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2022年02月13日(日) 利き手の壁

昼食の配膳中、「お箸ください」と声がかかった。
「出してませんでしたか、すみません」
ふと顔を見ると、初めましての患者さんだ。
言葉がたどたどしく、右半身に麻痺があるよう。そうだ、朝の申し送りで十時入院の患者には脳梗塞の既往があると言っていたっけ。
担当の看護師は右手が使えないなら箸は無理だろうと思い、スプーンとフォークしか用意していなかったのかもしれない。

割り箸を割ってトレイに置くと、その人は慣れた様子で左手に持った。そして、カボチャのいとこ煮の小豆を難なくつまむと、口に運んだ。
その動きはなめらかで、後遺症で右手を使えなくなってから訓練して左手で箸を持つようになったという感じではない。私はつい訊いてしまった。
「左利きですか」
「そうなの。『みっともない』って親に矯正されてずっと右手で生活してきたけど、利き手は左。右がだめになっても左が使えるから、助かってる」
驚いた。
右手でものを食べたり字を書いたりするようになったら、利き手は右に変わるのだと思っていた。でも、「箸や鉛筆を持つ手=利き手」というわけではないんだなあ。



こういうことでもないと利き手について改めて考えることがないが、たしかに社会は右利きをスタンダードとして、身の回りのあらゆるものが右利きにとって都合のいいように設計されている。
たとえば、たいていの電化製品の操作パネルは右側にある。パソコンのテンキーもキーボードの右端。これを左手で打つのは至難の業だ。
公衆電話の受話器が左にあるのも、右利きの人がそれを持った状態でボタンを押したり会話中にメモを取ったりしやすいようにだ。そうそう、むかしの黒電話のダイヤルも右利きが回しやすいように時計回りだったっけ。
レストランに行けば皿の右側にナイフ、左側にフォーク。左利きでもカトラリーは入れ替えずに使うのがマナーだけれど、もし私が利き手でないほうの手でステーキを切ろうとしたら、たぶん大恥をかく。

左利きになったつもりで台所に立ってみたら、ちょっとしたショックの連続だ。
片手鍋を左手で持ち、中のものをザルにあけようとしたら、あら不思議。いつもは手前にくる注ぎ口があちら側にいってしまったではないか。持ち手のついた計量カップもしかり。どうすりゃいいの。
片刃の包丁を左手で握ると刃がなくなる。ミトンは本来なら手の甲にくる側を手の平側にしてはめなくてはならず、デザインが台無しに。
急須でお茶を淹れられない。コーヒーなら問題ないでしょと思ったら、マグカップのイラストが向こうを向いてしまった……。
ふだん当たり前に使っているものが左手に持ち替えた途端、こんなに不便になったり機能しなくなったりするとは。

ところで、先日読んだ読売新聞の記事によると、「近年、左利きが個性として認められるようになってきたため、矯正せずに育てることが増えてきた」そうだ。
同僚も小学生の息子に「お箸を持つのは右手でしょ」などと言ったことは一度もないという。
「べつに左のままでいいよ。スポーツするなら有利だし」
とあっけらかんとしている。
私が子どもの頃、大人たちは子どもの左利きをなんとかしようと躍起になった。それは「悪癖」で、直さないのはしつけが悪いとみなされたからだ。親だけでなく幼稚園や小学校の先生まで「鉛筆はこっちの手じゃない」と容赦なく叱った。
でも、もうそういう時代ではない。

そんな話を職場で何人かとしていたら、若いドクターが言った。
「でも、僕は矯正してもらって親に感謝してますよ」
へえ、どうしてですか。
「医療器具は左利きでも右手で扱わなきゃならないんですよ。高価な左利き用を置いてくれてる病院なんてないですからね。指導してくれる先輩もみんな右利きだし。うちの親も医者だから、左利きのままだと僕が将来苦労するとわかっていたんでしょう」
なるほどなあと頷いた。
たとえば、オペ室。器械出し看護師(ドラマで医師に「メス!」と言われて手渡す人ね)をはじめとするスタッフや医療機器の配置は右利き前提である。ラーメン屋のカウンターで隣の客と肘が当たっても「すみません」で済むが、オペ中にスタッフや機材と手がぶつかるようなことがあったら大変だ。
右利き用の器具を不自由なく扱えなければ針刺しや切創事故のリスクが高まるし、それ以前にオペができない。右手を利き手と同じレベルで使えるようにならなければ、少なくとも外科医としてはやっていけないのだろう。

そう考えると、左利きの人が料理人を目指す場合にもおそらく同じ壁が立ちはだかる。
厨房にある包丁やハサミといった調理器具はやはり右利き用。料理もオペと同じように何人かで作業をするが、その動線は左利きにとっては逆だ。教わるときも、右利きによるお手本を左右反転させて自分仕様に変換するというプロセスが必要となる。
左利きを貫くのは並大抵のことではなさそうだ。



その子らしさとして左利きのまま育てるのも親心、将来を考えて右手を使えるよう育てるのも親心。
今後も右利き社会はつづく。でも、九割の人が右利きだからといって「右利きが正しい」わけではない、ということにもっと多くの人が気づけば、「矯正」という言葉は使われなくなるだろう。

【あとがき】
左利きの人から「ピアノで困った」という話を聞いたことがあります。
「弦楽器ならわかるけど、ピアノには右利きも左利きもないんじゃないの?」と思ったら、左利きの人は左手のほうが筋力があるため、右手より左手の音が大きくなってしまうのだ、と。なるほど、メロディー(右手)より伴奏(左手)のほうが目立ってしまうのはちょっとまずい。
右利きには思いも寄らない不便や困惑が生活の中にたくさんあるのだろうな、と思ったのでした。