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兄として長くそばにいるつもりだが、妹のヒル魔は時々理解に苦しむ行動をする。物事に対してこだわりを持ち、一度決めると頑として崩さない。少し面倒でかなり可愛い。そんなヒル魔にも苦手とする相手が雲水で、2人が喧嘩を始めると武蔵は黙って見ているだけだ。 2人とも頭が良く、口での喧嘩にはついていけない。最終的にはいつも雲水の「親」としての圧力が勝つ。理詰めやへりくつとズルさが混ざったソレの前にヒル魔は一応引く。どうしても引き下がりたく無い時には、阿含の膝上に飛び上がり手玉に取る。 小さな両手を首に回し、耳元で囁けば阿含は落ちる。自分に向けて怒鳴り散らすあの鬼のような顔がヒル魔の囁きだけでどろどろに崩れる様は、同じ顔には思えなかった。争いの図式は雲水と阿含に移り変わり、当のヒル魔はすっきりとした顔で武蔵の隣で鼻唄など歌っている。家族の図式と自分のポジションを、よくわかっているもんだと武蔵はいつも感心していた。
そんなヒル魔が風邪を引いた。見かけとは違いあまり身体が丈夫ではなく、季節の変わり目は体調を崩しやすい。発熱している状態でヒル魔が雲水に叶うはずがなく、頼みの阿含は仕事で帰らない。ベットの中で熱にうかされ、いつもより赤い顔と掠れた声と重い手足。何一つ思い通りに動かせなくて、ヒル魔はベットで癇癪を起こした。ぶつけられるのはいつも武蔵だ。
「でもなあ……」 ヒル魔の額に冷やしたタオルを乗せながらそう呟くと、腹立たしげにタオルを振払われた。これでもう何度目か、ヒル魔の枕元はタオルの水分や涙や汗でしっとり濡れている。いつもならば溜まった鬱憤を100倍にして罵倒するヒル魔だったが、喉の痛みがそれを許さない。膨らむばかりの不満を吐き出せず、熱がもたらす不快も加わり、ヒル魔の顔はぐしゃぐしゃだった。 「もう、いいだろ」 武蔵の顔を枕が直撃した。ヒル魔の枕はヒル魔の頭下。投げ付けているのは武蔵のものだ。枕を2つ必要としたのはこういう意味だったのか。拾え、と目だけで合図されて武蔵は大人しくそれをヒル魔の手元に置いてやる。 動いたせいだろう、大きく咳き込む背中をさすり、乱れた布団を直してやる。いつもは暴れてばかりの妹に兄貴風を吹かせられるのはこんな時だけだ。それほど気が効く方ではなかったが、ヒル魔が熱を出す都度雲水に看病を任せられて来た。だから今はもう目だけで何を言われているのか分かる。 布団の中からヒル魔がこちらをじっと見るのは何かの合図。少し温くなったポカリを差出し、口のそばに置いてやる。ヒル魔の眉が皺を寄せる。わかっている。欲しいものはこれじゃないんだろう。 武蔵はわからないふりをした。
ヒル魔のこだわりは武蔵の理解の範疇を超える。繊細なのだと当人は言うが、只の神経質と我が侭なんではないだろうか。ヒル魔がベットから動けない間に、多分雲水はアレを片付ける。毎年アレを片付ける時期を巡り、2人の喧嘩は果てなく続く。 縁起を担ぐのが好きな雲水と、何を思ってか我を張るヒル魔。毎年繰り広げられる春先ならではの風物詩だ。
ヒル魔の目は、武蔵に「居間でアレの番をしろ」と告げている。雲水がアレを片付けるのを阻止しろと命令している。
「ホントは今日片付けるのが普通なんだろ?」 ばす、と音を立てて枕が武蔵の脇に落ちる。普段は抜群のコントロールも朦朧とする意識ではまともに働かないようだ。薬が効いたのか、ヒル魔はそのまま布団に潜り込んだ。少し眠れば、ヒル魔も大分落ち着くだろう。そばにいろ、と目が言っている気がしたが、武蔵は布団をかぶせて部屋から出た。
