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ヤツを押し込めたのは自宅に作ってあった地下室。 コンクリートで覆われて窓1つないその部屋は恐らく居心地悪くは無いだろう。 普通の人間を監禁するのと違い、食事の回数は少なくてすむ。脱水を起こさない程度の水分に、簡単なスープを添えてやる。その、両方にヒル魔は自身の微量の血液を混ぜた。 狩るべき相手に血を吸われたのは初めての事だ。 狩るべき相手を無傷のままで、手の内に引き込むのも初めての事だ。 耳にしていただけの「契約」に向けて、ヒル魔は慎重に手順を踏んだ。
これがヒル魔にとって破滅になるのか、契機になるのか。 それを思えば恐怖にすくむ。 それを思えば怒りに震える。 化け物などに、けして膝を屈するものか。 その思いだけがヒル魔を動かす。
亜種、ごときに。支配などされてたまるか。
虚をつかれたとはいえ、簡単に背後をつかれた屈辱と怒りが今のヒル魔を動かす。 あとは時間と、体力の勝負。
人間に亜種が産まれたのはいつのころか。 それは表立っては存在をゆるされず、ひっそりと闇の中を渡り歩いて生き延びていた。 人を補食の対象とする恐ろしい存在に気がついた人々は、対抗するための手段を探した。 亜種と人間の対決は、静かに始まり静かに続く。 劣勢一方になるはずだった人間が優位を保っているのは数のバランスと何世代にも渡る研究の成果と言えるだろう。 亜種に対しての探究は、彼等の弱点を浮き彫りにした。 それを的確に叩けるような、技術が歴代に受け継がれる。
亜種を捕獲する一族が産まれた。 大抵は亜種によって孤児にされた子供が一族をつないでいった。 格闘的な体術から、秘薬や道具の開発にまで、一族は狩る事を目的に技と知識を磨いていった。 長い長い歴史の影で、亜種に対抗出来るような力を持った子供も産まれた。 かけ合わせや投薬によって生み出された体質的な特徴は、劣性ながら遺伝した。 血脈の中にその特徴が埋もれてしまわなかったのは、一族の執念と進化の気紛れに他ならない。
ヒル魔はそんな血を受け継いでいた。
産まれながらに狩る事を義務付けられた特異な体質。 その特徴と使命を叩き込まれてヒル魔は育った。 同じ目標を体や本能に刻み付ける一族の中で、あまり良い扱われ方はされなかった。 ヒル魔が生まれながらに備えた体質は、一族の中でも軽んじられた。
『麝香(じゃこう)』と呼ばれる力がそれだ。
亜種は人間の血液を主食とする。そのために体臭などで血液が「良質」であるかを見抜くらしい。 その、嗅覚を刺激する体臭と美味と言われる血液を持つ。 この体質を持つものは一族の中でも稀で、その特徴の特異さに一族の中では軽んじられる。 まるで「亜種」のように扱われ、時には嫌悪の対象にもなる。
好きでこんな体になった訳じゃ無い。 ヒル魔はいつもそう思っていた。ひねる気持ちは悪意に変わり、まだ見ぬ亜種への憎悪に変わった。 そのための力であり、そのための体質だ。 誰よりも熱心に亜種を知り、己を知り、生きるために技を磨いて身を守るために知識を備えた。
亜種とは。 外見が人間と非常に酷似しているが、体内のつくりはまったく違う。 人間の体液をすするだけで生きるために消化器官が完全に異なる。 レントゲンをかければ「違い」ははっきりと確認できる。 灯りに弱く、夜を好む。活動のバイオリズムは月の周期に影響され、新月の時は人間に近い。 月齢15に個々の能力が最高潮に達すると同時に、意識もそれに引っ張られるらしく非常に好戦的になる。 身体能力が異様に高く、素手での格闘では人間は叶わない。
人間の体液が亜種にとっては食事である。 摂取しなければ餓死を意味し、他の食料は受け付けない。 医学的には代替出来ると見られているため、彼等の嗜好が体液以外を拒絶するらしい。 重度の依存症とも言える。 人間の体液に含まれる何かの成分が、彼等の「本能」を魅了しているらしい。
同様の作用は彼等にも言える。 食事と称して亜種が体液を啜る際に、微量の唾液が人間の体内に忍び込んで支配する。 強い催眠の効果を持つ。 時としてそれは催淫の効果も持つ。
一度でも亜種の支配を受ければ、人は意識の底から服従を誓う。 支配から逃れられず、自ら体を差出し悦ぶ。 食事の時は性交を交え、人は愉悦の中で死んでいく。
ヤツらは人を「家畜」と呼ぶ。 良質な体液を持つ人間は「牧場」と称して飼いならす。 命に影響が及ばない程度の微量の体液を定期的に摂取し、共生関係を作り上げる。
