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2000年01月03日(月) [泥の小鳥]

小鳥を拾った。学校の裏で一番大きな杉の木の下。
あまりに大きくて、子供達が登れない巨木。誰もてっぺんに辿り着いた事のない老木。
ここで一番大きな鳥が住んでいると言われていて。
けれど、武蔵がみつけた小鳥はとても小さく弱々しかった。

俺はこういう小さいのは手当てできねえ。
武蔵が困った顔で、ヒル魔の元にやってきた。
手のひらにハンカチをのせて、その中に横たえられた小鳥。
ヒル魔は少し武蔵を眺めて。
こいつは、何回言っても伝わらねえ馬鹿だなと思いながら。
その、手の中の小さな温もりを受け取った。
羽を広げて、脚を触る。骨が折れているようなので、軽く添え木を当ててみた。
「獣医に見せなきゃだめだ。俺はこんなの専門じゃねえからな」
「お前、器用だな」
相変わらず、人の話を聞かない武蔵はそう言って嬉しそうに笑った。
「聞いてんのか」
武蔵は机の中から辞書を取り出し、頑丈なカバーだけを抜き取った。
その中に注意深く、小鳥を差し入れる。
「元気になったら、放してやらなきゃな」
今にも名前を呼び出すんじゃ無いかと思う程にうきうきとそう言う武蔵を
バカにしたようにヒル魔は眺めた。
保護された小鳥。怯えながらも、暴れる事も無く。
じっと静かに体力を温存しているような小鳥。
見知らぬ場所で、少なくともその武蔵のぬくもりを信じているようなその態度は賢い。
自分にどこか重なる物を感じて、ヒル魔は教室の外に目をやった。

どこにおいておこうかと2人で相談し、使われていない体育倉庫があげられた。錆び付いた南京錠で閉め切られたその倉庫の窓に鍵がかけられていない事を、ヒル魔はよく知っていた。
都合良く集められた粗大ゴミを登ると、ちょうど屋根に近い窓に手が届く。
ヒル魔がひっそりと使っていたその隠れ家のような場所に武蔵は驚いた様子も見せず後ろをついて来た。聞けば、いつもこちらに走るヒル魔をおいかけて、何度かここを使っている所を見ていたのだと言う。気がつかなかった事とそこまで観察されていた恥ずかしさに、ヒル魔はバカじゃねぇのとそばの卓球台を蹴り上げた。



数日後。獣医の言葉どおりの回復を見せる鳥に思わず笑顔を向けながら、ヒル魔は武蔵を校門の前で待っていた。
毎日違う名前で武蔵が呼び掛けるために、未だに呼び名が決まっていない小鳥。
昨日はあろうことか妖一と小鳥に声をかけやがった。
早く飛び立ちたいとばたばたと羽を動かすために、箱は初めのものよりだいぶん大きい。
餌をよこせと手をつつく程に2人に慣れてしまった小鳥。
こうなってくると、子供にとっては手放しがたいものがある。
それをかかえて。掃除当番で遅くなる武蔵を待った。今日は、2人で獣医に行くのだ。

ふいに、人の気配を感じて振り返る。
武蔵だ、と思った自分を軽く罵った。クラスでも先頭にたってヒル魔と相性の悪い一群。
何かにつけて悪意にまみれたからかいを浴びせてくる彼らへのいつもの対処として、
軽く目線をやり過ごす。
独創性に欠けた、つまらない言葉が彼らから飛び出す。それをいつものように聞こえない振りをした。
目線を真直ぐに校舎にむけて、武蔵を探す。
数がいなければ何も行動できない臆病な奴等。教室でもきゃんきゃんと噛み付く事しか出来ないからと、ヒル魔は彼らを軽んじた。
いつものように、無いものとして扱えば良いと。けれどそれはヒル魔にしては楽観的すぎる判断だった。
からかいに耳を傾けないヒル魔へ、彼らはじわりと距離をつめる。
今、ここには。
彼らがもっとも気にしている「周囲の目」が無い。
いつもとは違う大胆な行動に、ヒル魔の変わらない態度が火を注いだ。

気がつけば周りを囲まれ。背後に校門を背負ってヒル魔は奥歯を噛んだ。
彼らがしきりに興味を注ぐ、箱の中の小鳥。
それをよこせと。
お前のような奴に育てられる訳がないだろうと。
なんたって、人殺しの子供なんだからなと。

言われて、横から飛びかかられた。
不意をつかれて、不様に地面に転がってしまう。
箱から飛び出した小鳥は、もがくように地の上で羽をばたつかせた。
せめて飛んで逃げれば良いのにと思う。
武蔵とヒル魔の2人だけの秘密を、他の誰にも知られたく無かった。
こんな奴等にだったら、尚更。触れられたくもない。
地面を這うように手を伸ばし、指の先で小鳥を引き寄せる。
乱暴に扱われ、鳥は容赦なくヒル魔の指に噛み付いた。
くちばしでぎりぎりとひねあげられ、ヒル魔の顔が小さく歪む。
それでも奪われないように手の中に確保して。
校門を出れば目の前は薄汚れたどぶ川。
その左右で彼らが退路を断った。憎らしい程の余裕をみせつけながら。

