言の葉孝

2005年06月22日(水) 古英語について話す日

 前回は英語支配の現状でどのような事が起こっているのか、という説である『英語帝国主義』について発表しましたが、今回からは過去に目を向けて、英語が発生し、近代英語として発展して、世界に広まって行く様子を追って行こうと思います。
 今日はその触りとして、古英語が発生し、中英語へと発展するまでの歴史を大まかに調べてみました。ちょっとした手違いで時間が足らなくなってしまったので、読んだ本は一冊のみです。
 PHP新書から出版された渡部昇一氏の『講談 英語の歴史』。この間「新しい書物」という意味ではないことを知ったばかりの新書ということで、学術書ではありません。だから、執筆に際して使用された資料が公開されていないのでありますが、中身は非常に興味深く、英語史の入門書としては丁度イイかと思われます。

1、古英語が成り立つまで

○英語の最古の語源:インド・ヨーロッパ祖語
 今現在認識されている限りで、最も遠い英語の祖先とされているのが『インド・ヨーロッパ語祖語』と呼ばれる言語です。この言語を概念的に発見したのはウィリアム・ジョーンズという語学に優れたイギリス人で、ジョーンズ氏はある日、サン話していたのは黒海付近に住んでいたある集団で、彼等はインド、イラン、あるいはヨーロッパに移動して行き、ヒンドゥー語、ペルシャ語、ヨーロッパ諸言語へと変化していったのだ、と推測されています。

○ 英語に繋がって行くゲルマン語派
 インド・ヨーロッパ語族のうち、ヨーロッパ北部に移った人達をゲルマン語派といいます。彼等の話すゲルマン語は次第に地域によって西、東、北ゲルマン語に分裂、英語はこのうち西ゲルマン語の出身で、ここからはドイツ語、オランダ語等も生まれたと推測されています。
 この西ゲルマン語族の中にいたのが「アングル人」と「サクソン人」です。アングル人はユトランド半島の真ん中あたりにあるアンゲルンサクソン人が優勢でしたが、彼以後は、アングル人が逆転し、彼等の話す言語が「アングリアン」、国の名前も「エングラランド(アングル人の住む国)」と名付けられ、それが後の「イングリッシュ」「イングランド」に繋がって行く、つまりここからが古英語の時代となるのです。


2、古英語の時代(4世紀半ば、もしくは7世紀〜12世紀初めまで)

 ○最初期の古英語
 5世紀半ばにアングロ・サクソンが現イギリスに渡ってくる以前から、ここには先客がいました。ケルト人です。アングロ・サクソンはフン族に追われてイギリスに渡ったという話ですが、彼等がここに渡った理由にもう一つ有力な説があります。
 当時、ケルト人はユリウス・カエサル率いるローマ軍の支配によってローマの影響を受けたケルト人とそうでないケルト人がいました。ところが、ローマ本体が危うくなったローマ軍は、イギリスから引き上げていきます。そこに、非ローマ系ケルト人がローマ系ケルト人に襲い掛かり、脅威を感じたローマ系がゲルマン人を呼び込んだのです。結果的に、ローマ系ケルト人は守られることになったのですが、今度は呼び込んだゲルマン人、つまりアングロ・サクソンに支配されてしまいます。
 そういう理由から、当時のイギリスでは先着のケルト人の言葉より、支配者であるアングロ・サクソンのゲルマン語、つまり古英語が主流になるのです。古英語、オールド・イングリッシュは現在の英語より、ゲルマン語の影響を色濃く残したドイツ語にほど近いものであったと言われています。

 簡単に特徴を述べるとすれば、先ず第一に「冠詞が18もある」こと。英語はthe一つ、対してドイツ語は16です。さらに「不規則動詞が多いこと」。今でもgo-went-goenのように残っているのもあり、受験の際には泣きを見るのですが、これでも当時にしてみると氷山の一角だったようです。あと、現在のヨーロッパ諸言語によく見られる現象の通り、「名詞に性別がある」というのも一つの特徴です。さらに、当時はアジアの漢字のような表意文字のように、スペルを見るだけで直感的に意味が分かる、より語源そのものの言語だったのです。だから、ドイツ人にとっては古英語というものはとても親しみ易く、簡単な言語なのだそうです。