それは、ヒル魔にもよく似ていた。 麝香の体液は臭いで亜種を呼びつけて、吸わせる事で魅了出来る。 亜種に対してのみ強い依存性を持たせるらしく、それを利用して亜種を手下にする事も可能だ。 体質は虚弱であるが、亜種と同様に月の影響を受けやすい。 昼よりも夜に活動的になり、視力が弱く日光に弱い。 亜種と人の違いを、嗅覚で察知する事ができる。
この体質がどうして産まれたのか。一族でもタブーとされる公然の秘密が更にヒル魔の立場を劣悪にする。 自分の体の中に巡る、亜種の血脈を感じる時。 ヒル魔は地に爪を立てて世界の全てを嫌悪する。
亜種に対しての慈悲は持たない。 亜種に対しての情けはかけない。
亜種と分かれば即、殺す。 大抵の「麝香」使いがその体を餌にするようにヒル魔も臭いをちらつかせ、近付いた所を一気に刺した。 体液を与え、飼いならす道は選ばない。 触られるだけでもおぞましい。
亜種の持つ怪力を押さえるいくつかの道具を使い、ヒル魔は淡々と仕事をこなす。 それが当然の事であり、それ以外の道を考えた事はない。 共存なんてできる訳もなくそれを望む気も起きない。
見つければ、殺す。 気がつけば、殺す。
亜種は大抵ヒル魔に媚びる。 良質な体液を持つ人間は大抵「牧場」候補にあげられるからだ。 すぐに手を付けられる事なく本意を隠し、下手に出ながら近付いてくる。 今までは、そうだった。
分厚い扉の向こうの男。 名前を武蔵と名乗る亜種。 ドアの下にある小さな扉を注意深く開けながら、ヒル魔は食料を押し込んだ。 声は無い。こちらもかけない。
小さな窓から香る室内のかびた空気に怒気の匂いを強く感じる。
亜種に体液を奪われた。 何の予兆も察知させずに、突然後ろから襲って来たバカ。 吸われた量と無造作なやり方に、「殺意」を感じてヒル魔は驚く。 この「麝香」の体質に魅力も感じずない亜種がいると思っていなかった。 自身の嫌悪する体質を、過剰に評価している自分にも笑う。 とっさの事に対処も出来なかったのは相当に油断していたのだろう。
自分の体質が亜種を支配出来ると思い込んでいた脆いプライド。
致死にも近い量を奪われ、ヒル魔は意識を失いながらそんな自分を強く呪った。 死ぬ、と初めて思った瞬間。 体内に流れ込んで来た、強い意思のある体液。
死ぬのか、と思ってからわずかな後。 未だに亜種が自分を生かしている事に驚きながら、強く恥と怒りを感じた。 気力で男に「枷」をはめ、力を封じて従わせる。
一族の者が亜種に体液を奪われる事は死にも等しい屈辱だった。 麝香が忌み嫌われるのは彼等が支配を確立するために体液交換をする点にもあった。
亜種の唾液に含まれる催眠効果は強力だった。 体内に侵入したそれは神経を蝕み長く尾を引く悪性の麻薬だ。 その身に受け止め、初めてわかる。 能力を封じ、目さえ合わせていないというのにコンクリートにへだたれた奥から脳裏に囁きが聞こえる。
たとえヤツを殺したところで、呪縛からは逃れられない。
ヒル魔と亜種の立場を支配と服従の形に固定させるのは摂取した体液の量による。 麝香の体液は亜種を縛る。 同時に、亜種の支配にも非常に弱い。 一度体液を受け入れてしまえば、他の亜種からも支配を受ける。 不意をつかれて支配された他の麝香の哀れな末路は、いやという程聞かされている。
呪わしい、この体質。
食事を与え、ヒル魔は足早にそこを立ち去った。 生きるためには、支配しかない。 亜種の体液が持つ支配への耐性を手に入れるためには時間がかかる。 忌むべきいくつかの手段も必要となる。
呪わしい、この体質。
いっそひと思いに殺せれば良い。 それとも、死ぬ方が早いだろうか。 一度亜種に支配され、意のままに操られる事に魅了されれば、待っているのは生きる地獄だ。 想像するだけで竦む情景にヒル魔の体が冷たく痺れる。 それを回避するためには。なすべき事もまた屈辱が伴う。
いくつもの壁を貫き、脳に直接響いて来る、甘美にも感じる遠い囁き。 四六時中、誘惑するように寄せて来る波。 無駄な足掻き。 無駄な抵抗。 諦めて大人しく従え、と。魂を揺すり崩すような破滅への誘い。 気力を奪うような優しい誘惑。
亜種、ごときに。支配などされてたまるか。
屈辱と怒り、策略が失敗した未来への強い恐怖が今のヒル魔を動かしている。 あとは時間と、体力の勝負。 知略とかけひきの陰湿なやりあい。
死ぬのはイヤだ。 単調に囁く声に揺れ動く気持ちを固定されるためにヒル魔は繰り返す。 死ぬのはイヤだ。
生き延びてやる。
誰からも惜しまれない、誰からも望まれない、ただ自分のためだけのこの命。 最後の最後まで、あがいてやる。
AM5:53
やまだ
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