銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2008年08月10日(日) 映画「ザ・ダークナイト」を見ました。

バットマンの新作が封切られるということは知っていたけど

「どうせバットマンでしょ」

と思い、スルーするつもりだった。


ところが、ある映画批評サイトで、100点満点中97点と評価されていたのを知り、

一変して「気になる映画」1となりました


で、今日、どんなもんか見に行ってきました。


まず、97点の評価には納得。


どう考えてもこの夏1では。


ポニョとかいってる場合じゃないっす。


いや、他に映画見てないですけど。


150分の長さを全く感じさせない、まさに息つく暇のない二転三転する展開はお見事の一言。

アメコミのヒーローものらしからぬ、決してチャチではない人物造詣にも好感が持てます。


ま、そこら辺はおいといて。


僕はこの物語を

「日本(アメリカでもいいんですが)の昨今の世相」

と照らし合わせて見るとおもしろいなあと思いました。


バットマンの宿敵ジョーカーは完全に狂気にとりつかれているので、

交渉の余地は全くありません。


ジョーカーはただ破壊するだけ


それで何かを得ようとは考えていません。


目的が破壊。


だから、ジョーカーが満足することは決してないのです。


こういった犯罪は、防ぐ術がありません

ある日、何の前触れもなく建物が爆破され、人が殺されるのです。


警察もバットマンも苦悩します。

どうしたらいいのかわからず、ジョーカーに振り回され続けます。



これって、何となく頻発する無差別殺人に似てるような気がします。


犯行に理由らしい理由がない。

あったとしても、犯行と論理的に繋がらない。

だからどうすれば犯行を防げたのかが分からない。


いや、本当は分かってる。

でも、それを防ぐための方法は様々な利害関係が
複雑に絡み合っていて、実行することができない



バットマンでもそう。


ジョーカーが仕掛けた罠のいくつかは、予め防ぐ方法が確かにあった。

例えば、汚職警官による情報漏えいや犯罪の手助けは、断固たる意志をもって

警察自らが汚職警官を摘発し、処罰を下していれば防ぐことができた。


でもそれはできなかった。

そうすることは、警察の権威失墜を招き、また処罰する方に関わった者の立場が危うくなる。

崇高な自己犠牲の精神なんて、誰でも持てるもんじゃない。


今の日本だって同じなのでは? と。


たとえ無差別殺人に理由といえるものが見つからなくても、

「犯人が仮にこのような環境にあれば犯行は行われなかったはず」

という思いは、皆持っているような気がします。


そして、そういうあるべき環境を作り出すだめの方法も、皆分かっているのでは。

行動しようとしないだけで。


具体的な方法は言いませんですけど。


ジョーカーに盲目的に従う敵役の中に、

精神を深く病んでいる人が多くいる

こともどことなく暗示的です。


ある者はジョーカーに病気を治してやると言われ、

ある者はジョーカーに加担し街を破壊することに自らの生を見出しています。


つまり、皆救いを欲しがってるんです。


精神を深く病んでいる人=社会の周辺に押しやられている人

と置き換えると、途端に僕たちの社会が抱えている問題に近づきます。


阻害されている人たちは、無意味な破壊に価値を見出しやすいのです。


そうすることでしか、

彼らは自己を保てなくなっているんです(断言)。


そんな人たちがいるということを真剣に見つめなければならないのでは?


という問いかけをされているようにも思えます。



さて、そんな風に考えると、何だかゴッサムシティが

とっても身近な存在

になってくるから不思議です。



まあ、そんな風に考えなくても、娯楽映画として

超一流

のザ・ダークナイトでした。



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士郎 [MAIL] [HOMEPAGE]

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