言の葉孝

2010年03月28日(日) 東海道踏破の旅(7)

 この土日に東海道に行ってまいりました。

 今回はなんと、二人旅でございます。

 前からのこの旅を他人をどう感じるのだろうと興味はありましたので、とても楽しみでした。
 ……と思いきや、初日朝に一緒に行くはずの友人が集合時間に「今、起きました」と連絡が。うおぃッ!

 しばらく鶴橋で待つことになったのですが、この時間(6時〜7時)はどこも開いていないようでした(西口付近でうろついたのですが、コンビニすら見つけられませんでした)。
 しかし、7時には友人が到着したので、1時間遅れで早速出発。

 前回たどり着いた金谷までは名古屋まで出てから東海道線に乗るのです。
東海道線は「浜松」を区切りにしているので必ずそこまでで一度は乗り換えなければならず、かなり手間がかかります。
 今回はなぜか電車が込み合っており、中々座れなかったので、金谷までつく2時間弱の道のりは少し辛いものがありました。

 そして日が大分高くなってスタート地点「金谷」にたどり着いたのが11時でした。

 心の計画ではこの後、大井川鉄道を一往復乗りつぶしてから、と考えていたのですが、二人とも、すでに電車に疲れてしまって、一刻も早く歩き始めたかったので、大井川鉄道に乗るのは止めにしました


○「金谷」⇒「島田」⇒「藤枝」

 電車を降りた僕たちは、戦国時代ファンの友人の希望で東海道を少し戻って、「諏訪原城跡」を見に行きました。
 大阪城のように観光地仕様に建て直された天守閣などの建物は一切なく、一見、ただの草原です。ただ、深い堀などがほぼすべて残っており、要塞がそこにあったことを実感できる生々しい跡をみることができます。
 みている間、友人から赤備えの話や、武田家、北条家、斉藤家の3家の関係の話などいろいろ聞くことができました。

 「金谷」はポツリポツリと、昔ながらの店の並ぶ商店街という感じ。大井川を渡るための川越し場跡を通り、大井川橋を渡れば「島田」。
 大井川橋を渡るとき、おっかなびっくりだった友人。なんでも橋が崩れる心配で緊張してしまうタイプの高所恐怖症だったようです。
 ちなみに僕は手すりや柵のない、崖状の道が怖いタイプ。だって吸い込まれそうだし、用意に転がり落ちるのが想像できるのですもの。

 大井川を渡ってすぐの「島田」の渡し場跡はかなり東海道色を前面に出しており、短い距離でしたが、川会所や札場などの古い建物を再現、保存して昔ながらの街並みを再現しておりました。(もっとも本陣を含めた宿の中心部はほとんど唯の商店街でしたが)

 あとはほぼまっすぐ歩いて行くだけで「藤枝」に到着。なんでか「藤枝」の駅前は妙にクラブの類が多かったです。


○「藤枝」⇒「岡部」⇒「丸子」⇒「府中」

 「藤枝」自体はそれほど東海道を表に出した街並みではないのですが、昔ながらの商店街が妙に風情のありました。昭和の香りのする時代劇の広告がペイントされたシャッターとか印象的でした。
 「藤枝」の名物は「サッカーまんじゅう」らしいのですが。店はすべてしまっていたので実物は見られませんでした。そういえば、静岡といえばサッカー王国で、今回渡った川の河原には必ずサッカー場がありました。
 ほぼそのまま道なりに歩き、藤枝バイパスをくぐると「岡部」へ。

 「岡部」は特筆するようなところはなかったのですが、農家が多いのか野菜の自動販売機や家の前にでん、とデコポンや野菜などを置いて直販をやっている家が多く見受けられました。
 その中でたけのこの販売もしている家もありました。一軒しか見受けられませんでしたが、このへんの特産で、しかも季節の食材なので、撮影しなかったのが悔やまれます。