逃げ道を探すヒル魔の手の中で、あばれる小鳥。
ばたばたと羽毛が舞い、その量の多さにヒル魔の指が弛んだ。
鳥は、必死だった。
ヒル魔もまた、手放したくはなかった。
武蔵が可愛がっていた、小さな鳥。
ヒル魔の名前をつけて、からかってこちらの表情を伺っていた武蔵。
2人だけの秘密。
ムサシと自分を繋いでくれるたった一つの、接点。

弛んだ隙をついて小鳥は指を抜け出し。反射的にヒル魔は力を込めた。
そして。手に伝わる、嫌な感触。
音もなく、手に伝わる何かが折れる感触。
今までの比では無い程に、暴れ出した鳥。
けれど、明らかに動かない一部分。

逃げる事も忘れて固まったヒル魔に伸ばされる何本もの手。
反射的に逃げて。
そして、逃げ切れないとわかって。
ヒル魔は手を離した。
汚れて濁った川の上で。
小さなさえずりが水音に消える。
静かになる周囲。

そのまま、ぼんやりとヒル魔は立っていた。
手の中に残る、最後の感触。
確かに残っていた温もり。
思い出される、懐いていた頃の姿。
目の前をよぎる、羽毛。

呆然と。
ヒル魔はただ宙を揺れるそれを見ていた。
声も無く。
涙も無く。




気がつくと、武蔵がすぐそばに立っていた。
何も言わず、泥にまみれたヒル魔の鞄と空になってしまった箱を持って。
「あいつらがやったのか」
何も言葉が見つからず、ヒル魔は小さくうなずいた。
武蔵の顔を、見れるはずもない。
全部を見すかされているようで、ヒル魔はとっさに声を上げた。
「あの、鳥……」
「連れてかれたか?」
残念そうな声に、反射的に首を振る。
「逃げち、まった」
「そっか」
恐る恐る武蔵を盗み見たヒル魔は。
嬉しそうに空を見上げる表情をそこに見た。
「良かったな」
まるで鳥を探すように。
汚い川も、汚れた自分も、目に入らないように。
空を見上げている武蔵を。
ヒル魔は声も無くひっそりと盗み見た。




この街は、汚くて狭い。
淀んで、暗い。
早く武蔵が出て行けばいい。
こんな街に慣れる前に。
綺麗なままの武蔵でいて欲しい。

耳に縫い付けられている4つのピアスに手を伸ばした。
誰にも言えない、5つ目のピアスを指の先に感じて。
ヒル魔は声もなく泣いた。

自分が汚れる事は構わない。
武蔵が汚れないのなら構わない。

けれど。

武蔵が遠い。
汚れて欲しく無いという想いが強い程に。
手をのばせない距離がある。
声をかけてはならないと心が警鐘を鳴らす。
見ているだけでもそれは罪だと誰かが囁く。
なぜなら、お前は罪人だからだ。
握りつぶした手を持っているだろう。
たくさんの大人の声。
この町で生きてきた自分には慣れた光景でも。


この事を武蔵が知ったら。どう思うだろう。

顔を見る事も出来ずにヒル魔は武蔵の数歩先を歩いた。

「おい、待てよ。」
追い掛けて来た武蔵がヒル魔の腕をつかんだ。
最後に、小鳥を掴んでいた側。
背筋が凍って反射的にその手を振りほどく。
「なんだよ、血ぃ出てるぞ」
手の腹の柔らかい場所。
そこから流れる血の跡にくちばしの形を見つけてヒル魔は腕を背後に隠した。

ぱくぱくと口を開いて、閉じて。
それでも武蔵は強引に怪我の具合を調べようとするので。
空いていた手で突き飛ばし。距離を取った。
「何すんだ」
「……れに、触るなっ」
驚いて止まる武蔵を見る事も出来ず。ヒル魔は走っていた。

手の中に残る、小さなものが壊れる感触。
耳に響く嘲笑の声。
何を傷付いたふりをしている。
お前だけが汚れていないと思っていたのか?
生まれた時から、罪をかぶった子供の癖に。
浅ましい。
恥ずかしいね。
さすが、生まれが立派だと志も高い事で。
賢い子供の考える事は。さすがに違うね。



走りながらヒル魔は神様と唱えた。
とうに信じる事をやめたその名前。
自分に対して何一つ手を貸してくれなかった存在。
だけど。
助けて。
武蔵を汚さないで。

俺が、あいつに近付いても。

お願いです、神様。
俺はもう救いようがないけれど。
それでも、武蔵のそばにいたいから。

俺が、あいつを好きでいても。

あいつを汚さないで下さい。
あいつのそばにいたいんです。

家に向かって走り。すぐに涙も枯れて。
疲れて、走るのをやめて。
ばからしいという結論がすぐに出る。
そんな願いはかないっこ無いのに。

なのに。

後ろから走ってくる足音。
おおい、と声を上げてやってくる、あいつ。

逃げたく無い。そばにいたい。
離れたく無い。嫌われたく無い。

武蔵が追い付くまで。ほんの少し。
早く声をかけてほしい。すぐに手を伸ばして欲しい。
どこかであいつを汚すつもりかと囁く声。
離れるのは嫌だと泣き叫ぶ声。

川に落ちるべきだったのは。
自分の方だと思いながら。
足を止めてしまった自分に小さく泣いた。
武蔵が汚れてしまう事より。
自分の気持ちを止められない浅ましさ。

これが。
罪人の子供の何よりの証拠。








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<倉庫にモドル>


やまだ