コミュニケーション。
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2016年06月23日(木)




ブログに喧嘩の詳細を書き連ねていたんだけど、
旦那ばかり大事にして、(伝わっているかはまた別)
自分の幸せが後回しだから、知らず知らずストレス溜まってるのかもしれない。


ある意味、自分中心に生活はしている。
でも、だらけた意味ではなくて、きちんと自立する、
ってところからやらないと、他者を大事にしている気持ちも伝わらないらしいのだから。


車が、誰か乗せる予定もないと汚いままなのが悩みなんだけど、
心象風景とすれば納得もいく。
掃除をするということは、一番身近な、「自分を大事にする」なのかもしれない。




*****




前日の日記に「惚れた腫れたで全て解決させない」と書いたけど、
さっき、「夫に好きな人がいるのを直感したが、子どもが3人いるので別れようとは思わない」という文言を見て、考え込んだ。

…私は、そんな状態には、耐えられるだろうか…?

確かに、離婚になってもかまわないと考えているが、
今昼間になってよく考えたら、私は妊婦だから、
少なくとも生まれるまでは働けないな、ということに気づいて、
それまで親に世話になるのも悪いしな…という気にはなった。

だけどそれは、「離婚に同意しない夫」と、「外に女がいない夫」が在るからであって、
もしどちらかでもいなくなれば、何がなんでも離婚に向けて動くと思う。

標準体重まで浮気はOKとなっているのでまぁ浮気なら離婚まではできないと思うけど、
「好きな女がいる夫」「その女と思いが通じている夫」(肉体関係に限らず)に、
人格否定や過去に恩着せられて、意地でも壊れかけのタンスを捨てない!と言い張られたら、
離婚しない自信がない。
好きな女と暮らしたほうが幸せですよね?という話。



それこそ惚れた腫れたが、というより、子ども達から父親を奪えないということなのだろうか?
私もそれは今朝考えた。
子ども達はパパが大好きだ。
自分が我慢すれば、子ども達から父親を奪わずに済む。
もし子ども達とよく遊んでくれてよい影響を与えてくれるなら、それもいいかもしれない。

だけど単に「自分の理想の家庭像」から遠ざかるというだけなら、
「子どものために」とは、私は言いにくいような気がする。
私はふた親揃っていたけど、思春期に母親が倒れたのがでかかった。
シングルだろうが、両親揃ってようが、
ちゃんと育つところは育つし、ダメなところはダメ。

親が幸せじゃなきゃ、子どもも幸せにはなれない気がしてきた(笑顔に置き換えてもいい)。


逆に、浮気してようが、不倫してようが、公認で家族が笑顔なら、いい気もする。
私が浮気OKとするのは根底にそれがあるからだ。


あぁやっぱり。
個々の幸せを徹底的に追求する。
これしか、幸せへの近道はないのだ。



雪絵 |MAILHOMEBLOG

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