
 燃料費はタダ。
 まさに一石二鳥だねえ」



と豪快に笑うばあちゃん。
さらに、棒に引っかかるのは木だけではなかった。


川の上流に市場があって、
二股になった大根や、まがったキュウリなど、
売り物にならない野菜が捨てられる。
それも棒に引っかかるのだ。
ばあちゃんは、いびつな形の野菜を見て言う。


「二股の大根も、切って煮込めば一緒。
 まがったキュウリも、
 きざんで塩でもんだら同じこと」



もっともである。
さらに、半分痛んだ野菜や果物も、
売り物にならないので捨てられる。
しかし、ばあちゃんにとっては、


「痛んだところだけ、
 切って使ったら同じ」



これも、もっともである。
というわけで、ばあちゃんの家では大半の食料を、
川を流れてくるものでまかなっていた。
しかも、


「夏には、
 トマトが冷えながら流れて来る」



し、まさにいいことづくし。それに、時には、
どこも悪くない野菜まで流れてくるのだ。
(略)




毎日、毎日、
いろんな物が流れてきては、
棒に引っかかるので、
ばあちゃんは、川のことを
「スーパーマーケット」
などと呼んでいた。





しかも、


「わざわざ配達してくれると」
「勘定もせんでよか」



と、家の前の川を覗き込んでは笑っていた。
たまに棒に引っかかっているものがないと、


「今日は、スーパー休みか」


と残念がっている。
そして、このスーパーには
ひとつだけ欠点があるとばあちゃんは言う。


「今日キュウリが食べたいと言っても、
 食べられん。
 それは、市場のひとまかせ」



どこまでも明るいばあちゃんである。
よその家では料理の本を見ておかずを考えていたが、
ばあちゃんは、川を覗き込んで


「今日のおかずはなんにすっかねえ」


と、メニューを決めていたのである。
 
             (ここまで引用)



いいでしょう?
ばあちゃんのたくましさ、明るさ。
まさに、明るい貧乏の見本ですね〜



「貧乏でみじめ…
 なんで私だけ、こうなのか?」
なんて、考えることもできたでしょうが、
ばあちゃんは、たくましく明るく生きることを
選択していたのですね。




人は、自分の人生を、
楽しむことも、嘆いてばかりいることも
選べるのだと思います。

つまらないことをグチグチ言ったり、
自分の不幸をなげくより、こんなふうに、
自分の置かれた運命をすっぱりと受け入れ、
さらにそれを楽しみ、豪快に生きる…
ばあちゃんの生き方…見習いますっっ。


さて、続いて、こんなお話も…




■「笑顔で生きんしゃい〜
 176〜179ページ」



鍋島藩の乳母までつとめるようないい家に生まれて、
美人で頭もよくて、順風満帆だったばあちゃんの人生。
でもそれは、じいちゃんの死と敗戦、
さらにアラタちゃんの事故によって、
空しくも砕け散ってしまった。



「思うとおりにはいかん」



くさっている俺に、ばあちゃんはよく言ったが、
思えば本当に重い言葉だった。
でも、もし、ばあちゃんがずっーと裕福なままだったら、
俺がこんな本を書くような面白いばあちゃんに
なっていなかったと思う。(略)

本人は大変だっただろうが、自然と素晴らしい体験をして、
考え、悩み、開き直ってコツコツと積み上げてきたのが、
ばあちゃんの人生だった。

そんな、ばあちゃんが残してくれた中で、
俺が1番好きなことばがこれだ。



「死ぬまで夢を持て。
 叶わなくても、
 しょせん夢だから」




失敗しても落胆するな。
あきらめるな。
という、ばあちゃんからのメッセージが
伝わってくる一言だ。




ばあちゃんは、いい方向に向かおうとしてやったことなら、
どんな結果になっても失敗ではないと、言っていた。
そう言ってもらえると、
「失敗しても、いいんだ」
と、勇気がわいてくる。
それから、



「いいことをやろうとして失敗しても、
 悪い人じゃなか。恨むな」




とも言っていた。



「最初から騙そうとして、
 それがばれた人だけが悪人だ」
と。




例えば、こんなことはないだろうか。
数人で、どこかの場所を目指している。
道に迷った時、ひとりの人が地図を睨みつけて悩んだ末、
「こっちじゃないかな」
1本の道をさして言う。

異論を唱える者はなく、みんなでゾロゾロとそちらへ
歩いて行ったが、ひどい回り道になって、
目的の時間につけなかった。
「お前のせいだ」
1本の道を選んだ人を、そう言って責めるのは、
間違いだということは、誰にでも分かるだろう。
彼は、道に迷わせようと思って選んだわけではない。(略)

先頭に立って、一生懸命事業をやっていた人を、
倒産したと言って責めるのは間違いだ。



人生は、思うとおりになんていかない。
失敗して、当たり前なのだから。
これは、長い苦労の末に、
ばあちゃんがたどり着いた結論だったのだろう。




そして、それでいて、



「夢を持ちつづけろ」



と言うことができたばあちゃんは、俺の誇りだ。

最近時々思う。
子育てにかかりきりで、自分のことなんか後回しだった
ばあちゃんの夢は、何だったのだろう。

いや、ばあちゃんにとっては、
あの苦しい状況から、子どもたちを立派に
育て上げることが夢だったに違いない。



「今日、明日のことばかり考えるな。 
 100年、200年先のことを考えろ!
 孫やひ孫が500人くらいできて、
 楽しくてしょうがなか」




ばあちゃんの夢は、きっと叶う。

           (ここまで引用)



ばあちゃん、ステキですね〜
そして、ばあちゃんの夢…なんだったのでしょうね。
私には、



「何があっても、
 明るく、楽しく生きると。
 次の人生がまっとるからね。
 そして次の人生では、
 いい男をみつけると」




くらいは思っていたように思えます。
ばあちゃんは、1991年(18年前)に、
91歳で大往生したそうです。

今頃は、どっかで、生まれ変わっているか、
楽しい天国にいるかで、どちらにしても、
周りを明るくしているのではないでしょうか。
私には、そう思えます。




「思うとおりにはいかん」
でも、
「夢を持ちつづけろ」





忘れないようにしたいですね。
さて、明日は、このばあちゃんの
ユニークな生活、心に残る言葉などを
いっぱい紹介しますね。





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