言の葉孝

1902年01月16日(木) 呪縛の蝋・14

呪縛の蝋


14



「しかし、よくここを見つけたものだね」

 一度、あの広い場所に戻ったところで、赤羽教授が感心したように言った。
 その疑問は無理もない。何しろ三十年間誰も見つけ出せなかったこの洞窟を、状況と資料からの推論だけで宝の地図のような印も無しに土砂の下から見つけ出したのだから。

「それは、条件に合った場所が一箇所だけしかなかったからです」
「条件?」
「ええ、先ほど屍蝋の説明をさせてもらったときにいいましたが、遺体の身体が蝋に変質する現象はごく限られた条件でのみ起こります」

 まず、“腐敗菌が繁殖しない環境であること”。蝋化には長い時間がかかるためその間に死体が腐敗しては屍蝋は完成しない。だから密閉されているか、菌が繁殖しないくらいの低音であるなど、死体の腐敗しない状況を作り上げなければならないのだ。
 二つ目は“水分”である。肉体が蝋状になるにはいくつかのプロセスがあり、まず生命活動をとめた肉体の脂肪が水分と結合して脂肪酸に分解される。その現象が体の内面へと浸透していく間に、外側から水分と結合して還元され、飽和脂肪酸となる。そうして体が弾力を失い、硬くなった状態が屍蝋なのだ。
 このように、肉体が蝋へと変化していく化学反応には水分が必須であるため、屍蝋作りには多分な水分が必要不可欠なのである。

「さらに今回の場合は状況からの条件が加わります」

 屍蝋作りは今述べたように、限られた条件で行われ、それを人為的に行うにはかなりの手間がかかると予想される。その本拠地を村から相当離れた場所に作ったのでは、管理、維持もままならない。
 よって、村、特に蝋人形館からそれほど遠くないところで、目立たず見つかりにくい場所に限られる。

「この白灯村は日陰は少し寒いくらいに低温ですし、ここは十年前までは上を川が流れていて、滝の裏にあったらしいですしね。その水しぶきで水分も十分。そして場所的にも蝋人形館からさほど遠くない。これだけ条件のそろっている場所は二つとないんですよ」

 おそらく、イタリアに留学する前から伊戸部礼二はこの洞窟のことを知っていたのだろう。だから、この村に戻ってきた。自分の目的を達成するためのすべての条件がそろっているこの村に。



「それで、礼二の話はどうなっとる?」

 話題が一段落した一瞬の沈黙をついて発言したのは、伊戸部老だった。息子の所業をこうして次々と暴かれるのはやはり気分がよくないらしく、その表情は自然にしかめられている。

「アンタは居なくなった娘らの居場所を突き止め、どうなったかは解き明かした。でも犯人・伊戸部礼二の話は出てきとらん」
「……では、今からお話します。こちらへどうぞ」

 伊戸部老の問いに、元々いつもの呑気さが失われていた千鶴の表情の緊張が深くなる。
 彼は、この広間から分岐している二つの道のうち、まだ案内していなかった右側の道へ入っていく。こちらの道はやや狭く、高さも平均の成人男性の背丈ぎりぎり(長身である千鶴はすこし身をかがめなければならなかった)、幅は大人二人分といったところか。
 そんなところなので、左の道のように、ランプは設置されておらず、懐中電灯でもって照らして進む。

「伊戸部さん、あれを見てください」と、言って千鶴は持っていた懐中電灯で対象のものを照らし、すぐ後ろにいる伊戸部老に声をかける。
 伊戸部老は自分の前から千鶴が退き、視界が開けると、懐中電灯の光を千鶴が指示したほうに向けて照らしてみる。

「………アレが……か」

 それは、最初、人影のように見えたが、懐中電灯の光に目が慣れてみると、それが人であって人でないことがわかる。
 大まかに述べると、それは座禅を組んだ体勢だった。足を硬く組むことによって、それが土台となり、うまくバランスが取れて支えがなくとも倒れることがない状態になっている。
 だが、それは先にも言ったとおり、人型ではあっても人の姿はしていなかった。その体は骨がほとんど露出しており、肉や皮は申し訳程度にしか残っていない。それは、先ほど見た“屍蝋の失敗作”そのものだった。