居間では雲水がテレビの上から問題のアレを片付けていた。 「寝たのか」 「多分。雲水、それ、俺が片付ける」 「ああ、それじゃあ早めに飯にするか。ヒル魔は起きれそうか?」 武蔵は無理だ、と首を振った。苺ぐらいなら食べれるかなと雲水が冷蔵庫の中を覗く。子供の癖にと言われそうだが、ヒル魔も武蔵も甘いものが苦手だった。そんな2人が唯一好きな、苺の山盛りが目に入った。 「俺、いらねえ」 「お前の分はちゃんととってあるぞ」 「俺、いらねえ」 雲水が片付けていたモノを箱から出してそっとシャツの中に隠す。苦笑しながら雲水は、武蔵のそぶりに気付かないふりをした。
貧乏が悪いんだよな。多分。
雲水から少しだけ苺をもらい、武蔵は再び部屋にもどった。寝息をたてているヒル魔に近付き、ベットの棚から本とモデルガンを静かにどける。空いたスペースにシャツの中から取り出した物を並べてみた。ギリギリ空いた残りのスペースに、苺の入った鉢を押し込む。ヒル魔の看病は武蔵がすると言い張れば、雲水は部屋には入って来ないだろう。 普通の家ならばおしとやかに過ぎるだろう風物詩。武蔵の家で毎年行われる、もう習慣に近い大げんかの時期。今年は随分穏やかに過ぎそうだった。
早い時間に眠ってしまい、ヒル魔は夜中に目を覚ました。喉の痛みは大分引いた。汗をかいて気持ちが悪い。枕元を手で探り、固いものを引き寄せる。ペットボトルのキャップをひねり、中身を勢い良く飲み干す。闇に目が慣れて来てから、枕元を慎重に探った。無精というからしいというか、武蔵が看病するのは最初の内だけ。しばらくすると必要な物を枕元に並べ始める。乾いたタオル。ポカリのペットボトル。冷えピタの箱と風邪薬。そうして武蔵は少し離れた所で遊んでいる。本を読んだりゲームをしたり、時にはのんきに寝ていたりもする。 役に立っているのかどうか。 武蔵なりには気を使っている方だろう。ヒル魔はそんな武蔵のやり方が好きだった。 乾いたパジャマを探りあてて、思いきって身体を起こす。暗闇の中でもそもそと着替えると冷えた布が気持ち良かった。更に夜目に慣れ、ごっそりと置かれた品々を邪魔にならなない足下へ移動する。もう他には無いだろうと見渡した所でソレに気付いた。 普段本やら銃やらを置いている、棚の上にいびつな人形が2つ。
雛人形、だ。
蜷人形はとても高い。しかし可愛いヒル魔には買い与えたいと騒ぐ阿含に押し切られて、結果として雲水が木彫りでそれらしい物を作った。武蔵がまだ小学校に入る前の事らしい。既に随分年数がたったそれは、子供の家の宿命としてあちらこちらにガタが来ていた。お内裏様と称される側は首の付け根が一度折れ、阿含が無理に接着剤でつないだ。少しいびつな形の2体にそれらしい布が巻き付いている、雲水に言わせればかなりのがらくた。 ヒル魔が世間一般で言う「女の子らしい」行事にはあまり興味が無いとわかり、永遠に封印されるかと思われたそれは、しかし毎年日の目を見る事となった。当のヒル魔が頑迷に「飾る」と言い出し、居間のテレビの上に置かれる。 そしてヒル魔は、桃の節供が終わってからも片付ける事を断固拒否したのだ。
みっともないし恥ずかしいし、何より縁起を担ぐ雲水はきっちりとそれを3日の内には片付けたいらしい。阿含がいればなあなあで引き延ばせる。こんな時しか役に立たない阿含は今年は仕事で留守。情けなくも風邪まで引き、今年はもう仕舞われるのかと思っていた、雛人形。 脇にある器から苺をつまんで口に含む。まだ時期が早いのか、酸味が口の中に広がった。唾液が溜まり、何となく口の中が腫れている気がしていたから、余計にそれは美味しかった。
あっという間に器が空になり、ヒル魔はもう一度布団に潜った。 頭上にはいびつでよれた雛人形。 気持ちが落ちつくと、同時にまた眠気を感じた。目を閉じ、力を抜き、ぽかりと闇に落ちたその後も、ヒル魔の顔は柔らかく弛んでいた。
雲水が思う以上に、雲水とは逆の方向で、ヒル魔も「迷信」を信じている。
20080304
やまだ
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