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木の上で。 ヒル魔はムサシさんのお家を眺めていました。今日はムサシさんがお休みの日です。朝から夜まで一緒の一日です。ぽんぽんと、肉球の柔らかいところでムサシさんを起こして。一緒に食べた朝御飯はとても美味しかったのです。 なのに。 どうして。
一緒にいたいのです。膝の上に頭をのせて、うとうととお昼寝をするだけで、楽しいのです。
なのに。どうして、こんな所にいるのでしょう。
家の中を動くムサシさんの表情は、ここからではわかりません。 どうやらおうちのお掃除をしているようです。
ちりちりと胸が痛みます。だけど、何が原因なのかわかりません。 ぢりぢりと頭の後ろが焦ります。だけど、どうすればいいのか分かりません。
今は、ちょっと喧嘩をしているだけ。すぐに元に戻れるんです。 ぎり、と歯ぎしりをすると口の中に鉄の味が広がります。もう、どうしていいのかわからなくて。ヒル魔は指の先のリボンをみつめました。こっそり、持ち歩いている秘密のリボン。元はピンクだったしわくちゃのリボン。ムサシさんが結んでくれた、大事なリボン。
わかっているのは、自分が苛立っている事。自分の何かに、苛立っている事。 言葉では説明できない、よくわからないものが膨れあがっている事。
例えば。 もしも、ムサシさんがいなくなったらと考えます。可能性の一つです。 想像するだけで身体が苦しくなります。 そうならないようにするために、どうすれば良いのかを考えます。 もしも、たら、れば。それは全部考えても意味が無い事です。 だって、可能性でしかないのですから。
今があんまり幸せだから、不安になります。 何かが起きるんじゃ無いか、というのは無駄な想像です。 でも。 一度考えれば想像は止まりません。 いっそのこと、何月何日に、おしまいと今から分かっていれば。 それまでを楽しくすごせばいいんです。 それから先は、あきらめれば良いんです。
ムサシさんに、この気持ちはさっぱり伝わりません。 それが当然です。それで、良いのです。 二人で恐いね、恐いね、と肩を寄せあっても。 絶対に離れないよと約束しても。いつか。何かが起こる時は。 そんな約束だって無意味です。 わかっているんです。自分がどんなにバカな事を考えているかなんて。
だから、ムサシさんに説明もしません。意味がないからです。 だけど、不安だけが残ります。ムサシさんにはさっぱりわけがわからないでしょう。 たとえば、そんな事。 忘れてしまうには不安が大きすぎて、説明するにはくだらなくて。 でも、不愉快だけは確実にたまって。大きくなって。
こんな気持ちをごまかしたいのです。 ムサシさんだけを考えていたくて。 こんな嫌な気持ちから逃げ出したくて。 リボンを見つめます。ムサシさんを思う気持ちで、真っ黒な心がピンクに染まるように。
リボンがにじんで、ぼやけてしまっても。眺め続けました。 左手の薬指に、ムサシさんが結んでくれたリボン。 きっと、そんな事を意識して結んだのでは無いだろうとわかっていても。 ぽたぽたと落ちる雫を含んで、リボンの色が変わります。少しだけ、濃くなるピンク。 ムサシさんが自分にくれたピンク。
大好きだ。とつぶやきます。 それだけは間違いないからです。
今、ヒル魔は木の上にいます。下から見上げても、わかりずらい枝を選びました。だから、普通はきっと、わからないでしょう。だけど。 しっぽを垂らしています。ふっさりとしたしっぽを、ぶらぶらと枝の下に下ろしています。 だから。きっとムサシさんはみつけてくれるはずです。それまでの時間を。ムサシさんの事だけを考えて、過ごそうと思いました。 他の事なんていらないから。
ため息をつきながら、ムサシさんは部屋を片付けます。 寝室のヒル魔の寝床をもちあげて、床のゴミを集めて行きます。 最近のヒル魔は少し変です。季節がそうさせるのでしょうか?でも、春は狼のラブシーズン。 一体、何があったのでしょう? もしかしたら、好きな狼でもいるのでしょうか。 そうなったら。止める事はできません。ヒル魔は、やりたいようにしか動かないのですから。 自分が捨てられる未来だけは、やけにハッキリ想像できて。ムサシさんは何度目かのためいきをつきました。
重たく沈んだ気をそらしたくて、本格的に部屋を片付けます。 いつもは手を出さないベットの下。ホコリが舞って、大変なありさまです。 奥の奥までほうきを突っ込むと。何やら手ごたえが違います。 なんでしょう。小さな箱がつかえているようです。 帚の柄でなんとか小さなそれをたぐりよせます。 簡単なつくりの箱は、振っても音がしません。あれ、かな。ムサシさんは頭をかきます。 用意していたけれど、まだ使っていないあれ、でしょうか。 覚えていなくてムサシさんは、箱を開けました。 とたんに。 箱から小さな布の切れ端がはらはらと床にこぼれました。
これは。 あの時の。
眠っている間にいろいろと遊んで。飾り付けて。目がさめて、ひたすら怒られた。 あの、リボンの切れ端ではないでしょうか? あっというまに捨てられて、とっくにゴミになっていたと思ったのに。 こんな所にあったなんて。 隠すように、とってあったなんて。
箱の中からは、色々なものが出てきます。 一緒に遊びに行ったテーマパークのチケット。 貸したきり、忘れていたボールペン。 みんなでボール遊びをした時、即席で作ったキックティー。 海で拾った貝殻。 ガスがなくなったライター。
ムサシさんは、床に落ちたリボンを拾いあげると。一枚一枚をていねいに箱の中に戻しました。 蓋を閉めて、ベットの奥のあったところに丁寧に戻します。
ヒル魔は、どんな思いでこの箱の中身を集めたのでしょう。 たまに引っぱり出しては、眺めていたのでしょうか。 正面から近付いてくればいいのに、こんな回り道をするなんて。 本当に、愛されているなあと思います。 自分が、どれだけヒル魔を大好きなのか。伝え切れていない気がしました。 伝えないといけないと思いました。 もっともっと、ヒル魔がムサシさんを好きという以上に。 俺も、お前が、大好きだと。 何度も言った気がします。 まだまだ足りない気がします。
知っていたはずです。森のみんなに怖がられているようなヒル魔が、 どれだけかわいらしくて。どれだけ恥ずかしがりで。
どんなに、さみしがりなのか。 いつもこの家を留守にしている時、どんなに一人で不安なのか。
ムサシさんは考えました。一所懸命考えました。 どうしたら、ヒル魔を安心させてあげられるのか。
自分がどれだけ、ヒル魔を大事に思っているのか。知らせたくて。
20040415
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やまだ
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