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2022年02月26日(土) それはかけがえのないものだから。

昼休みに同僚何人かで話していたときのこと。もうすぐ産休に入るスタッフに赤ちゃんの名前は決まったのと誰かが訊いたところ、「それがね、聞いてくださいよ」と彼女。
性別が判明する前から、女の子なら夫が、男の子なら彼女が名前を決めると話していたため、今回は夫に名づけを託すことになった。夫が提示した名前を彼女も気に入り、ずっとその名前でおなかに話しかけてきたのであるが、最近になってそれが夫が以前付き合っていた女性の名前であることが発覚したという。
「えーっ、なんでわかったの」
「共通の友だちがいて、『後からわかったらまずいんじゃないかと思って』って教えてくれたんです」
その友人は事実を伝えるべきか否か相当悩んだらしいが、彼女は教えてもらえて本当によかったと言う。
「知ったのが生まれてからだったら大変なことになってました。たぶん許せないと思いますから……。ふたりの子どもによその女の名前をつけるって、なに考えてるんでしょう」
夫は「未練があってのことではない。ああいう女性に育ってほしいと思っただけ」を理解してもらおうとして、昔の恋人がどんなにすてきな人だったかをとうとうと語ることとなり、さらに彼女を怒らせた。

この話を聞いて、妻であり母である同僚たちは容赦なかった。
「娘と元カノを重ね合わせてるわけ?娘を呼ぶたびに彼女が心をよぎるとか、気持ち悪すぎでしょ」
「未練のあるなしの問題じゃない。生理的に嫌。うちの娘の名前もだんなが決めたけど、もし昔の女の名前だったら死ぬまで根に持つわ」
「出生届を出す前で助かったね。改名なんて簡単にはできないし、もし後からわかったら離婚レベルの話だよ」

私もおおむね同意見である。取り返しがつかないとはこのことだろう。
どこかの市長が東京オリンピックのソフトボール選手の金メダルを噛み、すったもんだの末に新品と交換することになったとき、
「“表彰式でみんなと一緒に授与された”というエピソードが詰まったメダルはたったひとつなのに……。この人、まったく大変なことをしたもんだな」
と思ったが、子どもの名前だって同じ。それはわが子への最初の贈り物、“キズ”のないものに取り替えたら済むって話じゃない。
こんなことでモヤモヤしなくてはならないなんて本当に馬鹿げている。呼んだり書いたり、子どもの名前にもっとも多く接するのは母親なのに、こんな残酷なことがあるだろうか。
私だったら、名前以上に夫を取り替えたくなりそうだ。

同僚たちは「こんな侮辱はない」「ひどい裏切りだ」と妻の立場で夫を糾弾したが、私は子ども側のことも気にかかる。
小学生になったら、自分の名前の由来を調べるという宿題が出される。夫はどう答えるのだろう。
「ねえ、パパ。どうして私に遥香ってつけたの」
「“遥香”はね、パパが昔大好きだった女の人の名前なんだ。彼女のようにキレイで優しくて頭のいい人になってほしいっていう願いを込めたんだよ」
これを聞いて、うれしく思う子どもがいるんだろうか。
「えっ、ママかわいそう……」
父親を尊敬できなくなるどころか、嫌悪するようになるかもしれない。
「ママはいままでどんな気持ちで私を呼んできたんだろう。私の名前を目にするたび、苦痛を感じていたんじゃないか」
と母親に負い目を感じるようになっても不思議ではない。
「ふたりで一緒に考えて、ママも喜んでつけてくれた名前じゃなかったんだ……」
母親の心を傷つけているかもしれないと知っても、自分の名前を好きでいつづけられるものだろうか。

そのとき、あなたの大切な娘も傷つくんですよ、と私は言いたい。
由来をはぐらかさなければならないような名前をつけて、いったい誰を幸せにしようというのか。



まあ、こんなケースはまれだろうが、子どもの名づけで夫婦の意見が合わず、大揉めしたという話はよく聞く。私自身、それが予測できたため、子どもはいらないと長いあいだ思っていたクチだ。
名づけをめぐっての夫婦のいざこざは、結婚生活における最初の関門だと思う。
それはかけがえのないもの。同僚の娘が将来、「両親の愛情を感じられるから好き」と言える名前をつけてもらえることを願っている。

【あとがき】
もし私が昔の恋人から「娘に君の名前をつけたんだ」と言われたら、「それを知ったとき、妻や娘がどんな気持ちになるか考えなかったの。どんなに傷つくかわからないの」と怒りますね。
そして、とてもがっかりするだろうな。こんな思いやりのない、無神経な人だったのかって。