言の葉孝

1902年01月04日(土) 呪縛の蝋・2

呪縛の蝋




 がさがさ、という音を立てて森を抜けた千鶴は、茂みの陰からガードレール越しに昼下がりの住宅地を見やった。住宅地と言うには建物の密集度がかなり低く、ぽつりぽつりと大きめの古びた日本家屋が建てられているだけだ。
 見通しはかなりいいが、人影は見受けられない。真っ昼間の今なら家で家事をしているか、ワイドショーや昼ドラを見ながら菓子でもつまんでいる奥さん方くらいしかいないだろう。
 この、人が出払っている間に何とかキャンプを張れる場所を見つけたい。人を受け付けないなら宿の類も期待できないので、はじめから一週間くらい滞在できる用意はしてきている。
 上から見た限りではキャンプの場所は木蝋製造所の裏手が良さそうだった。近くを小川が流れて水が使えるし、村のほうからは見えづらい形でいい具合に開けている。
 あとは何とか蝋人形館に潜入していろいろ調べるだけだ。人の話を聞けないところがどうにもやりにくいが、白灯祭というイベントにも何らかの秘密は隠されているはずだ。それを見る価値は絶対にある。ひょっとしたら村の人たちの噂話のひとつでも拾えるかもしれない。少なくとも、外部の怪奇ミステリーに染まった人間が勝手に想像力を膨らませて語る噂よりもよほど信憑性は高いだろう。

 今いるのは集落の東端。目指すところは村の北東だ。住宅地に人がいるなら外を回りこむつもりだったが、住宅地の中を通っていけばずいぶん距離が違う。安全とはいえないが、早く寝床を確保しておきたかったこともあり、千鶴は住宅地をショートカットしていくことにした。

「よいしょっ……と」

 ガードレールを乗り越え、道を確認しようと顔を上げたとき、千鶴は凍りついた。

「アンタ、誰?」

 目の前に高校の制服を着た少女がいた。何かの運動部に入っているらしく、肩に掛けられたスポーツバッグは大きく、もうひとつ細長い棒状の袋が背負われている。あまり化粧っ気はないが、ポニーテールにほどよく日焼けた顔が健康的だ。

「イヤッ、山歩きをしてたらすっかり遭難してしまってね〜。ここはどこかなー?」

 一応、用意をしておいたとぼけ文句を口にするが、彼女はそれをきいて睨む視線を強くし、千鶴ににじり寄る。

「この辺に山歩きをするような場所があるなんて聞いたことないわよ! 初めからここに忍び込むつもりでやってきたんでしょ!? 時々いるのよね。この時期この村が立ち入り禁止になってるのを知ってて忍び込もうとするデバガメが!」
「出歯亀とはまた古風な言い草だなー……」
「いい!? あたし達が立ち入り禁止にしてるのはそれなりの理由があるからなの! あたし、アンタみたいな軽がるしく人の思いを踏みにじるようなケーハクな野次馬が一番嫌いなのよ!」

 男子大学生でも背の高いほうである(が、かわりに細身だが)千鶴にここまで強気に出られるとは外見どおりの性格らしい。これはまたとんでもないのに見つかってしまったようだ。

「分かった、悪かったよー。今日はこれで帰りますってー。村の出口どこ? 国道はすぐ分かるかなー? じゃ、僕はこれで。また来るよー」

 こうなったら、さっさとこの場から退散するに限る。帰ると見せかけて森に逆戻り。今度は慎重に外側を通っていこう。ショートカットをするつもりがとんだ回り道になってしまった。
 彼女に背を向け、坂を下っていく千鶴だったが、しばらくして後ろから足音がやまないことに気がついた。ゆっくりと後ろを振り返ると、先ほどの女子高生が彼の後ろからついてきていることに気がついた。

「あれ? 君の家はこっちなのかなー?」

 しかし、この道は先ほど彼女が上ってきた道だったはずだ。嫌な予感がしたが、目の前の気の強い少女はその期待は裏切らなかった。

「何言ってんのよ。アンタがちゃんと村を出て行くか見届けに行くんじゃない」

 どうやらこちらの作戦はお見通しらしい。これはどうしたものか。下の入り口がふさがれているから、遠いところから森に入ったのに、そこを出てしまったら挽回が利かなくなる。
 どうやって撒こうか、と思案しながら一緒に歩いている、というより連行されていると、前方から一人の初老の男性が坂を上がってくるのが見えた。しかも、見覚えのありすぎる人物である。
 その男性は俯かせていた頭を上げて、千鶴と目が合うとぴたりとその動きを止めて固まった。

「青山君!? どうしてここに……」
「それは僕の質問ですよー、赤羽教授」

 その二人のやり取りを聞いた少女は目を丸くして千鶴を振り返る。

「え? アンタ、オジサマの知り合いなの?」
「オジサマ……?」

 よく状況が理解できないが、どうやらここに赤羽教授が現れたことは彼にとって助け舟になるらしかった。




 ほどよく緑の生い茂る庭。日のよく当たる縁側。庭の木陰を通り、吹き込んでくる涼風を迎え入れて鳴る風鈴。香る畳の匂い、水滴の浮いた冷たい麦茶のグラス。正しい日本の夏だ、と思う。

「……私は“注意”したつもりだったのだけれどね」

 反対に煽ることになるとは、と赤羽教授は手元のグラスを傾け、麦茶の氷を鳴らしながら言った。

「教授もここが教授の実家だというのを黙ってたじゃないですかー」

 話を聞くところによると、教授が盆に帰るといっていた実家はこの旧白灯村にあったらしい。先祖代々の持ち家であったため、手放すには忍びなく、それならばと職場に近いところに別宅としてマンションを借り、時々こちらに戻ってくる形にしよう、というわけだ。

「というわけで、オジサマも困ってらっしゃるみたいだし、コレ飲んだら帰りなさいよ」

 麦茶を持ってきたお盆を胸に抱えつつ、冷たい視線を送るのは先ほど千鶴を見咎めた少女、名を三沢雛子(みさわ・ひなこ)というらしい。彼女はこの教授の母屋に住んでいる。というのも、昔、家が焼失してしまったらしく、それならば、と普段自宅に戻らず、すでに家族も亡くしていた教授が母屋を提供したのだという。特に光熱費を除けば家賃は取っていないらしいが、その代わりに留守がちの自宅を掃除をするなど管理をしてもらっている。それから離れを自分の書斎にした教授は、帰ってきた際にはそこで過ごしているのだ。
 オジサマこと赤羽教授のことは結構慕っているらしいが、千鶴はどうやら歓迎されていないらしい。オジサマの麦茶にのみ氷を浮かしているくらい露骨な態度の差別化である。

「いやいや、せっかくここまできたんだから、蝋人形館くらい見せてやってもいいだろう」

 初対面の男にまったく遠慮なく冷たい態度を貫く雛子に苦笑しながら赤羽教授は言った。

「でもそれじゃ東京に帰れなくなっちゃいますよ」
「今夜くらい泊めても構わない」からり、と彼はもう一度グラスの中の氷を鳴らす。「……それに、なぜ私たちがこの時期外の人を拒絶するのか、その理由くらいは教えてやってもいいだろう」

 そう続けた赤羽教授の声は何故か沈んで聞こえた。

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