言の葉孝

1902年01月11日(土) 呪縛の蝋・9

呪縛の蝋




 夏になると蒸し暑くなる日本は、せめて気持ちだけでも涼やかにありたいという気持ちが強いためか、この季節の風物詩が特に多い。目の前の冷麦しかり、暖簾の横に下げられた風鈴の音しかり。特に、旧白灯村は比較的山奥にあるため、夏でも日陰は涼しい。特にこの蕎麦屋のように昔ながらの日本家屋となると風通しもよいのでこの真夏でもクーラーいらずである。
 蝋人形館を離れたのが十一時半過ぎだった。そこで、千鶴は「少し休憩もしたいし、少し早いけどお昼にしようかー」と、雛子にこの蕎麦屋に案内させて今にいたる。

 おごるというので、もっと高いものを頼んでやろうかと考えたのだが、いろいろ頭がいっぱいでどうにも食欲が振るわず、せっかく蕎麦屋なのに、家にでも食べられる冷麦しか食べる気がおきなかった。
 流石に大学生の男らしく、天ぷらそば定食をあっという間にやっつけた千鶴は先ほどから井上巡査から預かってきたノートと自分のノートを見比べ、時折自分のノートにメモを取っている。

「ねえ、何かわかったの?」
「まあ、少しはねー」

 ペンを走らせるノートから顔を上げずに答える。それ以上の詳細は教える気がないらしい。わからないことだらけのこっちとしては気になって仕方がない。
 どうも先ほど、特に伊戸部礼二の研究ノートをみてから千鶴の様子がおかしい。その前までもっとのんきそうな雰囲気だったのだが、今はそれが影を潜め、笑みを浮かべていてもあまり余裕があるようには思えない。

「まさか、蝋人形魔術は本物だった、なんて言い出すんじゃないでしょうね」
「それはないよー。あの伊戸部礼二の部屋は後から捏造されたものだからさー」
「……どうしてそう断言できるのよ? あのノートがあったじゃない」

 本に線が引かれていないだとか、付箋がつけられていない、などと千鶴は言っていたが、あの狂気じみた覚え書きこそが伊戸部礼二が魔術の研究を行っていた証ではないのか。

「もともと、それは疑っていたんだー。さっきの警官のお兄さんが貸してくれたノートを見た時点でねー」

 はじめに聞いた話は、魔術の研究ノートが見つかったから蝋人形魔術の噂が広がったというものだった。
 しかし千鶴が井上巡査から預かった彼の父親の捜査ノートを見てみると、伊戸部の部屋を探索した記述はあれど、そういった魔術的な本や研究ノートについてはまったく触れられていなかった。彼が蝋人形魔術と呼んだ理由については、あくまでも事件における魔術的な展開を見て、である。

「だから、あの部屋は事件の後しばらくして作られたものなんだよー」
「誰が? 何のために?」
「……それはヒミツー。最後にまとめて話すよー」

 口元はいたずらっぽく笑って言う千鶴だったが目が笑っていない。手元の水を飲み干すと、会計のために店員を呼ぶ。

「お姉さーん、おアイソお願いしまーす」

 二人分の料金を払い、千鶴は再び真夏のまぶしい空の下に出て行く。

「次はどこに案内すればいいの?」
「そうだねー、じゃ、涼しいとこがいいなー」



 もともと村立の規模である白灯村の図書館は大学の図書館と比べると図書館とは呼べないほどに小さい。蔵書もそれほどよくはなさそうだ。

「何か調べごとでもするの?」
「まーねー。あ、パソコンがあるんだー」

 蔵書は足りないながらも、図書館として一通りの調べ物ができるようにとの配慮なのか、隅のほうに三台だけインターネットに接続されているパソコンがある。使える人、もしくは興味のある人が少ないためか、三台だけでも利用者はいない。

「これなら結構楽に調べられるかもー」

 いそいそとパソコンの前に座り、まずは図書館検索システムを立ち上げ、キーワードを入力してこの図書館に収められている本で関係のありそうな本をリストアップしていく。
 それを題名と番号をメモすると、雛子に手渡していった。

「このリストアップしてある本、探してきてくれるかなー?」
「うっ……」

 いかにも面倒そうな頼みごとに、雛子は少し戸惑ったようだが、ここに残っても結局やることはないので、引き受けることにした。リストアップされた本は、十数冊に及び、図書館に慣れない雛子には、探すのは相当骨が折れそうだ。

 千鶴が指定した本は三種類に大別された。
 蝋、または蝋人形に関することを書いた本、イタリアについて書いた本、そして、美術について書いた本。美術については蝋人形館の二階に並べられていた伊戸部作品群に近い雰囲気を持つ芸術家に関するものだ。要するに、伊戸部礼二から連想されることをキーワードに検索したらしい。それに加えて、白灯村の地図が付け足されていた。
 一応、カテゴリごとの探索なので一冊見つければ同じような場所に何冊も見つかって、思ったよりも本探しは楽に進んだ。

「ふぅ、本っていうのもかさばる上に重いわね」

 こんな分厚い本を読んでいる者が本当にいるのだろうか。閲覧机に本を置いて一休みすることにして、本の中でも一番興味の持てそうな、イタリアの観光名所を紹介する本を手に取り、ページをぺらぺらとめくっていく。なるほど、ヴェネチアやフィレンツェなどの有名都市を始め、比較的マイナーな観光スポットのことも詳しく書かれている。
 ふと、雛子は奥付の部分に貼り付けられた封筒に差しこまれているカードを抜き取ってみた。そこに今までこの本を借りた人の名前が書かれているのである。
 その名前を見て、雛子はピタリと動きを止めた。

『伊戸部礼二』

 日付は四十年前。なんとなくまだ幼い感じのする字からして、伊戸部が中学を卒業してイタリアに渡る前のものだろう。このころからイタリアについて勉強をしていたのだ。もしかしたらイタリア語会話の本も借りて読んでいたかもしれない。
 他の本も調べてみると、伊戸部礼二の名前が書かれたカードがいくつも出てくる。雛子は胸が高鳴るのを感じた。四十年も前のことではあるが、自分たちが追う謎の鍵を握る人物が実際に手に取った本。

 彼は何を知りたくて読んだのか。

 この本に何を見たのか。

 そしてどんな気持ちを抱いたのか。

 これらを読めば、伊戸部礼二を理解できるかもしれない。
 雛子は、再び本を抱えると、残りの本を探すべく閲覧机から離れていった。

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