コミュニケーション。
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2016年08月02日(火)





西川君のライブに行ってきた。
と言っても、日付を間違えて1日早く行ったり、
当日の直前にバッグが見えなくなり、開演40分後に到着するも、
その40分間になつかしの曲はほぼ終わっていたという、
散々な話だったけれども、
私の願いは、歌っている、音楽を体現している瞬間の彼を生で観ることであり、
それは十分に叶ったので、満足だった。


ラジオのイベントとは違い、観客もみな激しく、
ヘドバンしたり、曲に合わせてジャンプしたり、と熱気溢れていた。
全てにノることはできなかったが、内心は楽しんでいた。

というか、私も今までのイベントでは始終飛んでいたのだが、
(イベントではむしろ周りは飛んでない)
今回は、足がセメント漬けされているかのように動かないのである。
それは私の彼に対する気持ちの減り方などではなく、
本能だな、と感じた。
今はこの体にもうひとつの命がある、私はそれを無意識下でいつも感じているのだと、
実感した。



胎動なのか、大きくなってきて腸を圧迫しているのかわからないが、
何かしらの動きを感じるようになった。
どちらにせよ、存在感を増したことには変わりなく、
以前ほど不安に駆られることはなくなった。





*****




引越しが無事終わった。
結局、写真は撮らなかった←

がらんとした部屋を見て思ったことは、これだけ広かったのかとしみじみし、
私が部屋を監督していたら、
もっと広く使っていたのにな…くらいだった。

ただ、当時それは夫の人生に必要以上に踏み込むことだと思ったから、やらなかった。
その決断に後悔はしていない。


ダンボールを開けていると、
私だけが要らないと言い続けて来たものが出てくるのだが、
幸いなことに夫は、自分の趣味のものの整理に明け暮れている。
キッチンには見向きもしないので、
あまりに汚れたもの、あまりに古いもの、
使っているところを1度も見たことがないもの…
というか、この「ないない生活」のなかで必要とされていないもの、は、
捨てさせてもらっている。


ややこしいが、毎日の生活で使うものはやはり困るので、
「コップがない」「包丁がない」と物の名前が出てくるのだが、
そこに出てこないものは、基本的に必要がないのだ。


誰しも、毎日使うものは目につく場所に置くし、
毎日動かすから、汚れもしない。
特に私たちは職場も同じでいつも一緒にいるから、
使うものは知っているし、聞いている。

だいたい、本人もごみと思っているのに、
捨て方・分別がわからなくて残されているらしきものも多かった。
割れた陶器の灰皿とか。
男の一人暮らしの限界だったのかもしれない。
なので今の願いは、不燃物用のゴミ袋が、早く出てきて欲しい(梱包サービスの難点)。



ダンボール整理と息子のお弁当づくりと、毎日忙しいが、
捨てたかったものを捨てられるしあわせ、(夫ごめんね)
いちから家族の家をつくっていくしあわせ、(家買ったわけじゃないけど)
しみじみと噛み締めている。




雪絵 |MAILHOMEBLOG

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