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2021年08月16日(月) ペットを理由に仕事を休めるか

夜勤明け、ナースステーションで朝の点滴準備をしていたら電話が鳴った。
この時間にかかってくる外線はたいていスタッフからの急な欠勤の連絡だ。私が手を離せないのを見て、早めに出勤していた日勤の看護師が電話を取ってくれたのであるが、途中から相槌のトーンが変わったので、ちょっと気になった。
それはほかの同僚も同じだったとみえ、彼女が電話を切ると「誰から?なんだって?」と声が飛んだ。
「Aさんが、今日休むって」
「どうしたの、体調不良?」
「そう。……猫がね」

飼い猫を病院に連れて行くため急遽休ませてほしいという内容だったらしい。が、みなにそれを伝える口調から、「ペットのことで休むってどうなの」という彼女の不満が透けて見えた。
誰かが休めばその人が受け持つ予定だった患者はほかのスタッフに振り分けられる。そうでなくても忙しいのに、さらに負担を増やされるのはきつい。それが納得のいかない理由だと、カチンとくるというものだ。
「気持ちはわかるけど、正直、現場は困るよね」
「子どもが具合悪いっていうのとは違うからね」
「ちょっとびっくり。甘いんじゃないかなあ……」
とささやく声が聞こえた。

帰り道、私がAさんの立場だったらどうしただろうと考えた。
仕事を休んで病気のペットを病院に連れて行くかどうか、ではない。次の休みまで受診を待てそうになければ、連れて行くに決まっている。逆に言うと、自分の代わりをできる人がいないとか自身がペットを理由に休むことに抵抗があるとかで、そういうときでも仕事は休めない、休まないという人はペットを飼うべきでないと思う。
私はこれまでに二匹の猫を看取ったが、今日か明日かという状況でも休まなかったのは、日中も彼らを見ていてくれる家族がおり、ひとりで逝かせることはないと思えたからだ。
職場に迷惑をかけたくない。でも苦しむペットを一匹で家に置いておくことはできない。しかし、それがたびたびとなると仕事に支障が出る……。
その葛藤にさいなまれるのがわかっているから、彼女のように一人暮らしだったら、私はペットと暮らすことはあきらめていただろう。

私が「もし自分だったら?」を考えたのは、欠勤理由についてだ。
飼い猫を受診させるためと聞いて、何人かが「そういうのってありなんだ?」と顔を見合わせ、ナースステーションにもやもやした空気が流れた。が、それは無理もない。
「ペットを飼う」というのは、他人からしたら趣味のようなものだろう。飼い主にとっては子ども同然の存在でも、職場の人には「そうは言っても犬猫」である。
先日読売新聞で、「ペット忌引やペット休暇、ペットが病気のときには一緒に出勤できる制度などを福利厚生で導入する企業が増えてきている」という記事を読んだが、大半の職場ではペットの体調不良は「だったら休んでもしかたがないね」と思ってもらえる理由にはならない。
だから、私なら「ペットを病院に連れて行くため」とは言わない。
Aさんは嘘をつくのをよしとしなかったのかもしれない。しかし私はむしろ、正直に話して「そんなことでこちらの仕事が増えるのか。あー、バカバカしい」という気持ちにさせるほうが心苦しい。理由がなんであれ、同僚にかけてしまう負担の量は変わらない。ならば、「家族の急病で受診に付き添う」でいいんじゃないか。



家で飼っているペットの写真を病室に飾っている患者はめずらしくない。
ある患者が「犬が危篤だと家族から連絡があった。ひと目会いたい」と涙ながらに訴えたとき、担当の看護師は「オペが控えているし、点滴中だし、外泊なんて無理です。ご自分の体とどっちが大事なんですか」と困惑していたが、主治医からあっさり許可が出た。
「僕はペットを飼ったことがないけど、十八年も一緒に暮らしてたら、もう完全に家族でしょう。最後に悔いが残ったら、これからの入院生活がんばろう、元気になろうってきっと思えないよね」

「ペットは家族なんです、だから今日は仕事を休ませて」を理解して、というのは求めすぎだと思っている。でも、ドクターのこの言葉はうれしかった。

【あとがき】
朝家を出るとき、猫の頭をなでながら「今日もがんばって、あんたたちのごはん代かせいでくるよー」と言うことがありますが、あながち冗談ではありません。私にとって彼らはれっきとした扶養家族。「子どもと同等」にはならないけれど、守るべき存在です。
でも、そういう思いは人前では出しません。以前、年賀状の差出人欄にペットの名前が並んでいたことにドン引きしたという人がいて、「ペットも家族の一員」は家庭外では通用しないとあらためて思ったことがあります。