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| 2000年03月02日(木) |
[たとえ色褪せても] |
ぼんやりと武蔵は校庭を見渡した。 広い校庭に風が吹き渡り、それは黄色く土ぼこりをあげた。 誰もいないがらんとした空間と、それを囲む大きな建物。学生であるうちは、この場所がいつもざわめきに満ちている時間しか知らない。それは、卒業してはじめてわかれば良い事なんだろう。
春の気配を感じられない熱い、一日。 地面から立ち上る湯気が景色を歪ませている。初めは、そう思った。 照らされた足下のコンクリは空と同じ白さを反射している。 どこもかしこも眩しくて、一人ムサシは目を細めた。
気温は、初夏。少しずつ動く季節。けれど、武蔵の目には。 あわい光が風景に滲んで溶ける。 空は白く、浮かんだ太陽さえもそこに白く滲んで雲に溶ける。 肌で感じるのは、夏の日射し。 目に受けとるのは柔らかな春の日射し。
暑いですねと話し掛けられ、軽くうなずく。 まだ五月なのに、こうも日射しが強くちゃね。やってられないですよ。 若い男はそう言うと、額の汗を拭った。ぎらぎらしてますよね、今日は。 そうだな、と武蔵は答えた。 肩や背中に落ちている日の光は確かに暑い。 見上げた空は、こんなにも淡い。 それは、武蔵だけの風景。
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病院に見舞いに通う内に、何気なく医者と話をし、そうして通院をすすめられた。 家族には黙っていて下さいと頼んではいるが、ばれるのも時間の問題だろう。
建物から外に出ると、眩しくて目が開けられない。 建物の影にある物の影がぼんやりと定まらない事が多い。 明るい所では、物の形が滲み始めた。
「だんだんと、視野が狭くなりますよ」 その言葉に、武蔵は顔を上げた。こちらに目を向けようとしない医者の顔を見上げる。 「ここと、ここ。小さく影が出ているのがわかりますか」 はい、と武蔵は声を上げた。あげたつもりの声は、喉を小さく震わすに留まった。 やはりという気持ちが落胆を上回った。 業務的な説明は半分が耳に残らなかった。 目は---回復する事は稀だと聞いた---いつまで持ちますか、と問えば曖昧な返事しか返ってこない。 更に聞き返す気にもなれず武蔵は再び俯いた。 あと、どれだけの日々があるのか。 目の前に浮かぶ両親の顔、おどろくその顔、大した事はないと笑ってみせたところで解決はせず、せめて残された時間を有効に使いたくとも、ふとした衝撃でその日は明日にも来るかも知れない。 そのどうしようもない現実-----諦めでも落胆でも自嘲でもない、感情。 うなだれた武蔵に医者が言葉を切った。 「どうしますか。可能性の低い手術を無理にはすすめませんが」 ゆっくりと席を立ち頭を下げて部屋を出る。 ざわめきの満ちた待ち合い室を通る武蔵の耳に、すすり泣く母の声が聞こえた気がした。
武蔵が目を覚ますと、目の前に陽があった。 木陰にもたれ、誰もが午睡を味わっている時間。 武蔵は安堵の息を吐く。 「授業は」 「さぼった」 不思議そうに見下ろす顔は、随分と近い。他人に見られれば十分に誤解を生み出す程に。 「惚けたツラして、どうした」 金が離れて、こちらに背を向ける。 ついてこいという合図に、応じる気にはなれなかった。 「どうした……まだ寝たりねえか?」 閉じていた目蓋が開いても、視界はすぐには像を結ばない。金の揺れと声の大きさでかろうじて距離を掴む。声の主の表情が見えず、武蔵にはそれを喜ぶべきなのか悲しむべきなのか分からなかった。 微妙に歪んだ平行感覚が、幹についた手を離させない。不安が胸を侵食する。 目蓋を擦り、ふらつきながら木陰から出た。 白く褪せた光が差し込み、とっさに手をかかげる。 陽の元では、明るい色は全部が滲む。暗い中では、すべてが影に沈む。その繰り返し。 待っている彼はこちらを見ている。 言いたい事を全て飲み込んで。それより訴えたい事を、全て飲み込んで。
薄暗い室内に招かれて武蔵は少し安堵した。このぐらいが、今は一番視界が明るい。 閉め切っていた部室の隠った空気は不快だったが、入って来たドアはすぐに閉じられた。 するりと腕が伸び、武蔵に巻き付いてくる身体。 「なぁんか、やりたくなった」 伸び上がって耳もとでそう囁いた口が、ゆっくりと移動して顎に軽く歯をたてる。 その顔はすでにとろりと熱を帯び、慣れた仕種で口付けをねだる。顎に、口元に、頬に降ってくる柔らかなそれを追い掛けて角度がついたまま大きく口付けた。腕の中の重さが増す。甘えた、鼻息と押し付けられる腰の熱さ。 何も言葉を交わさず、ただ身体を重ねる関係。 こんな事が、あと何度続けられるだろう。 シャツの中に忍ばせた手のひらに伝わる汗ばんだ肌。 武蔵の頭の中にはそれだけがあった。
仰け反った身体が息を呑む。力なく足が床を滑り、反った背中が武蔵の膝にもたれ掛かった。 揺すり、揺すられ、声を殺す。 慣れた関係の慣れない快楽に、お互いが身体を震わせた。 武蔵の目の前で、白が揺れる。 血が身体を駆け回っているのがわかり、同時に、目が像を結べていない事を知らされる。 色素の薄いその身体は、全部が、白一色に染まり。全部がぼやけて形を濁す。 武蔵はそこに、脳裏で色をつけてやる。
やわらかくふわりとした白は、金。 その下に、2つの青。 蒸気して色付いているだろう、頬と目もとの、赤。 唇の紅。 淡い、薄紅の肌。 肩に残る沈んだ色は、緑。 はだけた肌にかかる細長い赤。 シャツは白。 陽に焼けない胸元に、色付いた2つの赤。
手のひらでそれを探り、指で刺激を与えてやると声の調子が変わる。 この声に色をつけるなら。それはどんな色が似合うだろうか。
声を詰まらせ、もう、出ると言う小さな呻き。 その終わりに合わせて、腰を揺らした。 ほとんど同時に精を吐き出し、脱力した身体が崩れる。 その、全部が濁って遠い。
あんなに何度も、近くで見たのに。 覚えていないもんなんだな。 指の先に、膝の上に、触れているあちこちに感じる熱。手を離しても、まだそこにのこる残熱。 けれど。濁った視界に、残滓は浮かばない。 こんなに、近いのに。
荒い息を耳もとに聞きながら、武蔵は目を瞑る。 全部が闇に溶けるまで、この視界はぼやけ続ける。 春の花霞みを思い起こさせるようなそれは、嫌でもあの春をちらつかせた。 腕の中の男は、何も言わない。 責める事も、突き放す事も。縋りもしない。 ただ、行為だけが繰り返された。
この男は怒るだろうか。この目の話をすれば。 泣くだろうか、それとも笑うだろうか。
そのどの表情も想像できない自分に自嘲する。 そばにいるのが当たり前だったのに。
思い出せるのは、その色。 陽に透けた金。 表情を豊かに見せた青。 よく動く紅。 そして。 色付いた肌。赤く、薄く、時に濃く。 頬を、耳を、目もとを、首筋までも、染めたあの色。
もしも世界から光が消えても。 この色を忘れる事は無いだろう。 薄い、赤。肌を滲ませる赤。
それが。 思い出せる蛭魔の全て。
------ 050510 <倉庫にモドル>
やまだ
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