綿霧岩
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パソコンを手に入れたばかりで、わからないことだらけだ。 それでも表面的な操作の仕方は少しずつわかってきたけど、パソコンの中身がどうなっていて、何がおこなわれているのか、わたしは何も知らない。 一生知らないままかもしれない。
パソコンを前にしていると、もう何もしたくなくなっても、やることが思いつかなくなるくらい疲れても、なかなか電源を切るタイミングがつかめない。 もういいや、おしまい、と思っているのにいざ終了となると暗いなにかが心をよぎるのだ。 こちらの都合で、一方的にはい、さようならということがなんとなく憚られる。 まるで対人間だ。
本は違う。 本はもっとわたしのペースで開いたり閉じたりできる。 わたしがさよならと思えばそこでさよならだ。そこにはなんのあとくされもない。 本の中身は、たとえ未読であっても、そこに紙があって文字があることをわたしは知っているし、気軽に触ることができるからだろうか。 もう二度と開くことがなくても。 書かれている文字は変わることなくいつまでもそこにある。わたしが読もうが読むまいが。 きっと、だから安心してさよならできるのだ。
自分が知らないあいだに変わってしまうかもしれない、ほぼ確実に変わるであろういきものとさよならをするのは、パソコンの電源を切るときと少し似ている。
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