コミュニケーション。
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西川君のライブに行ってきた。 と言っても、日付を間違えて1日早く行ったり、 当日の直前にバッグが見えなくなり、開演40分後に到着するも、 その40分間になつかしの曲はほぼ終わっていたという、 散々な話だったけれども、 私の願いは、歌っている、音楽を体現している瞬間の彼を生で観ることであり、 それは十分に叶ったので、満足だった。
ラジオのイベントとは違い、観客もみな激しく、 ヘドバンしたり、曲に合わせてジャンプしたり、と熱気溢れていた。 全てにノることはできなかったが、内心は楽しんでいた。
というか、私も今までのイベントでは始終飛んでいたのだが、 (イベントではむしろ周りは飛んでない) 今回は、足がセメント漬けされているかのように動かないのである。 それは私の彼に対する気持ちの減り方などではなく、 本能だな、と感じた。 今はこの体にもうひとつの命がある、私はそれを無意識下でいつも感じているのだと、 実感した。
胎動なのか、大きくなってきて腸を圧迫しているのかわからないが、 何かしらの動きを感じるようになった。 どちらにせよ、存在感を増したことには変わりなく、 以前ほど不安に駆られることはなくなった。
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引越しが無事終わった。 結局、写真は撮らなかった←
がらんとした部屋を見て思ったことは、これだけ広かったのかとしみじみし、 私が部屋を監督していたら、 もっと広く使っていたのにな…くらいだった。
ただ、当時それは夫の人生に必要以上に踏み込むことだと思ったから、やらなかった。 その決断に後悔はしていない。
ダンボールを開けていると、 私だけが要らないと言い続けて来たものが出てくるのだが、 幸いなことに夫は、自分の趣味のものの整理に明け暮れている。 キッチンには見向きもしないので、 あまりに汚れたもの、あまりに古いもの、 使っているところを1度も見たことがないもの… というか、この「ないない生活」のなかで必要とされていないもの、は、 捨てさせてもらっている。
ややこしいが、毎日の生活で使うものはやはり困るので、 「コップがない」「包丁がない」と物の名前が出てくるのだが、 そこに出てこないものは、基本的に必要がないのだ。
誰しも、毎日使うものは目につく場所に置くし、 毎日動かすから、汚れもしない。 特に私たちは職場も同じでいつも一緒にいるから、 使うものは知っているし、聞いている。
だいたい、本人もごみと思っているのに、 捨て方・分別がわからなくて残されているらしきものも多かった。 割れた陶器の灰皿とか。 男の一人暮らしの限界だったのかもしれない。 なので今の願いは、不燃物用のゴミ袋が、早く出てきて欲しい(梱包サービスの難点)。
ダンボール整理と息子のお弁当づくりと、毎日忙しいが、 捨てたかったものを捨てられるしあわせ、(夫ごめんね) いちから家族の家をつくっていくしあわせ、(家買ったわけじゃないけど) しみじみと噛み締めている。
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