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2000年04月25日(火) [赤ムサシさん]最後

気が付くとあたりはすっかり暗くなっています。大変です。
今頃、ヒル魔はどこかで待っているはずです。
探しに行くのが遅れて。ひょっとしたら泣いているかもしれません。

慌てて外に出ると。
ドアの前に、ヒル魔が立っていました。うつむいて、ぽつんと立っていました。
肩に手を置くと、すっかり冷えきっています。
「今、迎えに行こうかと」
ヒル魔はうつむいたままです。
具合でも悪いのかと覗き込むと、顔ごとそらされてしまいます。
とりあえずおうちに入ってもらおうと、身体の向きを変えて促しますが。
ヒル魔は動こうとしません。
「おい?」
「家、直ったんだ」
「?」
「だから、帰る」
「おい」
きびすを返して立ち去ろうとするヒル魔の肩を掴みますが、ふりほどかれます。
「触るな」
「ちょっと待て」
「うるせえ、離せよ」
「なんだってんだ」
それにヒル魔は応えません。ただ、うつむいているだけです。
何を考えているのか、さっぱりわかりません。
「あのなあ」
ムサシさんはヒル魔の頬をぴたぴたと叩きました。
今朝はあんなに機嫌が良かったのに。あんなに楽しく過ごせたのに。
どうして、こんな風になってしまったんでしょう。
ヒル魔が俯いているのは多分、泣いていたからでしょう。
ひとりで、何かを思いつめるまで考えて、そうして結論を出しているのでしょう。
こうなると、耳を貸さないのがヒル魔の強いところで。
ヒル魔の弱いところだとも思います。
がりがりと頭をかいて、ため息をついて。ムサシさんはどうしようかと空をあおぎます。
考え過ぎるな、と言う事は簡単でも。ヒル魔にはそうは思えないでしょう。

「あのな」
今日一日。自分で考えて出た結論はただ一つです。でも。
それは正解なのか、わかりません。
ただ。今どうにかしてヒル魔をとめなければ。
次は無いかもしれないのです。

「あのな」
ムサシさんは、覚悟をきめました。無意識に手がヒル魔の顎をなでて。
耳の根元をわしわしと掻いてやって。
されるがままになっているヒル魔の肩に手を置いて。

「お前、俺と結婚しろ」
目に見えてヒル魔が身体をこわばらせます。
一日考えて、出した結論。ムサシさんは、じっとヒル魔の反応を見つめました。


今、このバカは、何を言っただろう。
身動きさえできなくて、ヒル魔はただ視線をムサシさんの足下に泳がせました。
こいつは。このバカは。
どんな顔をしているのか。恐ろしくて確かめる気にもなれません。
冗談だったら、真にうけている自分が滑稽だし。
本気だったら、笑えません。

バカだバカだとは思っていたが、ここまで凄いとは思わなかった。
何をどうしたら、そんな言葉を言えるんだ。
大体。一緒にいればそれで解決できると思っているだろうか。
そばにいりゃ、一緒にいれば。それでこっちが満足すると思っているのか。
そんなんで解決すると思ってるのか。

「あのな。色々あるだろ、お前」
ムサシさんの手のひらが、ぐりぐりと頭を撫で回します。
「俺にはわからねえけどな」
その目は、とても柔らかくヒル魔を見つめています。
「わかるまで、じっくりつきあうから。お前も俺につきあえ」
何も言えなくて、ただ、ムサシさんの足下を見ていると。
背中に腕を回されました。言われている言葉が頭の中をがんがんと回ります。
ヒル魔は、目を閉じました。
どうしていいのか、わかりません。
ぼす、とムサシさんに抱き締められました。
どうしていいのか、わからないのでその胸に顔をぎゅうと押し付けました。
こいつは、バカだと思いました。
何度も、心でくり返しました。くり返す程に、少し、ほっとしました。
こいつが、バカでよかった。
最後にヒル魔はそう思いました。

結婚しても。何も解決はしないでしょう。また、同じ様な事をくり返して、
何度も気まずくなるでしょう。喧嘩だってするでしょう。
でも。
それでもいいと、言われたのです。
それなら。
少しぐらいなら、バカにつきあってやっても良い。


だけど。すぐに返事をするのもしゃくなので。
どれだけ焦らしてやろうかと。ヒル魔はムサシさんにわからないように笑いました。
とても気分が楽になっているのは、悔しいけれどムサシさんのおかげです。
こんなに惚れているのに、大事にされて。
悔しいので、これから先。精一杯大事にしてやろうと思います。
ムサシさんが、悔しがるくらいに。
そう思うと。顔が赤いのが、わかります。耳の先まで、熱くなります。
きっと。ムサシさんはもうわかっているでしょう。
真っ赤に染まった耳を見て。
勝手に解釈するでしょう。
バカだけれど。そういうところは、察しが良いのです。
そういうところも、気に入っているのです。

一人と一匹は。それからしばらくしてお家に戻りました。
そうして。
少しごたごたして、少しぎくしゃくして、
とっても幸せな生活が、続きました。

今は昔のお話です。








昔むかし。
森の奥の小さなおうちに。一人の人間と一匹の狼が暮らしていました。
もう、随分と前の事です。

今では、そのおうちもありません。一人と一匹が今、どうしているのか。知っている人は、誰もいません。
随分、昔のお話です。

家があった場所は、いまでは草が生い茂ったただの広場。誰も訪れる事のなくなったその場所は、いまではひっそりと静まり返っています。広場の端に、見過ごしてしまいそうな、小さな土の盛りがあります。自然に分解されない色あせた布の切れ端が、いくつも、土と混じって見えています。
一本の大きな木の枝には。ぼろぼろの細いものが結ばれています。以前はなにか色がついていたかもしれません。雨風にさらされて、すっかり白けてしまった、細い紐。
その意味を知る者は、ここにはもういません。

一人と一匹が、しばらく住んでいた場所から。一匹がいなくなったとも。一人がいなくなったとも。一緒にどこかに行ったのだとも。森の動物達の話はばらばらです。

ただ。誰もが口を揃えて言う事には。

本当に、彼らが幸せそうだった、と。
楽しそうに、暮らしていたね、と。

それだけは、確かな話です。








おつきあいありがとうございました。

20050416
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