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ぶっちゃけ武蔵の父のもんだと思う。 父が入院する直前に、 お前の方がそろそろ似合うと譲られた物だと思います。 武歳の父が若い頃に先輩大工から譲り受けたらしく 「そいつは縁起もんなんだぜ」という父が言う言葉はさておき 高級そうな仕立てぶり。 武蔵が生まれる前から使っていると言われる割には くたびれもしていない上質の皮だ。 母親が丁寧に保管をしていたらしく、武蔵が羽織ると丁度良い。 昔は親父もこんな服が似合う体格をしていたのか、と。 流れた年月が父親を小さく、そして武蔵を大きく育てたのだと 思い知らすような上着の意味に武蔵は短く礼を言った。
武蔵が知るジャケットの情報はただそれだけ。 ヒル魔は武蔵の母親から、そのジャケットの意味を聞く。
「あのジャケットはねえ、お父さんの一張羅だったの。」 当時を振り返り楽しそうに彼女は笑う。
生活も厳しく仕事も辛い事ばかり。 追われるように毎日を過ごす多忙な大工の生活は 背広のような一張羅とは全く縁がない。 けれどそれを必要としていた当時の父は 最初それを借りたのだと言う。
顔見知り程度でしかない武蔵の母が女学校から帰る途中に 武蔵の父がとある神社の境内に呼び出したそうだ。 さんざん言い渋った後に夫婦になってくれと言ったそうだ。 その時着ていた服が、この皮のジャケットだったと言う。
結局彼女は申し出を受け、後日そこで祝言を上げた。 きちんとした式をあげる程の余裕がないため場所は境内。 知り合い一堂がそこに集まり、満開の桜の下で皆に囲まれながら 互いに誓いを交わしあい、夫婦になったと彼女は語る。
「あの人は、桜の木の下で私に向って全然しゃべる事が出来なくて」
彼女はそれを思い出し、楽しそうに笑って語る。 ヒル魔は何度目かに聞いたそれらの話に静かに相づちを交えて聞いた。
武蔵が帰ってくるまで待たず、ヒル魔は工務店を後にした。 復学した後も武蔵はちょくちょく学校を休む。 放課後の練習にはそれなりに顔を出すから問題無いとは思うものの 武蔵が学校を休むとどうしても気になる。 ヒル魔の意識は武蔵がクラスメイトである事に慣れてしまった。 あれ程長い間を待てたというのに、ほんの数日でこのざまだ。 学校も休み、練習も休まれた日が続いた時にはふとここに立ち寄ってしまう。 自分の女々しさが情けなくて帰りかけると奴の母親に見つかってしまった。 適当に会話を切り上げ、家へと向う。こんな所を武蔵に見られれば 何を考えているのか見すかされそうで正直、早く逃げ出したかった。
自宅までまっすぐに帰れば途中で武蔵に会ってしまいそうで 会話の中にも登場していた神社の境内を抜ける事にする。 桜の名残りが風に舞い、葉桜に近い桜の大木の根元に立ち止まり、 当時の情景を思い浮かべる。
人前結婚とは名ばかりの野外で行われた2人の誓い。 着る物が無いと困った武蔵の父親に、その先輩という人がジャケットを譲ったらしい。 武蔵がそれを着ている姿をヒル魔は何度も目にしている。 どんなエピソードがあったのか、聞いていないらしい武蔵はそれを いたく気にいっているようだった。
「何やってんだこんなとこで」
ぼんやりと桜を見上げるヒル魔に、そんな声がかけられた。 よりにもよって、こんな時に。 舌打ちしたい気分で振り向くヒル魔の目の前に、例のジャケットを着た武蔵がいた。
「俺んちに寄った帰りか?」
遅咲きの、色濃い花弁が風に舞う。 仕事道具を片手にさげ、頭にタオルを巻いた姿で着ている物は皮のジャケット。 学校帰りのヒル魔は当然ながら制服のまま。 女々しい事だとわかっていつつ、都合の良いような曲解が始まる。
「別に。ここの寺に用あったんだよ」 「へえ……」
それきり武蔵は追求もせず、ヒル魔の脇で古木を見上げた。 武蔵の母親が言った言葉が耳の奥に蘇る。 共に木を見上げているのも馬鹿らしいと思うヒル魔は思い出した会話に合わせて 武蔵のそで口へ目を向けた。
「……破れてんぞ」 「あーー、やっべ」
『あの人はね、せっかく借りた一張羅なのに落ち着かなくていじっているうちにそでぐりの縫い目をほどいちゃったの。落ち着かなくなると指で何かをいじっちゃうのよ』
皮を縫い合わせている部分が、ほつれて糸を垂らしている。 糸を切ろうとしたのだろう。ヒル魔が止める閑もなく、無造作にそれを引っ張ったせいで ほつれは余計に広がってしまった。
『でも、もう、あたしに結婚しようって言うのに必死で。破いちゃった事に気がつかなくてね』
「またどやされんな……。大事にしろって言われてんだが」 「お前が扱い悪いからだろ」 「大事にしてるつもりなんだぜ?」 「大事にする奴はそうやって無理に引っ張ったりしねえだろ」
近付くヒル魔の鼓動が高まる。
『俺と結婚して下さい!って言われたんだけど、私もびっくりしちゃったから。すぐに「はい」って言えなくてね。指で破けた所を指さしたら、あの人笑って頭をかいて』
「……どうすりゃいいかな」
記憶と現実が綺麗に重なる。 「縫えばいいだろ」 声が震えていないだろうか。 「こういうの苦手なんだよ」 困ったように武蔵が頭をがりがりとかく。 二十年程昔にも、こんな情景だったんだろうか。 ヒル魔はぼんやりとそれを思う。
『あんまり困った顔で言うから、あたし思わず笑っちゃって。そのまま繕ってあげたのよ』
「お前、こういうの得意じゃねえ?」
『簡単に縫い合わせてあげてから、ようやく「はい」って言えたのよ。厳が最近凄くあの人に似てきたのよね。たまにあのジャケット着てる時なんて、ほんとドキっとするのよ』
「なあ、おい」 「…………縫ってやるよ。貸してみろ」
赤くなりそうな頬を意識の力だけで必死で押さえる。 バカな事をしていると思う。バカな事を考えていると思う。 叶えられない願望のために、現実を無理に重ねている。
鞄の中に入れっぱなしの裁縫道具を引き出す指が震えている。 袖を通したままの武蔵が差出す腕に、針を突き刺さないように気をつけながら 厚い皮を縫い止める。 こんな事に縋るだなんて。本当に俺は馬鹿みたいだ。
顔を上げれば、何かを口走ってしまいそうで。 ヒル魔はのろのろと手を動かした。 馬鹿な気持ちだとわかっている。
今だけ。今だけ、浸れればいい。
「なんだ、お前も下手だなあ」 脳天着な程あっけらかんとした武蔵の言葉にヒル魔は苦笑する。 冷静にその言葉へ軽口を返すためにヒル魔はゆっくり口を開く。 この、馬鹿みたいな女々しい感傷に少しでも長く浸れるようにゆっくり、ゆっくり。
ヒル魔はゆっくり口を開いた。
やまだ
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