 「岡部」〜「丸子」間には「宇津ノ谷峠道」という峠を越えるルートがあり、今ではトンネルで直線で結ばれていますが、ちょっとした難所です。
 「つたの細道」と呼ばれる1号線からでている道から外れたところが宇津ノ谷峠の始まり。完全に山道で舗装もされていないので大変歩きにくいです。
 最初、「つたの細道」を探すのに少し戸惑う場面があったのですが、すれ違った松葉づえをついた片足の御仁に利いたところ、正しい道が分かりました。その人も東海道歩きっぽかったのですが、あの難所を松葉杖で越えてきたのは見上げた根性の持ち主です。片足を失っていたのに非常に朗らかな様子だったのが印象的でした。

 宇津ノ谷峠にはいろいろな逸話が残されているのが見て取れます。
 作り話ですが「蔦紅葉宇津ノ谷峠」という話は盲目の弟の将来を心配して、姉が身を売ってまで作ってくれた百両をもって弟は京に旅立つのですが、その帰り、この宇津ノ谷峠の地蔵堂前で大金に目のくらんだ賊に弟は殺されてしまう、という悲劇です。
 また、俳人の師匠が四十年も連絡しないので死んでしまったと勘違いした弟子がうっかり墓までつくってしまったのですが、実はその後もその俳人は本をいくつも出していたというオチ付きの話、名物「十団子」の由来であるあることから人肉の味を覚えて鬼になってしまった小僧と、それを退治したお坊さんの話などがあります。
 「宇津ノ谷峠」は宿と宿の間にあるあいの宿でもあり、峠を降りた跡あとには集落っぽい街並みが広がっていました。
 峠を降りた後、まっすぐ歩いて行くと「丸子(まりこ)」につきます。

 「丸子(まりこ)」にはとろろ汁で有名な店があり、お昼時だったのでそこで昼食をいただきました。地図ではそんなに飲食店もなさそうなので、念のためコンビニで食糧を調達しておいたのですが、無駄になってしまいました。
 「丸子」から雨が降ってきました。まったく予想外だったので、あわてて携帯でコンビニを探し、近くのミニストップで傘を購入。こういうとき、携帯は便利だと思います。
 丸子といえば、日本産の紅茶の発症である丸子紅茶の地としても有名らしいです。前回の「日坂」でも「べにふうき」という国産紅茶用品種も栽培されています。
 丸子を抜けると安倍川を渡ります。
 安倍川は「あべかわ餅」発祥の地。砂金が取れたことから、「金の粉」とかけた「きな粉」をまぶした餅を徳川家康に献上したところ、大層気に入られ「あべかわ餅」と自ら名付けたと言います。
 そういうことから、安倍川を抜けた直後はあべかわ餅の販売する店が並んでいます。

 そこから市内に入ると「府中」。府中にあるJRの駅は「静岡」。つまり静岡県の中心地ということでかなりのにぎわいを見せていました。
 3,4件の映画館が集中しているところが特徴、になるのでしょうか。また、大阪では大抵雨で自転車は傘をさしながら乗るというスタイルが、不本意にも、定着していますが、こちらでは雨合羽をきて漕ぐのが一般的なようです。(これは学生だけなのかしら)


 今回の旅はここまで。
 二人旅のことはあまり書けなかったのですが、友人にはかなり助けられ、僕一人では道を間違えていたところを、友人のおかげで今回はほぼ迷うことなく全行程を順調に終えることができました。
 また、話しながら移動できるので歩くことの辛さがかなり緩和されました。
 また是非連れて行きたいのですが、友人の反応は正直なところ「カンベンしてほしい」という感じなので、あまりお勧めはできないですな。体力的には僕の方がボロボロだったのですが。

 また、今回の旅は桜の見頃にあたる時期だったので、歩く先で桜が咲いているところが見られました。
 特に、宇津ノ谷峠などでは見晴らしがいい場所の眼下に桜のさく公園が一望できました。見上げる桜もいいですが、見下ろすのも味があります。
 そんな感じで、桜の名所を歩き渡るのは何となく贅沢で、風情が感じられました。

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