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| 2000年02月10日(木) |
[大きな栗の木ノ下で] |
桜が舞い散る中。ヒル魔は校庭を走り抜けた。 今の季節は、少し走っただけで汗が出る。額を擦ると、手の甲がすべった。 軽い足取りで校舎の角を曲がって、そこでようやく一息つく。 ここまで来れば、もう見つからない。 教室はどこも静まり返っていて、自分を呼ぶ声はそこから聞こえない。 建物は日の光を遮って少しだけ風通しが良かった。 こんなに天気が良いのに。 部屋の中になんて、こもっていられるか。 風が心地よいのも初めのうちだけで、すぐにこもるような熱気にヒル魔は眉をひそめた。むわりと香る草木の香りが濃くなって、目の前にまばらな林が現れる。あたりをきょろきょろと見回し、ヒル魔は勝手知ったるその奥へとかけこんだ。
外から見ても簡単にはみつからない、ちょうど良く影の落ちる木陰を目指して。 そうして。その少し手前で歩みが止まる。ヒル魔の口から小さく舌打ちがもれる。 また、誰かいやがる。 自分だけのお気に入りの場所に最近、勝手に立ち入る人間が後をたたない。 おおかた、林の向こうの工事に関わっている奴らだろう。追い払ってもきりがない。 次から次に、新手が現れる。 今度は、どうやって追い払おうか。 土の上に大の字になって寝ている男。規則正しく上下する腹を見れば、そいつが熟睡している事がわかる。 初めの男は、木の上から顔にめがけて土を落としてやった。 次は、大口開けている所に虫を。あの時の慌て様は見事だった。 もちろん、こちらの正体がばれるようなへまはしていない。 水をかけてやったこともある。ただ、水を汲みに行く往復の時間がもったいない。 ヒル魔は、無性に眠たかった。 この天気だ。この木の下で眠れば、きっと気持ち良い。 だから、この男が邪魔だった。 また、顔に落書きでもしてやろうか。ポケットから油性マジックを取り出す。 けれど、これは速効性に欠ける。 どうしてやろうかと、腕を組んでヒル魔は考えた。
風がそよぐ。 気持ち良さそうに寝てる男が、だんだんと憎らしくなってくる。 近寄っても、目を覚ましそうに無い。 頭に巻いているタオルを水に浸して顔にかけてやろうか。 足下で眠っているその顔は、思ったよりも若そうに見えた。 ヒゲが、年をとっているように見せているのかもしれない。 腕を伸ばして顎をなぞった。ほんの少しだけのびたそれは、指に先にちりちりとあたる。 それは、面白い感触だった。指だけじゃなく、手のひら全体でなぞってみた。 小さな小さなたくさんの刺がざわざわと手を刺してくる。 気持ちよかった。 ヒル魔は両手を顎にのばした。じょりじょりという音が出る程、そこをなぞる。 しゃがんでそうしているうちに、だんだんと前のめりになって。 よろよろと前に頭がかしがった。 バランスをとろうと、手をついて。そのついた先に。開いた目がこちらを見ていた。
「なんだ、坊主」 低い声にヒル魔はびくりと体をすくめた。どなられるだろうか。 今までの男達は、姿を見せずに撃退してきた。けれど、今度は。 ヒル魔の両手は男の顔につけたままだ。走って逃げても、すぐに捕まってしまうだろうか。 そう考えると、腹がたった。 ここは、元々自分の場所なのだ。 「…………?」 「ここは、俺の場所だ」 震えないように、声を出した。 男の太いまゆげがぎゅっと、寄る。目が閉じる。寝たのかと思って覗き込むとその先でもう一度開く。 「坊主の、場所か」 男の腕がのびて、ヒル魔のスモックの端をつかんだ。小さな体は、それだけでぐらりとバランスが崩れた。すとん、と土に尻持ちをついてしまう。男の手は、そんなヒル魔の体をずりずりと引きずった。 