言の葉孝

2010年01月11日(月) 東海道踏破の旅(5)

 今月の目標の一つである五ヶ月振りの東海道踏破の旅、この三連休を利用して行ってまいりました。

 今回の道程は二泊三日で「岡崎」⇒「藤川」⇒「赤坂」⇒「御油」⇒「吉田」⇒「二川」⇒「白須賀」⇒「新居」⇒「舞坂」⇒「浜松」で総計62.3キロの旅でした。
 数えてみて意外に少ないですね。お盆にやった時は100kmに迫る勢いだったのですが。
 といっても、ペース的には一日25�辧△粘欅貽�歩けたのが中一日だけだったので、仕方がないかもしれませんが。最終日、帰りのことも考えたこともあって、お昼には切り上げたこともあるでしょう。


○「岡崎」⇒「藤川」⇒「赤坂」⇒「御油」⇒「吉田」

 この旅では、僕と同じ東海道歩きニストと思われる人がたくさんいました。
 中には同じく西から東に東海道を“下り”で歩いている人もいまして。

 比較的ここまでは来ている人が多いのでしょうか。

 「藤川」⇒「赤坂」間には法蔵寺というお寺があります。僕は普段、東海道面して点在している神社仏閣は大抵通り過ぎることにしているのですが、ここは入りました。
 なぜかというと、近藤勇の首塚があるという話があったからです。ミーハーな理由で、罰が当らんか心配です。
 まあ、首塚といっても、「誠」の旗がはためいて、胸像があるくらいだったのですけどね。

 ただ、松平家(←徳川家の元の血筋にあたります)のお墓や、空海が作ったとされる六角堂があるあたり、このお寺、かなり格の高いお寺なのではないでしょうか。

 「御油」⇒「吉田」では途中で日が暮れてしまって、かなり後半辛かったです。
 途中でお腹が空いたのですが、なかなか食べ物のお店がありませんで、途中で見つけたラーメン屋の有難かったことといったら。
 東海道はメイン道路ではないので、今では飲食店、コンビニの類はかなり貴重です。店に入るタイミングを逸したばかりに食糧難に陥ったケースは、これが初めてではなかったりします。

 入る前までは、この日はドロップアウトしてどこか近くの駅から宿に行こうと考えたのですが、やっぱりお腹が満たされると気力も違いますね。なんとか、「吉田」までたどり着きました。

 ところで「吉田」であった、豊橋は相当大きな宿場で、飯盛女(←ご飯のお伴をしつつ、夜のお世話までする女の人)が呼ぶ声が歌にまでなっているくらいだったらしいのですが、今では「マッサージ、要ルカ?」と日本語のおぼつかない女の人に声をかけられるばかり。

 ……時代は変わりましたねぇ。


○「吉田」⇒「二川」⇒「白須賀」⇒「新居」⇒「舞坂」

 実は記念すべきことに「二川」⇒「白須賀」間にて、愛知県から静岡県に入りました。

 困ったのが「白須賀」。飲食店の類が全くないのです。
 昨日、「御油」⇒「吉田」間でひもじい思いをしたばかりなので、非常食としてパンを買っておいたのですが、まさか本気で役に立つとは。

 そこから道を間違えて国道42号線を歩いていたのですが、浜名バイパスが通ってから景気が悪かったのか、店はあってもほとんどが廃業している有様でして。

 「新居」⇒「舞坂」間は新幹線と東海道線と並行して歩く形になるのですが、貨物列車などレアな列車が通る関係か、“撮りテツ”(←列車などの写真を撮ることをメイン活動とする鉄道マニアのこと)もいくらか見受けられました。

 いつも使っている「東横イン」は「吉田宿」にある豊橋にしかなかったので、予約してなかったのですが、さすがに浜名湖を売りにしたリゾート地とあって「新居」⇒「舞坂」間にはたくさんの釣り宿などがあって、そっちを使ってもよかったなーと後悔したり。

 「舞坂」では、新海苔が有名らしいです。「東海道五十三次ガイド」では堀江商店か堀内商店で買えると書いているのですが、この堀江商店。小さな街道に三,四件店があったのが印象的でした。

 浜名湖といえばうなぎが有名です。僕も食べてみようとおもっていたので、舞阪についたら駅前あたりでうなぎ屋を探そうと思ったんですね。
 ところが素人の浅はかさという奴でしょうか、舞阪は観光客に利用されるような駅ではないためか、周囲はほとんど店などなかったんですね。
 「白須賀」から「舞坂」まで飽きるほどうなぎ屋を見てきただけに残念です。(本当に数えておけばよかったというほど、うなぎ屋が存在します)

 この日は昼も非常食のパンでしたし、とことんまともな食べ物には縁のない日だったようです。


○「舞坂」⇒「浜松」

 この日はただ歩いただけみたいな感じですね。途中にあった「二つ御堂」がちょっとおもしろかったくらいです。

 藤原秀衡(ふじわらのひでひら)が遠い場所で大病を患ったという話を、愛妾が聞いて、彼女は秀衡のもとに向かいます。ところがその旅の途中、秀衡がなくなったと聞くのです。
 それで、秀衡を悼んで、愛妾は御堂を建てたのですが、実は亡くなったという話は誤報でして秀衡は生きていたのです。秀衡は、作られた御堂で愛妾のしたことを聞いて、感謝の気持ちを込めてもう一つ御堂を作り、いまの「二つ御堂」が出来たのでした。

 主役である浜松宿は、東海道であることをあまり気にしてないのか、あまり歴史的に見るべきものはなかったですね。

 駅に行ったときに「楽器博物館」があるという表示で気がついたのですが、浜松って何度も聞いたことのある名前かと思ったらYAMAHAの本拠地ではないですか。
 友人がここで調律師の勉強をしていたこともあって、こんなところまで来たんだなぁ、としみじみ思ったり。

 でも、ここまで来てもまだ半分も行けてないんですよねぇ、実は。






【1月度目標進捗率】

��SJC-Pの合格

全問題 230
やった 44
やった率 19.1%
できた 31
できた率 13.5%

 変わらず。休み前にやってことが抜けてないか心配です。

�∈7鄰罎飽貪拇豎て擦暴个�ける

 達成。予定通り出かけました。


��“まほゆめ”を最新の一話を書ききる。

 進捗率0%。この旅の途中で少しは書こうと思ったのになぁ。

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