「あれが、蝋人形魔術事件を引き起こした張本人・伊戸部礼二さんです」
「……それが何で屍蝋の出来損ないに?」

 そのおぞましい光景に息を呑んでいた者の一人が尋ねる。

「それは、“こうして自らが屍蝋になることが伊戸部さんの最終目的だったから”です」

 赤羽教授から聞いた、三十年前の話によると、こう言ったという。

『どれほど美しくても年をとればやがて誰もが醜く変わり果ててしまう。だが、こうして蝋人形にすることで永遠の美しさを手に入れることが出来るのだから』

 これによると、伊戸部礼二は老いによって容姿が醜くなることに対し抵抗を覚えていたらしいことが読み取れる。伊戸部自身も容姿は相当色男であったことであるし、自分が醜くなっていくのも耐え切れなかったのだろう。
 だからずっと美しさを保っていられる術を求めていた。そうしてたどり着いたのが蝋人形魔術だったわけである。

「しかしどうやったらそんな答えになる? 礼二はイタリアで何を見てきたんだ?」

 伊戸部老が問うと、千鶴は一枚の資料を取り出してみせた。

「これを見てください」

 その資料は写真をカラーコピーしたものだった。その写真に写っていたのは一人の女児の寝顔である。外見年齢は二、三歳。柔らかく波打った茶色の髪に、ピンク色のリボンがとめてある。
 だが、明らかに普通の状態ではなかった。肌は濃いコーヒー色、質感は無機物っぽく、人形のプラスチックの肌のようだ。女児の体は棺のようなものに入れられ、その体を赤茶色の布に包まれている。

「それは……?」
「世界で一番美しい死体と呼ばれるもので、“世界一有名な屍蝋”です」

 イタリアはカトリックの総本山・ヴァチカンのお膝元とあり、宗教活動が活発で、厳格な信仰生活に身をささげる者達が集った、イエズス会、フランチェスコ会、ドミニコ会などを代表とする修道会も数多い。その中に特に厳格な“カプチン会”と呼ばれる托鉢修道会があった。
 その修道会は全会員が“カプッチョ”と呼ばれる先のとがった頭巾、コーヒー色の衣といういでたちが有名なのだが、このカプチン会にはカトリックらしからぬ一風変わった“風習”があった。

「それは、“死体をミイラにして保存する”というものです」

 それは、血を抜いて干からびさせたあと、酢で洗い、外に干してさらに乾燥させる。
 さらに独特なのが、完成したミイラは生前を思い起こさせる格好で保存されることだ。干からびて細くなった肉体を、わらで巻くなどして補正し、その上に服を着せる。そして、人形を抱いて手招きをする、お辞儀をする、などあたかも生前に行ったようなポーズをとらせているのである。

 そのような一風変わった風習を持つ、カプチン会の地下納骨堂には、古代エジプトのそれと比べるとお粗末なミイラ作りの技術のおかげで風化し、ただの白骨と化してしまっているミイラが並んでいるわけであるが、その中で八十年間もの間まったく腐敗し、風化する様子も見せず生前の姿を保っているミイラがある。

「それが、この写真の女の子、“死少女”ロザリア=ロンバルドです」

 一九二〇年、ロンバルド将軍の娘であるロザリアはたった二歳でこの世を去った。それを嘆き悲しんだロンバルド将軍はカプチン会の会員でもある医師・サラフィアに遺体の保存を頼んだのである。
 サラフィアは見事それをやりとげ、ロザリアの遺体は永久にその姿を留め、今日に至る。だが、サラフィアはその遺体の保存方法を全く明かすことなくこの世を去ってしまったため、成功例はこのロザリアの遺体の一例だけだ。

「伊戸部礼二さんが行ったのもイタリア。だとすればパレルモを訪れた可能性は十分にあります。そして、この生前の姿を完璧にとどめる屍蝋に出会ったとしたら」

 “影響を受ける”という言葉がある。芸術家は、ときに他の作品に胸を打ちのめされ、結果、その心が自分の作品にその技術等を取り込まれる形で反映されるのだ。ロザリア=ロンバルドの屍蝋という“芸術”に伊戸部礼二は影響を受け、自らがその“芸術”になれればいいと思った。
 だが、ロザリア=ロンバルドの屍蝋の製法は残されていない為、それを模索する必要があった。やり方はいろいろ研究し、仮説もいくつも立てられたが、実験をしないと成功する確信は得られない。

「その実験こそが三十年前に起こった蝋人形魔術事件の全貌といえるでしょう」

 そして、警察に追い詰められたと感じた伊戸部礼二は、蝋人形魔術の完成を見届ける事無く、出来るだけ屍蝋になれる条件を整えた後、ここで命を断って今に至る、という訳である。



