Getreidegasse


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2009年02月28日(土) 読書の冬


趣味『読書』
…とは、口が裂けても言えない・書けないほど、読書に疎い私ですが。
と言うより、読む本の9割が『史書』『歴史物語』とどうしようもないくらい偏読性の私ですが。

そんな私が唯一読む現代作家の文庫本がある。
何年か前にある人から貰った本で(自分から買うことはないわなぁ〜)
待ち合わせかなんかでクルマの中で時間を潰すことになった時にと、普段はクルマのBOXの中に置いてある。
短編小説で、1話15〜30分で読めてしまうあたりもお手頃で、普段医者と同じくらい現代文庫本に対してイヤイヤしてしまう私も何故かこの本だけはトゥルンと抵抗なく読めてしまう。そんな本。

もうかれこれ2年くらい、クルマの中で眠っているのだが
先日、やはり何かの待ち合わせの時に久しぶりにその本を開いたのです。
前読んでからどれくらい経ったかまでは覚えていないけど…
なんかもう、この時は自分でもビックリするくらい共感してしまいまして。
いくら間が空いたとはいえ何度も読んでいるはずなのに、思いっきり登場人物に感情移入してしまった…。

待ち合わせの相手から電話がかかってきて、そこでふと我に返ったのだけどさ。
なんか心中穏やかじゃなかったなぁ…
で、初めて読んだわけじゃないのになんで今になって?と後から考えてみて…
そこでひとつの結論に至ったわけさ。

『自分が今置かれている環境によって、同じ物語でも感じることは全然違う。』

ということ。
私事だが、この2年の間にいろいろありすぎた私にとって
同じ物語に対する目線の向け方が大きく変ったのだと思う。
『昔は〜と思っていたのに、今はそうは思えなくなった。』なんてことも日常生活では(特にこの歳になってくると)よくあるコトだが、時間だけじゃなくて、環境の変化も加わることで物事に対する印象も大きく変るのだな…と、改めて実感した。
特に史書とかじゃなく、現代人の目線に合わせた文庫本だからこそ余計にそう感じたのかもしれない。

今の自分のバロメーターを知るためにも
昔読んだ本や、昔聴いたアルバムなどを今一度読んだり聴いたりするのもアリかもしれない。
気付かなかった新しい発見が出来るのだと思う。
今の自分は、こういう捉え方をするんだ。というのを再認識する意味でも。

まぁ…、根本的なことを言うなら
そこまで比較できるほど昔の私は本を読んでいない、と言うことだ(笑)

あ、それとも
台本や楽譜を読むのは『読書』に入りまして?
人が造ったプログラムを読むのも『読書』に入りまして?


この場合は読書と言うよりかは『解析』だよなぁ。


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