 ○古英語の変遷
 無論、古英語オールド・イングリッシュは中英語ミドル・イングリッシュと呼ばれるようになるまで全く同じ形態のままでいたワケではありません。大陸からイギリスに渡るのは比較的容易であるため、アングロ・サクソン程の大規模ではないにしろ、様々な人々がイギリスを訪れ、そのたびに古英語に外来語、外来表現が増えていったのです。
 古英語の変遷の要素は大きく分けて二つあります。その内の一つが「キリスト教の布教」です。イギリスにおいて本格的にキリスト教の布教が行われたのは597年、カンタベリーにやってきた聖アウグスティヌスによってであります。アングロ・サクソンにキリスト教が浸透するにつれ、ローマのラテン語より教会用語、「angel(天使)」「candle(ろうそく)」「cleric(聖職者)」「pope(教皇)」「disciple(使徒)」「martyr(殉教者)」「psalm(詩篇)」などが英語に入ってきます、が、ここで面白い話が一つあります。
 「god(神)」はこの輸入単語の中には入りません。それは元々この地で神、もしくはそれに近い存在があったからだと考えられるのですが、「creator(創造主)」、「miracle(奇跡)」、「faith(信仰)」、「temptation(誘惑)」等のキリスト教特有の言葉まで自前なんです。
 キリスト教の布教活動はヨーロッパ全域に広がっていたため、ラテン語からのみならず、ヨーロッパ各地で使われている日常用の単語も入ってきました。「cap(帽子)」「sock (帽子)」「chest(箱)」の衣服や道具や、「pear(梨)」「oyster(牡蠣)」「cook(料理)」などの食関係の単語も入ってきました。「elephant(象)」「phoenix(不死鳥)」なども修道士からの言葉です。あと、もう一つ、“曜日”の名前もこの時代に入ってきたものです。

 もう一つ、古英語に非常に大きな影響を与えたのがヴァイキングです。北欧、特にデンマークあたりからしばしば襲来してきた彼等ですが、それを始めて退けたのがサクソン人のアルフレッド大王です。大王と名の付く程偉大な彼でも船で海のどこからでも責めてくるヴァイキングに時々負けましたが、そこは大王、海軍を組織し、最終的には878年、陸戦でヴァイキングを決定的に負かします。その際、アルフレッド大王はヴァイキングの長をキリスト教に改宗させることに成功したのです。
 ヴァイキングは北欧の出身でつまり北ゲルマン語族ということで、彼等の話す古ノルド語は古英語に近いものがあったことから沢山の単語が流入するのですが、こちらの影響は文法・表現にまで及びます。
 古英語、古ノルド語はよく似た言葉ですが、細かい語感等が違っていたりするため「ならばその細かいところを省こうじゃないか」ということで、アングロ・サクソンとヴァイキングの間で交流を図る内に、二つの言葉が溶け合うように一緒になり、結果、古英語から不規則動詞が大量に落ちます。
 また、主語で「彼は」というと古英語では「hie(ヒー)」、複数形で「彼等は」というと「he(ヘー)」と言いました。どちらも似ていて非常にややこしいため、ヴァイキングの言葉から「they」が輸入されて使いはじめられたのです。
 また、古英語にはゲルマン系で唯一完成しているという叙事詩『ベーオウルフ』には、ヴァイキングのスカンジナヴィアから伝わったという説がある“ケニング”という、とても独特な表現がふんだんに使われています。例えば、古英語で「魂を運ぶもの」というと「人」を表し、「心の囲い」というと「胸」になります。また「鯨の道」というと「海」と表すように、名詞を遠回しに間接的な言い回しをするのです。

 ところで、このアルフレッド大王、文化的にも非常に優れた人物で、ラテン語の文章を古英語に訳させたり、古英語の文章を編集させたりしました。古英語で残っている文献はほぼ全てがアルフレッド大王の統治していた土地からでてきているのです。よって、英語学的に、古英語というと、まずアルフレッド大王の残した古英語が基本、標準となるのです。




 うっ……うっ……(涙)
 終わらないよう……。トリビア見ないで一生懸命やってるのに、ちっとも進まないよう……。

 開き直って今度のゼミ発表は中英語までにしようかな!

 でも中英語時代の英国史は非常に面白いです。今日、書き上げられたらいいのになぁ。



 っていうか、上記の発表で3000文字スか……? あの、ブックレポート5000字以上って聞いてるような気がするんですけど……?




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