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いつもの場所にヒル魔は急いだ。 急がないと、ダメなのだ。 幼稚舎の裏の、林の奥。 工事が中断するこの時間を知っているのは、今、ヒル魔だけではない。
まもりがみんなにあんな事言うから。
必死に走りながらヒル魔は腹立たしさを押さえられなかった。
裏の林の工事現場は、危ないから近寄っちゃいけません。
そんな事言われれば。みんな、興味を持つに決まってる。 そうして、あっという間に。「ムサシ」の事が皆にばれた。
正確に言うならば、「子供好き」もしくは「付き合いの良い」何人かの大人が遊び相手になってくれると言う事。釘や金具などの危険物がある工事現場に子供が立ち入る事は禁止されているが。そこを出てきた大人達と、子供達が遊ぶ分には問題ない。 子供達は、「男」で「大人」が大好きだった。 普段接している保母さんたちと彼らは違う。何度も体を使った遊びに付き合ってくれる。一度でも、複数の子供と遊んだ者なら覚えがあるだろう。うっかり一人を抱き上げれば。次は私、次は僕、と叫ばれる。こちらの体力など知った事では無い。全員を相手しなければ、彼らは騒ぐ。泣く。いいつける。ゆえに、知っている者達は子供と遊ぶ時に注意をする。 そうして、大工達はそんな事を一切知らず。ただ、ただ、タフで力があった。 どれだけせがまれても、にこにこと(もしくはため息を交えて)相手をする。 それが、子供達にはたまらない魅力だった。
林についたヒル魔は、いらいらと近くの木を蹴り上げた。 一番先に教室を出たのに。こいつらは、どうやってここに来ているんだ。 ムサシの肩では見知らぬ子供が歓声を上げていた。足下には何人もの子供がまとわりつき、次は僕だと騒いでいる。あの中に、入る気にはなれない。 自分は、あんなガキ達とは違う。 そう、思いつつ。 悔しいと思ってしまう。 まだ、ヒル魔だって一度もムサシの肩に乗ってはいないのだ。 なのに。 きっと、あいつはせがまれたんだろう、とか。寝ている所を乗りかかられたんだろう、とか。 あいつは隙がありすぎる、とか。 思ってみても、もう遅い。 ムサシは、ヒル魔に気がついてもくれない。 悔しい。 強く思い過ぎて、視界がにじんだ。 悔しい、悔しい。 スモックの裾で、顔をめちゃめちゃにこすりながら、ヒル魔は何度も地面を蹴りつけた。
「みんな〜教室に戻りなさ〜い」 遠くからの声に、ムサシはほっと息をついた。 子供は嫌いでは無いが、こうもまとわりつかれるといささか疲れる。いや、とても疲れる。 仕事の合間にちょっと遊ぶだけでも、体力は随分と奪われる。しかも、相手は子供だ。 足下でちょろちょろとされれば踏み付けないかと気を使う。 ヒル魔が、今日は来なかった。 あいつが来ると、不思議と他の子供達は寄って来ない。 かわりに、あいつがいないと。普段近寄れない反動なのか子供達の集中攻撃にあう。 その結果。ひどく疲れる。まだ、仕事が残っているのに。 最後の子供が名残惜しそうにこちらを振り返り、いつまでも手を振ってくる。お愛想でぶらぶらと手を振っていると。その、ムサシの頭上に塊が落ちてきた。
「ぅわあっ!?」 とっさに振り落とそうとして頭に手を伸ばすと、それは柔らかな体でしがみついてくる。 まだ、子供が残っていたのか。 「おい、あぶねえから降りろ!」 むちゃくちゃにしがみつかれ、ムサシの視界が遮られる。このままじゃ転倒してしまう。ムサシは慌てつつも、慎重に足場を確かめた。 「おい!ふざけるとあぶねえだろ!」 子供と言っても、十分に重たい。ムサシは見えないままに両手を伸ばし、なんとか体を支えられる木をつかんだ。必死だったために語気も荒くなる。頭にしがみついている子供はびく、とおびえたようにその手を震わせた。引き剥がそうと手を伸ばすと、噛み付かれた。 なんてやつだ。 「………おい」 少し、怒りもこめて声をかけた。 「降りろ」 「………………嫌だ」 小さな小さなつぶやき。でも、それは確かに知っている声。 絶対に降りてたまるか、という強い意志に支えられた手足はムサシの肩、首、頭をがっちりと固めている。 「お前、ヒル魔か?」 わずかに、そのこわばりが弛んだ。 「そうなのか?」 こく、とうなずく気配がした。 お前、そこでうなずかれたってわからねえだろ。と口にだしかけて。 わかったんだから良いかと、黙った。
