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2016年01月15日(金) 拍手お礼移動05

 
小話設定:ムサヒルが学校卒業してから4年とか5年とか。……そこまで続くのかこいつら。


   

武蔵のやつに好きな女が出来た。
最初に耳に届いたのは噂。そして確認。最後に目撃。

何気なくを装ってからかったヒル魔の言葉に対して
武蔵は照れたように頭を掻いた。
何とも言えない嫌な予感がヒル魔に残った。

武蔵が女を変える事は多い。
武蔵が女に振られる事も多い。
相手の空気を読む事に長けているようで鈍感なこの男はしばしば相手を怒らせる。
だからいつもの流れだと思った。ヒル魔はそう思うようにした。

いつもと違う。
それを感じたのはいつだろう。
最初からか、ふとした時にか。
ヒル魔と一緒にいる時も、武蔵が携帯を手放さなくなる。
時間を気にし、予定を気にする。
仕事の予定が空いている時でも、武蔵が掴まり難くなった。
武蔵の行動予測がつかなくなる。休日にぶらりと立ち寄れば
顔を合わせていたようなどこにも、武蔵の影がみつからなくなる。


久しぶりに夜を過ごし、久しぶりに酒を交わした。
あまり顔を合わせなかった事もあり、会話はいつも以上に少ない。
それでも、互いに機嫌が良かった。広がった距離も、こんな事でまた縮まる。
多分どちらもそう思っていたはずだ。

夜中過ぎに、武蔵の携帯が音を立てた。

不思議そうに武蔵が出る。こんな時間に電話をしてくるよな女じゃない。
予定をしっかり聞かされていれば、それをとやかく言う事はしない。
ヒル魔が見聞きした女の印象からは考え難い時間の電話。
武蔵の顔がすぐに曇る。大丈夫か、今どこか、簡単に事情を聞く声が堅い。

電話はすぐに切れ、武蔵の片手が上着を取った。

「事故か」
「大した事、ねえらしいがな」
「どこだ」
「もらい事故らしい。ちょっと見てくる」
「今からか」
ヒル魔へ向ける武蔵の顔がほんの少しだけ眉尻を上げた。
「だから、行くんだろ」
当然だ、と言う口調にヒル魔は知らず目線を落とした。
「…………そうだな」

武蔵の顔から酔いが消える。それを見ながら猪口に残った酒を煽る。
急に何の味もしなくなる。ヒル魔はそれが顔に出ないよう注意を払った。

それなりの量を飲んだはずだが、ふらつきもせずに武蔵は靴を履く。
片足で立ち、踏み付けて潰れた踵を指で引き上げる。

「てめーも事故んなよ」
「当たり前だ」

そうしてようやく、武蔵がヒル魔の顔を見上げた。

「悪かったな」
「何が」
「久しぶりだったのにな」
「………別に」

そして、互いに言葉に詰まる。
武蔵が何かを言いかけた。
ヒル魔はそこから目を反らした。
発言を先に封じるような、ヒル魔特有のタイミングだった。

「すまんな」
「さっさと行け」
「また、連絡する」

どうでもいい、と言うようにヒル魔は軽く肩を竦めた。
ヒル魔らしいその仕種に武蔵の顔が少し弛む。そうしてヒル魔もまた目を合わせる。



ドアを開けるとそこから流れ込んでくる夜気が酒に火照った2人を冷やした。
じゃあな、と武蔵は小さくつぶやく。
ヒル魔は返事を返さない。
いつもの流れ。それでも2人には予感があった。

多分どちらもそう思ったはずだ。







武蔵は鈍感で、人の感情の流れに疎い。
驚く程鋭さを見せる時もあるが、大抵は天然でボケる事が多い。
ヒル魔は感情を表に出さない。武蔵に勘づかれるような事はしない。
なのに武蔵はほんの時折、もっともヒル魔が隠したい事のみを
馬鹿の本能で嗅ぎあてる事がある。

ヒル魔が一番隠したい事を。
ヒル魔が一番知られく無い事を。


押さえていたと思う。押さえられたと思う。
いつもそうしていた。今迄と大差なかった。
今迄気付かれた事は無かった。

武蔵が受けた電話の後の、ヒル魔の中での小さな動き。
それは言葉でどう表すのか、ヒル魔自身にも分からない。
動揺、嫉妬、虚勢、諦め。独占欲と敵対心。
誰もが持っているエゴの揺らぎ。幽かな気配。数瞬の弛み。
武蔵は、多分それに気付いた。

そして、武蔵がヒル魔に反応したようにヒル魔も武蔵の表情に気付く。

怒り、苛立ち、驚きと落胆。

そして、互いに気がつかされる。



武蔵の今迄が適当であって、今の相手はそれとは違う事。
これからも同じ空気と距離でいられると思っていた、それが互の甘えだった事。
暗に相手に要求していた、いくつかの事が食い違っていた事。

武蔵はヒル魔に甘えていた。
自分が何をしていたとしても、常にヒル魔は同じ距離で自分のそばにいるだろうと思っていた。


ヒル魔は武蔵に甘えていた。
武蔵が誰を選ぼうと、自分だけは特殊だという事。その場所は常に残るだろうと
自分に甘い過信をしていた。









多分、もう、会う事は無い。
ほんの少し前まであった、互の間にあったあの空気。
あの距離感がここで消えた。

例え顔を合わせても、もうそれはまったく別の関係だろう。
武蔵がヒル魔に、ヒル魔が武蔵に求める感情が変わるからだ。
ヒル魔が武蔵に、武蔵がヒル魔に要求していた何かが消えたからだ。


部屋の中に残る酒の香。
少し汗ばんだ武蔵の体臭。

ヒル魔は静かに息を吐き出した。
やりたい事はわかっている。
叩き割るように窓を開き、こもった空気を外に追い出し、目に入るすべてにこの感情を叩き付ける。
内から湧き出る破壊の衝動。強い感情。欲求と衝動。それと同時に存在する空虚さ。

気持ちが強ければ強い程。いかに自分が武蔵という男に依存していたのかが知れて笑える。
気が済むまで壊したとして、後に残るのは空しい掃除と、それでも手に入れられなかった悔しさ。
それを欲しがっていた自分の子供のような強いエゴ。

衝動が強ければ強い程、それはヒル魔の弱さを突き付ける。
内から壊れる程荒れる感情。薄い膜を通してそれらを冷静に眺めて観察している自分。


声1つ、出せなかった。
取り乱したくはなかった。
2人分の跡が残る机の上から目を背ける。
武蔵がいつも座っていた定位置の、むしられたカーペットの跡。
煙草の灰が焦がした跡。
ヒル魔の趣味ではない色のタオル。武蔵が持ち込んだ雑誌とつまみ。
カレンダーに残る走り書き。
テレビ欄の派手な赤い線。

何を見ても気持ちが悪くてヒル魔は立ちすくんだまま目を閉じた。
今、何を考えているのか。
今、何をどうしたいのか。

すべての動きを止めたかった。




破壊の衝動に狂いそうな、疲れて何もしたくないような、酷く混乱しているような中。
疲れている事だけは確かだろう。

今、どんな顔をしているか。

知りたくない。
見たくもない。
考えたくない。
わかりたくない。

取り乱すようで、けれどけしてそうはしない自分を少し離れた所で静かに眺めて小さく笑う。







喉が熱い。
喉が痛い。
喉が震えて頬が熱い。


今、自分が何をしているのか。
知らずにいられる方法が知りたい。



やまだ