虚ろなる備忘録

3:理不尽な世界; 5:訪れるかな平穏; 7:すべてが虚ろになる;

2017年02月16日(木) 今日は通院日。

1ヶ月に1度の通院、2ヶ月に1度に比べりゃ楽じゃねぇ。


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 誰にでも理解できるような大きなストレッサがあるわけじゃないのに、それなのに何だか息切れしてきてしまうほど、疲れてしまっている。これから寝て、起きて。そして大学病院に向かう。考えただけで憂鬱になり、億劫になり、風呂に入れないだの、スキンケアも考えものになっちゃうだの、愛機を押し入れからせっかく出してきたのにそっと仕舞ってしまうだの、そもそも何もなかったことにしたくなるだの、兎に角雲行きは怪しい方、テンションは下がる一方。

 沢山の人に理解して欲しいと思ってきたことがあった。それを今になって、そんなものは土台、無理な話であると理解出来るようになってきた。理解して欲しい気持ち、それ自体は否定するものでもされるものでもないけれど、理解されるかされないかは、そもそも別次元の話である、と。
 そして、親しい友人であっても、「友人だから」という理由では理解してもらえないジャンルの話もあることをこの年になって知った。それは痛手ではあったが、だがしかし、「理解して欲しい」だなんて、そんなものはそもそも押し付けがましい要求なのだ。理解ってもらえたらラッキー、有り難い、恩に着ます、そんな感じなのだ。謙虚に、胸に秘めていなきゃいけないことも、沢山あるのだ。そんな当たり前のことも、友人に理解されないで、プラス暴言を吐かれた日から、悶々と過ごす日々が続いた後、どちらも例えば謝罪なるものなんてしないものだから、まともに相手をしない方が良いというアドバイスを受けて縁を切る方向に持っていっても、それでも言われた言葉が刺さってただつらい。でも、今1年以上経って思うのは、当時その友人は疲れていたみたいだったし(とても余裕があるようではなかった)、そもそも理解ってほしい僕のこと、なんてものがそう、そもそも押し付けがましい要求だったのだな、と、今では猛省せねばならなんことだと自戒している。

 そうだね、でも、もしよかったら、理解って欲しかったなぁ。その気持がない、その元友人には全然求めていないなんてことは、今でも言えやしないなぁ。

 その、「理解って欲しかったこと」を、今日は主治医にぶつけてみようと思う。あくまでも、謙虚に。主治医と言えど、相手は人生の先輩、そして何よりも社会人。お互いがもう、つらい思いをしないで済むように、今後の通院治療がもっとスムーズに進むように、そして何よりも他の道を模索できるように、様々な願いを込めて。主治医だからと言って、理解ってもらえるとは思っていない。10代の頃から通院しているのに、今の主治医が最も長く診てくれている(4,5年?)ことからもわかることは、本音をぶつける度、転院する羽目になったこの事実。ただ、今の主治医は他の医師と違って、僕と同じような症例の患者を他にも受け持っているからなのか、元々そっち方面の分野が得意なのか、順番は計りかねるが、兎に角僕を好意的に受け入れ続けてくれている、そんな信頼感がある人であるということ。そろそろ本音を話したいと、思うようになってきたのであった。さて結果はいかに。


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