虚ろなる備忘録

3:理不尽な世界; 5:訪れるかな平穏; 7:すべてが虚ろになる;

2015年06月21日(日) 今日も病気。

−20:25

 自分はクソの役にも立たないと思って落ち込む。特に昨日今日はつらくもないのにしなきゃいけないことを放棄してしまったからな……。生きるのに必要最低限のこともしたくない日って、他の人もよくあるのかな……。基本的な飲み食い、排泄さえ放棄したくなる。改めて書いてみると、もはや生きるのに抗っているとしか思えなくなったけど。なんか病気なのかなこれ。なんか病気っぽいな。
 自分ひとりだけだとなんだか嫌な理由は、自分だけではなんの証明もできない不安定さと不完全さに拍車がかかる気がするから。自分だけが思っていること認識していることというのは、客観的な証明のしようがない。自分が絶対に間違わないと言い切れない以上、その点でひとりは不安だ。確認厨としてはほんとに(自分だけが思っているなんて、孤高で素敵なことかもしれないけど)。

−21:21

「いつも何してるの?」っていう素朴な質問がいちばん苦手なことに気づく。もはや嫌悪。自分の問題の本質を突くからつらい。トイレも我慢してタグいじりをしていました、仕事でもなんでもないけどって答えなきゃいけないのが昨日と今日の有り様で。もっと暴露すれば僕は仕事をしたことがない。仕事のつらみも、金を稼ぐ意味もわからないでいながら、消費だけはいっちょまえにする。社会に出たことがないというのは問題なんじゃないだろうか。そんなことも実感できない。復帰する社会がない。出たことがないから帰るべき社会というのが存在しない。社会的な生き物に生まれた以上、こんなに惨めなことはないと思いながら身勝手に生きているふりも死んでいるふりもしてきた。夢は社会にでること……なのかもしれないけど、もう面倒くさくってこのままの方がいいような気がして困っている。社会との繋がりというか橋渡しというか、それは旦那氏がしてくれている。異常すぎる受け身さ。




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−23:00

 そんなことを社会人の友人に話したら、
「自慢か。羨ましい」という意外な返答と説教的なことをされて困惑している。「それを言えるのは限られた人だから」と。そうか、そうかもしれない。事実そう見える側面はあるし、事実事情と言える側面は彼には見えない。仮に事情があったとしても、彼に最初に言ったように、非社会人はどんな理由があるにせよ批判され叩かれる(べき)存在にしかなれない。自分でも言ってるように、働いたことがない、金のありがたみもきちんとわかっていない。そんなのは羨ましがられることだと自戒せよ、ということだ。
 自分が大きく間違っていた。言わなくていいことを言って反感を買った。ありとあらゆる意味で普通の感覚を持っていない自分を激しく責めている。


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