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肩を支えてやらないと歩けない程にそいつの身体は定まらなかった。
車を降り、腕を引き、ふらつく背中を部屋の中に押し込むだけで、一仕事だった。 部屋の真ん中で、奴はごろりと寝そべる。 案外綺麗なんだなと言ったのは世辞のつもりだろうか。 ごろごろと転がりながら、居心地の良い場所を見つけたようだ。満足げに机の下に身体を潜り込ませた時にはその腕の中に酒瓶が抱きかかえられていた。 「おい、まず着替えろ」 素材もわからないほど汚れ、だぼついた上着を引っ張ると抵抗もなくそれは奴から離れた。 「てめえ、臭うんだ」 「先に飲ませろよ。俺はあんたの客だろ?」 ふざけるな、と武蔵は思った。 馴れ馴れしいにも程がある。 妙な節回しで鼻歌のような音を並べながら満足そうに瓶を口に運ぶ少年を、俺は軽く靴先で蹴り上げた。 思った以上に軽いその手ごたえに、これは「いつもの奴」だろうかと疑いが芽吹く。 「痛ぇよ、何すんだ!」 「先に風呂だ、気に入らないならさっさと出て行け」 少年は、壁にもたれてこちらを見上げる。 何度見ても見なれない汚れた奇妙な髪の色が目に刺さる。 俺は何度も自分に問う。これは、誰だ? 「誘ったのはあんたの方だろ。ちょっと有名だからって、偉そうに」 これは、誰だ? 俺はまっすぐに、少年を見下ろした。 少し、おびえたように奴は膝を抱える。 駅で見かけたのと同じ姿勢。膝の間に顔を挟め、力の抜けた身体を膝で支える。 「出て行け」 少年は、黙って床を見つめている。 椅子を所定の位置から引き、少年が目に入るように腰掛けた。 ぎし、ときしんだ音にびくりとこちらを見上げる目には先ほどの力はない。 「言い過ぎたよ、すまねえ」 急すぎる変化に、俺はもう一度自分に問うてみる。 これは、誰だ? 沈黙を、どう解釈したのか奴は、こちらを伺いながら再び棚に並んだ瓶へと手を伸ばす。 「酒が飲みたいなら、先に風呂だ」 両手に持った瓶と俺へと両方に目を向け、しぶしぶ手を離し。 そして、あっという間に服をぬぎすてた。 少年、と言うのは間違いかも知れない。 やせこけた身体はそれでも「少年」よりも更に先の成長の跡を残している。 「なあ、先生。やりたくなった?」 「ふざけるな」 再度蹴る仕種を見せると、少年は急いでバスルームに飛び込んだ。 ドアが閉まり、中からはやかましい水音が響いた。 その音に、耳を傾けながら。俺は、目を閉じる。 もう一度、考えるべきだ。あれは、誰だったのか。
ぼんやりと雑踏の流れに身を任せて歩いていた。 場所は新宿。誰かが消えても、誰も気にも止めないほどの人の数。 排泄物のように汚いものが毎日生み出され、垂れ流され、満ちあふれた都市。 そこを、俺は歩いていた。 細かい場所は覚えていない。
気がつけば、俺は立ち止まっていた。 何時のまにか人波からはじき出され、色の禿げた壁の前で我に返った。 そして。 視界の隅でぼろが動いた。 錆びてむき出しになった鉄柱の下。 ぼろきれに囲まれて小さな顔が覗いている。 人形か、と想う程にそれは動かず、小さく、そして整った顔だちだと思った。 あれ程、よごれているのに。 ひょっとすると、本当に人形かも知れない。 一歩近付くと、視界が揺れた。 ぼろの中の人形を中心に、世界がぐにゃりと歪んだ気がした。 ゴミに見えたのは、人形の服だった。 だぼついた上着は、その中身の姿を完全に隠す。 首だけが、差し込まれているのかもしれない。 どこかのマネキンが、捨てられているのかもしれない。 近付けば、足がわかった。小さく折り畳まれた膝の上に、ちょんと乗った顔。 その元は白かっただろう肌も、泥と煤で化粧をしている。 この街に似合いの飾り付けだ。 何も映さない暗い目がまるで穴のようだった。 黒では無い、よごれた土の色。それより、すこし明るい髪の色。 くすんだ山吹の様でもあり、火山灰の赤茶けた石のようにも見えた。 ぼろに間違えるのも無理は無く、それは人らしくは無い色だ。 近寄る程に、視界がくずれ、崩れる程に、人形ははっきりと形を示した。 とがった耳、ぶら下がる金属片、形の良い眉、そして。 目だけが、動いた。
ただ、目がこちらに向けられただけで。 この世界の何かが濁った。 背後のざわめきは絶える事もなく、その全部が一枚の幕を通して耳に届く。 どんよりとした穴が2つ、こちらを向いている。 耳の奥には奇妙な違和感。 沈黙に支配されているような重い空気。 たった一歩、近付いただけで。 目が、動いた。それだけで、そこに俺は異世界を感じて。 手を伸ばした。つもりだった。
多分、一瞬の事だったのだろう。 気が着いた時には人形の視線は元の位置へ向けられていた。 俺はただ突っ立ったままだった。 相変わらず辺りは汚く、汚れて饐えた空気に満ちている。 人形では、なかった。 子供が一人、うずくまり、誰もそれに気を止めようともしない。 ただ、それだけの風景。
俺は、声をかけた。何を話し掛けたのかは覚えていない。 何ごとかを話し掛け、肩を揺すってからその子供を抱きかかえた。
立ち上がれば、それは意外に大きい。 男なのか。女なのか。年の頃もはっきりしない。 そして。 話し掛けた俺を見上げる淀んだ視線。 立ち上がって、すぐに床を這った目線。 その、間に。 瞬間、ゆがんで笑った口元。
それが、すべての始まり。
イラストはアタリさんから。
倉庫にモドル
やまだ
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