言の葉孝

1902年01月18日(土) 呪縛の蝋・16

呪縛の蝋


16



「これから、何か変わるのかな?」

 煌々と燃える篝火の前で祈りを捧げる赤羽教授の姿を隣で遠目に見ていた雛子が千鶴に尋ねた。

「それは生きている人たち次第じゃないかなー」

 三十年以上、この村に影を落としていた事件の幕が下ろされるのだ。特に遺族の人々にとっては決して小さくはない転機だろう。
 だが、事態が悪いほうに転がるも、良いほうに転がるも全ては生きている者たち次第、つまりは雛子たちに委ねられるということになる。それが生きている者達の責任というものだろう。

「……アンタ、じゃない。あ、青山さ…んの」
「千鶴でいいよ、何?」
「じゃあ……千鶴。千鶴、しゃべり方が元に戻ってるなー、と思って」

 先ほどから少し会話しているが、赤羽教授と離れてから、千鶴の口調は元の間延びしたものに戻っている。

「ああ、もう役目も終えたカンジだしー」

 真相は解明し、伝えるべき形をとってその結果を残した。あとの変化については村内の問題なので、千鶴が手を出すことはないだろう。
 雛子は、ふう、と大きく息を付いていった。

「……何か、今聞くと何かホッとするわ。千鶴が早口で喋ってるときって大変なときだから、元に戻ると気を抜いていいんだな、って」
「真似してみるー? 楽になるよー?」
「それは……遠慮しとくわ。ところでこれからどうするの?」

 今晩は夜も遅いため泊まることになるのだろうが、明日以降は千鶴はもうすることがない。だとすれば、

「うん、明日帰るよー。お世話になりましたー」
「……来てよかった?」

 好奇心とはいえ、尊敬する教授について知りたくないことも知ってしまったこともあり、後悔しているとも考えたのだろうか、そう尋ねる雛子の態度は妙に心配そうだ。
 だが、ほぼ即答に近い形で、千鶴は力強くうなずいて答えた。

「うん、すごく考えさせられることが多かったからねー。勉強になったよー」

 愛や夢、狂気に後悔、今まで見たこともないような感情がたくさん見られる事件だった。
 また、真実を知ることは、それだけの責任を伴う。今回の事件の真相は取り扱い次第で更なる悲劇を呼んだ可能性もある。それだけに、一見すらすらと述べられた千鶴の推理であるが、その裏で大きな緊張を感じていたのである。ただ、知ったこと、真実を並べるだけでは、人は幸せになれるとは限らないということを実証できた出来事だった。

「ここにきたことを今後後悔はしないと思うなー」
「そっか……」

 千鶴の答えに、うなずくと、そのまましばらく考え込むようにうつむいていると、やがて納得したように大きくうなずいて言った。

「よし、決めた!」
「何をー?」
「私ね、実は進学するか就職するかで迷ってたのよ」

 進学するとたぶん下宿になって親に負担かけることになるし、就職しようか、と雛子は考えていたのだが、赤羽教授や千鶴を見ていて考えが変わった。
 今回のことで世界の広さと深さを垣間見た気がする。大学で、それら網羅できるわけではない。知識を自分のものにするには、きちんと学問を修め、まず考え方を学ぶ必要がある。

「今は父さんと母さんに苦労をかけることになるかもしれないけど、そのほうがきっと後悔はしなくてすむわ」
「いいことだと思うよー。きっとお父さんもお母さんも応援してくれるんじゃないかなー。受けるのってウチの大学―?」
「当前でしょ。オジサマの講義を受けるのが私の夢だったんだから!」

 高らかにやや不純な動機で受験大学を決めることを宣言する雛子、その横を不意に顔面を蒼白にした男が駆け抜けていった。

「……何かあったのかなー?」
「行って聞いてみましょ」

 二人で頷き合うと、男のあとを追っていく。
 男は皆の集まっている篝火のそばまでやってくると、息切れもあいまって、混乱も露に口を開く。

「ろ、蝋人形館が! 蝋人形館が……!」



 先ほどまでは村を代表する木造建築であった白灯村蝋人形館は大きな火柱に飲み込まれ、暗い闇を広い範囲で照らし出している。

「よう、お前らか」

 現場にたどり着いた千鶴と雛子を向かえたのは井上巡査だった。彼は昼間、洞窟を掘り出したときと同じく、若い男たちを動員して、消火活動にあたっている。

「どうしてこんなことになってるの?」

 息を整える間も待たず、雛子が尋ねると、井上は珍しくため息を付いて答えた。

「放火だろう。多分やったのは伊戸部のじいさんだ」

 伊戸部老は、“灯籠送り”には参加していなかった。「罪を犯した息子などと共に送られてはみんなも適わんだろ」と言い、彼は息子の遺体を一度蝋人形館の中に運ばせたまま、外に出てきてはいない。

「それで、伊戸部さんは!?」
「中に入ったまま出てきやしねぇ。自分の息子の死体と館もろとも心中する気じゃねぇかって、みんな言ってるけどな。何にしろ、もう蝋人形館の全焼は止められねぇよ」

 吐き捨てるような井上の言葉を受けて、千鶴は燃え盛る炎の中の洋館を見遣った。
 完全に炎に包まれた洋館はもはや消火の手を付けられない。できることはといえば、周囲の草木を取り除き、水を撒いて延焼を防ぐことくらいだ。


 全てが融け失せて行く。


 地下アトリエの六体の現し身(うつしみ)、

 二階の芸術的な作品群、

 伊戸部礼二の部屋に赤羽教授が作り上げた嘘、

 老いた蝋人形職人、

 そして、その息子である蝋人形魔術師。


 広場で焚かれた柔らかな篝火とはまったく質の異なる、まるで全てを根こそぎ持っていってしまう洪水のような炎は、蝋人形魔術の全てを飲み込み、洗い流していく。

 思えば長い悪夢のような事件だった。
 たった一人の男が屍蝋と出会い、それを実践しようとして六人の娘が犠牲になった。
 その悲しみから、六人目の娘の恋人はその男を殺して“希望”という“嘘”を作った。
 以後、三十年、犠牲者も、その家族も、関わった者たちは皆ずっとこの事件の“呪縛”に捕らわれ続けていた。

 だが、今日でそれも終わりだ。
 六人の村娘の死は受け入れられ、今日、先祖たちと一緒に黄泉の国へと去っていった。
 “嘘”を作った六人目の娘の恋人も、心の整理をつけた。
 そして、全ての始まりであった蝋人形館が全てを抱いて消失していく。

 この炎が全てを燃やしつくし、全てを洗い流し、蝋を融かしきった蝋燭のように、悲しみを融かしきって消えたとき、


 蝋人形魔術は真にこの世から消え、人は“呪縛”から解き放たれる。


(呪縛の蝋・完)


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