コミュニケーション。
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2016年07月11日(月)





息子娘を産むときにはなかった不安と、ずっと闘っている。
無事に出産できるだろうかとか、
できても五体満足の健康な子だろうかとか(そうじゃないと育てられる自信がまったくない)、
こういう不安を持っていたほうがいいのか、
持たずに出会ったほうが辛いのか、まったくわからない。
前にも書いたけど、的中したからって何を許されるわけでも、軽減されるわけでもなし、
ないほうがいくらかいいような気がする。
ただまぁ、やはり、遠征はしないでおいてよかった、と思った。




超初期のころ、中絶や流産の経験談のサイトを回っていたのだけど、
そのころには見つけられなかったサイトを見つけた。
よその赤ちゃんがいなくなるのは、それは本当に辛くて気の毒で、
私は、散々中絶を考えたり、どうにかなっても泣けるかな、と思ったのに、
いざとなったら泣くのかな、次を望むのかな、
死んだ赤ちゃんはひとりだけなのに、と考えた。



しかし今私の不安は、無事生んでも障害があったら、と思ってしまうこと。
検査してもしなくても似たようなものだし、
障害なく生まれても、その子の一生を背負う責任が、私に果たせるのか、ということ。
障碍児を産む確率は年齢とともにどんどんあがるし、
後天的な障害だってあるし、それは上の子2人にも言えることだし、
そんなことを考えるストレスが半端ない。


だから多分、この妊娠がどういうかたちになっても。最後の妊娠だと思う。
私の器はそんなに大きくない。
上の子たち2人、そしてこの子、もうそれで私の限界だ。
限界を決めるのはよくないことなのかもしれないけど、
キャパ超えて破綻しては何の意味もない。




はい、全体的に考えすぎ。まだ31。
明日は14wになるはずなので、病院行ってきます。




雪絵 |MAILHOMEBLOG

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