驚いて声も出ないヒル魔の体を抱きかかえるように、床に寝そべらせ、男は体を少しずらす。 「場所とって、悪かったな」 そうして。 男は目を閉じた。硬直したヒル魔を抱きかかえたままで。 寝息が、本格的に深くなるのに時間はかからなかった。 ヒル魔は、しばらく体を固まらせていた。木々の間から見える空が青い。 背中の地面は、男の体温が残って暖かい。 巻き付いている腕は太く、重く、動く様子はない。 暑い、とヒル魔は思った。 いくら春でも。くっついて寝る気温じゃあない。 身動きがとれない。男の体にぴったりと触れていては、暑いより、熱い。 それでも、動けないヒル魔の意識がとろとろと溶けはじめた。 目蓋が重い。 時刻は1時を少し回った頃。 毎日の規則正しい習慣は、ヒル魔に眠れとささやいてくる。 こんな。暑苦しい場所なのに。 人に触られるのは大嫌いなのに。 なんで。こんなところで。
眠くなんか、ないんだ。 ただ。このバカが。俺をつかんで離さないから。 付き合ってやるんだ。
そんな、言い訳のような理由を見つけた頃には。男の寝息に小さなそれが重なっていた。
ムサシは、目を覚まして困惑した。 小さな子供が、腕にしがみつくように眠っている。 左腕が、妙な方向に押しやられて肩から先の感覚が薄い。 子供がもぞもぞと動くだけでびりびりと痺れる。 なんだ。 こんな所に、なんで子供が。 時間は、そろそろ休憩時間が終わる頃。 仕事に戻りゃなけりゃならないのに。子供は、腕にしっかりと絡み付いている。 どうしたもんかな。 ぼりぼりと頭をかいてムサシは呻いた。 すぐそばを歩いていた同僚を、手招いてみる。 ああ、そのガキ。 同僚は、笑って指差した。 裏の幼稚園のやつでな。脱走の名人だ。 男は、子供の事に詳しかった。 脱走してはこの辺で遊んでるらしい。敷地からは出ないし、えらく賢い子だってんで、保母さん達もこいつに関しては大目に見ているらしいぜ。 へえ、と相づちを打つムサシに彼は続ける。 で、ここがこいつの縄張りでな。勝手に寝てるとこいつがひでえいたずらして散々な目にあうらしいぞ。 男が上げた何人かは、そういえば何日か前に騒いでいたっけ。 中には、派手に顔に悪戯書きをされていた奴もいた。思い出して、ああ、こいつの仕業かと思う。 お前、気に入られたんじゃないのか。 ガキを幼稚園に返してきな、仕事はそれからだと言われ。 ムサシは、腕の中で眠る子供を見下ろした。 こんな、知らない人間の腕の中ですうすうと眠るなんて。 無防備にも程がある。今どき珍しいんじゃねえか。 賢い子っつうより、無鉄砲ってやつだろ。 ムサシは、目を開かない子供をしばらくそうして、観察した。 小さな顔はまだ日に焼けると言うこと知らない白。 鼻の先にほんのりと薄くうかんだソバカス。 細い細い髪の毛は光を透かすほどに色が薄い。 しばらく、観察して。それでも、起きない程熟睡する子供。
結局。どう揺すっても起きないその子を抱えてムサシは幼稚園を訪ねた。 子供特有の甘い匂いに満ちた室内では身の置き場に困り。 若い保母さん達にはヒル魔君の意外な一面ねと、微笑ましさに注目を浴びた。 そんな騒動の中でも目を覚まさず腕を離さないヒル魔を、保母の一人が強引に引っぱると。 眠い子供は、なぜか派手に抵抗を見せた。 意地でも離すもんかと爪を立ててムサシに抱きつき。 腕から離されると派手に泣きわめいた。 人見知りするこの子が、珍しいですねと。周りの保母たちに声をかけられるが。 慣れない場所での事柄に、ムサシはそそくさとその場を立ち去った。 ぎゃあぎゃあと、わめき、騒ぐ子供の声を聞きながら。
これが、2人のなれそめなのです。
050507 語り尽くせないよ。 >>[君の名は] <倉庫にモドル>
やまだ
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