「でも、高野日奈で一度成功したのに、どうしてこっちでは成功していないんだ?」

 次に質問をしたのは、この場に同席していた井上である。まだまだ駆け出しの巡査とはいえ、父のこともあり、先ほどからの千鶴の説明を事細かにメモに書きとどめていた。
 確かに、高野日奈は“二体目のロザリア=ロンバルド”として、その形をとどめるにいたっている。だが、その後に死んだはずの伊戸部礼二自身は自分の屍蝋化には成功していない。

「まぐれだったってことか?」
「確かに高野日奈さんの屍蝋だけ偶然成功したということは考えられますが、伊戸部礼二さん自身の屍蝋については失敗する要素はいくつも考えられます」
「いくつも?」

 意外そうに、井上が聞き返すと、千鶴はうなずいて答えた。

「そう、たとえば“脂肪分不足”」

 先ほど述べたとおり、人間の肉体が蝋に変化するための第一の条件は低温度と高湿度である。だが、そのほかにも屍蝋ができるための条件はある。

 たとえば“材料”である。人間の肉体が蝋に変化するメカニズムについて、遺体が腐敗せず、水分が多く存在する状態にあるばあい、人体の脂肪分がその水分と結合し、化学反応を起こして蝋に変化するということは先に述べたとおりだが、今述べたことでいえることは屍蝋が完成するための“材料”は水分のほかに脂肪が必要なのである。
 蝋人形魔術の犠牲者は女性ばかりだが、これはなにも伊戸部礼二の趣味というだけではない。これは女性のほうが総じて体脂肪率が高いため、屍蝋化が成功する可能性が高かったためであろう。

 特に、井上の父が作った資料によると伊戸部礼二は痩せ型の男であったというのであるから、脂肪分不足は彼が屍蝋化するのには厚い壁であったわけだ。

「もうひとつが、“薬品を使えなかったこと”」

 ロザリア=ロンバルドの遺体を屍蝋化させた医師・サラフィアは結局、その方法を明かさずにこの世を去ってしまった。だが、いくつかその要素が解明されているのだが、その一つが何らかの薬品を遺体に使ったのではないかということである。
 ミイラ作りの本家・エジプトでもミイラを作る際には血を抜き、防腐処理などのために高級な薬に遺体を漬ける。そのために、ミイラを粉にしたものはよい薬になると信じられ、盗掘の原因の一端となったのであるが。

「ちょっと待て。でも伊戸部礼二はもとから自殺をするつもりだったんだろ? 自分の死体を薬漬けにするなんてことはできなかったんじゃねぇのか?」

「そこです」いい質問だ、とばかりに千鶴は質問をした井上を指差した。「自分を屍蝋化させるためには、死んだ後は全く手を加えなくてもきちんと遺体が変化するようにしなければならなかったんです。だから“彼は生前から薬品処理する方法をとった”」

「え?」
「思い出しませんか? この事件に関連して、とある“薬”が出てきたことを」

 はじめは何を言っているか分からない様子だったその場の面々であるが、その一言で皆合点がいったのか、いっせいに声を上げる。

「あっ、“麻薬”!?」
「その通り、麻薬です」

 これは完全に千鶴の憶測でしかないが、伊戸部礼二が誘拐する前の娘に麻薬を用いていたのは生前から体質を変化させ、死亡後、特に何もしなくても屍蝋化が進むようにする目的であったとみている。
 よく麻薬中毒の人間を“クスリ漬け”と言うが、実際に血管などを通し、体中に浸透させるにはそれが最良であっただろう。

「いろいろやりやすくなるように娘を手懐けるためじゃなかったのか」
「その目的もあったと思いますよ。実際、麻薬としての効果はあったわけですし」

 伊戸部礼二にとって、自分の死はまだ先のことだった。だから、麻薬などで頭の働きを鈍らせるわけにもいかず、高野日奈の件で麻薬のことが警察に嗅ぎ付けられ、追い詰められて仕方なく命を断った時点では“前処理”が終わっていなかったのだ。

 こうして伊戸部礼二は志半ばにして、この世を去るが、彼の最後の作品である“高野日奈”は見事にその姿をこの世に留め、彼の成果として実を結ぶ。
 しかしこの悲劇が最後に生んだ皮肉か、長らく望んでいた“蝋人形魔術”の完成を、その術者はついに目にすることはなかったのである。

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