こいつは、確かに噂通り賢いガキだ。出会って数回でムサシもそれがわかってきた。この年にして、理詰めで物事を判断できる。わがままと道理の差が、わかっている。それは、驚くべき賢さでもあり。少しだけ、ムサシは悲しいなと思う時もあった。 だから。こうしてわがままを通す事は珍しい。 「どうした、怪我でもしたのか」 木の上から頭をめがけて飛び下りたんだろう。目測を見誤れば大怪我にもつながるその行動にぞっとするし、下手をすれば自分も怪我をしていたところだ。下手に慌てるより、ヒル魔が自分から降りる気になるのを待った方が良いかもしれない。
落ち着くと、ヒル魔もしがみつく力を緩めてきた。無理に下ろさないで、様子を見ようと静かにしていたムサシは。とある匂いに気がついて、眉をひそめた。ふんわりと臭うのは、シンナー臭だ。あきらかに、頭上からただよっている。さらに。頭に巻いたタオルごしに何かを押し付けられているのがわかった。 こいつ。ひょっとして。 髪の毛にひっかかりながら、線を引くようにタオルの上から擦り付けられるのは。ひょっとして。 マジックじゃねえだろな。 力を抜いている今なら、無理に下ろす事も出来るかと考えたが。 一度はヒル魔を信じたのだ。諦めて、させるにまかせることにした。
しばらくヒル魔は、悪戦苦闘をしていたようだが。やがて満足げな声をあげ、もぞもぞと肩から降りてきた。手を貸してやり、地面に下ろしてやる。満足そうな表情は、目もとが少し汚れている。後ろ手に隠そうとしている物はやはりマジックの様だ。ちらとしか見えないものの、どうも油性らしい。狙ってやったのならその周到さをむしろ誉めてやりたい。 「何、書いたんだ」 「うるせえ」 タオルをほどいて見てみようかとすると、ヒル魔が睨み付けてくる。 なんだ。 一体何を書いたんだか。 取りあえず、黙って子供を見下ろしてみた。初めは嬉しそうにしていたものの、次第にそわそわと動き、ちらちらとこちらに視線を向けてくる。なんだ。 普通の子供と違う事をしでかしてくれるからな。こいつは。 「どうした?」 促すと、ヒル魔の顔がさっと赤く染まった。 「なんだ」 ヒル魔が突然、走り出した。幼稚舎に向かっているので、別に止めはしない。変なやつだなとその後ろ姿を見送っていると。くるりとこちらを振り返って大声で叫んできた。 「ムサシ!いいか!」 なんだってんだ。 「俺以外、頭にのせんな!」 ………………なんだってんだ。 後ろから、仕事だと仲間の呼ぶ声がする。 子供に。あんな小さな子供に、呼び捨てにされて。おまけに、命令された。 その辺のガキに言われたなら、それはさぞかし腹立たしいだろうが。 ムサシは子供の後ろ姿が校舎に隠れるまで見送った。どうしてなんだか、やたらと楽しい。 面白いやつだ。 頭のタオルをほどいてみたが、何がそこに書かれているんだかさっぱりわからない。 かろうじて、分かるのは最後の横棒。のばしてんのか、漢字の「一」か? その前は、平仮名か。カタカナか。 まあ、次に会った時にでも聞くか。 同僚の元に戻りながら、ムサシは汚さないようにそのタオルを畳んでポケットに押し込んだ。 ほどいた髪に、風が気持ち良い。 工事は夏まで続きそうで、それまでの間はどうやら退屈だけはしなくて済みそうだ。
良い知り合いが出来たと、ムサシは小さく、笑った。
050507走り書きですが。 >>[酸っぱい葡萄] <倉庫にモドル>
やまだ
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