茶畑
DiaryINDEXpastwill


2006年02月24日(金) 時の流れ

去る者は日々に疎し。

昨日、4ヶ月ぶりに、彼ともう一人の友達と飲んできた。

彼に会って感じたのは、確実に時が流れているということ。最初に顔を見たとき「この人だっけ」という不思議な感覚にとらわれた。確かに彼には違いない。でも何かが違うのだ。

ここにもさんざん書いてきたように、会っていなくても彼のことを思わない日はなかった。会わないと、自分勝手な妄想や楽しかった思い出ばかりにとらわれる。今日の彼とは違う彼が自分の中だけで生きている。そんな状態で実際に会ったら、微妙な違和感を感じて当然だろう。

彼の方も、恐らく同じように感じていたのではないかと思っている。

彼ともう一人の友達は、家が近所でしょっちゅう飲みに行く仲だ。本当に気楽な友達関係。そういう彼らの雰囲気に私は微妙に入れないものを感じた。それは意識しなければ感じなくて済むような、本当に小さな小さなものだ。でも、会う頻度が高い人とそうでない人の間には、やはり時間がもたらす差違が生まれてしまう。

彼に惹かれる気持ちは少なからず残っている。けれど、再会する前とは違うものになった。一緒にいると周りが見えなくなるような、理性が飛びそうになるような激しい状態ではなくなったのだ。

彼の方もそうに違いなかった。彼は前と変わらず山を楽しんでいる。彼の山はもともと私とは違うジャンルだ。彼には、そのジャンルで男女を問わず友人がたくさんいる。滅多に会わない私の存在は徐々に薄れていって当然なのだ。

会運営における協力。それが彼と私をつないでいるものだった。だが私が会から外れ、そのつながりがなくなった今、彼と私の間に共通するものは何もないのだった。

ずっと大切な友人でいたかった。でもそれは無理かもしれない。もう私たちは遠く離れている。そのうち、何もかもが思い出になってしまうのだろう。

とても寂しいし、残念だ。けれどこうなるために私は彼と距離を置いたのだ。慣れ親しんだ会を離れたのだ。この方法がベストだったかはわからない。あまりにもたくさんのものを失ってしまった。

でも、苦しい状態から抜け出せる、彼のことを思い出にすることができる。実感としてそう思っている。そういう意味では前進したといえるだろう。


茶葉 |MAILHomePage