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2012年01月31日(火) お人好し

買い物の荷物を車に積もうとして、助手席側のドアに十数センチの赤い縦線が入っているのに気づいた。
なんだろう、これ?指でこすってみると、わずかにへこんでいるのがわかった。
あっ……。やられたー!
左隣に車は停まっておらず、天井を見渡したが防犯カメラもない。なすすべなく帰宅し、駐車場でドアパンチされてしまったと母に謝った。
すると、「ああ、違うよ。その傷は……」と母。
話によるとこうだ。その日の午前中ホームセンターに出かけ、父の買い物が終わるのを運転席で待っていたら、左隣の車の持ち主が戻ってきた。その車は駐車スペースの枠の中でえらく斜めにゆがんだ状態で停められており、こんな停め方をするのはどんな人なんだろうと思っていたら、自分と同じくらいの年の女性だった。……とその瞬間、ガツッ!と音がした。
あわてて外に出、助手席側に回ると案の定ドアに傷がついている。運転席に乗り込もうとしていたその女性に「当たっちゃいましたね」と声をかけると、思いがけない言葉が返ってきた。
「なに言うとん、言いがかりつけんといて!」
言いがかりって、あなたの車の塗料がここにばっちりついているじゃないの。
しかし、母はその剣幕に怯み、とっさに言い返すことができなかった。女性は平然と車に乗り、走り去ったそうだ。

「でも、その人とおんなじくらい腹が立つんはお父さんよ」
車に戻ってきた父にたったいま起こったことを話したのだが、なんのコメントも返ってこなかったという。
「そうよね、お父さん?」といまいましげに目をやると、父は自分はその場におらずやりとりを見ていなかったから……と弁解したが、「それでもね、とんでもないなとか、なんておばさんだとか、その程度の感想もないなんて」と母は思ったわけだ。
「まあ、思ったことをよう言わん人やから、その場におったっておんなじことやったやろうけど。なんでも事なかれで済ませたいもんやから、誰かになんか言うくらいなら自分が我慢して損なほうを取ったほうが気が楽なんよ、この人は」
たしかに父にはそういうところがある。住宅街の中の細い道を徐行しながら何メートルか進んだところで、前方に左折で進入してこようとする車の頭が見えた。そのとたん、父が「下がれ、下がれ」。
もちろん、あちらの車が私たちが通り抜けるのを待っていてくれたのだが、この状況で反射的に自分が下がろうとしてしまう父のお人好し具合というか気の小ささというかは日常のいろいろな場面で見られ、私はそのたび歯がゆくなるのだ。
だから、話を聞いて一緒に憤慨してほしかった母の、父に対する憤懣や落胆はとてもよくわかる。

しかしながら、そういう母だって私の目には十分、波風を怖れる平和主義の人なのだ。
ドアをぶつけた女性の態度は予想外のものでそりゃあ驚いただろうが、だからといって黙って行かせてしまうなんて考えられない。「お待ちなさいよ!」くらい言えなかったのか。
私なら傷の位置と相手のドアの当たった部分の高さを確かめ、それでもなお認めないなら警察の人に検証をお願いする。もし修理に出すほどのこともないかと思う程度の傷だったとしても、その不注意と言いがかり発言を謝罪していただく。当然である。
が、母は言う。
「でもお母さんも悪かったんよ。そんな乱暴な停め方をする人やからやることもがさつかもしれんって、想像せんといかんかったよね。店の入り口に近いからって、なんも考えんとそこに停めてしまったもんやから……」
ならぬ堪忍をするために自分に落ち度を探し、「だからしかたがないのだ」と無理やり納得しようとする------お人好しもいいところだ。悔いの残る対処をしてしまったときはいさぎよく、「なんで『じゃあこの赤い塗料はなんなんですかっ』って言い返せなかったんだろう!あー、悔しい」と地団駄を踏むほうが健全だ。

先日、できあがったばかりの写真を一枚一枚見ていた妹が、「おねえちゃん、すごい服持ってんなあ……」と感に堪えぬようにつぶやいたのでどれどれと覗き込んだら、玉虫色のワンピースを着て微笑む私が写っていた。
「なにこれ、こんな趣味の悪い服、持ってないわ」
紺色がどうしてこんな色になるのか。確認するとほかにも色がおかしいものが何枚もあり、それ以外にも全体がぼんやりして輪郭がはっきりしていないものや液が垂れたような跡がついたものなど、なにこれ?な写真がかなり見つかった。
そこで、不具合があると思われるものを寄り分け、写真屋に持って行って焼き直してもらおうとしたところ、母が待ったをかけた。
「三割引っていうから頼んでみたけど、安いのにはやっぱり理由があるのよね。値段につられたこっちも悪いんだし、今回はいい勉強になったと思うことにしようよ」
価格が三割引になったら、品質も三割引になるというのか。四千円も出して、どうしてこんな写真をアルバムに貼らなくちゃならないの。
いや、金額の問題ではない。
飲み会の席で、百円ショップで買ったものが不良品だった場合、店に言うか否かで盛り上がったことがある。そのとき、「言わない」と答えた人のほうが多く、いつも迷わず返品か交換をしてもらいに行く私は驚いた。
そうしないのが「電話をしたり店に行ったりが面倒」という理由ならわかるのだが、「たかだか百円でしょう。わざわざ言いに行くのって見苦しい気がして」とか「品質がいいわけないとわかっていて百均で買ったんだから、自己責任ってとこもあるし」には、えー?という感じ。「壊れていたので、取り替えてください」というだけのことなのに、なにをためらうのかよくわからない。
百円の値がついているのはその品に百円の価値が存在するからであり、不良品であるならゼロ円である。「安かろう悪かろう」というが、破損していて使えないというのは品質の良し悪し以前の話だ。
店にとっても、客が百円ショップで買ったことを自分の“落ち度”とし、「安物買いの銭失いとはこのことね」と納得してしまうのは決してありがたいことではないだろう。

「クレームをつけるのが苦手で、彼女の機嫌が悪くなります。満足に怒ることもできない僕を男らしくないと感じているようです。期待に添えるようがんばってみるのですが、うまくいきません。どうしたらよいのでしょうか」
という男性の悩み相談を読んだことがある。
その日も男性のクレーム電話を隣で聞いてから口を利いてくれなくなったそうで、回答の多くは「クレームをつけるときに怒ったり感情的になったりするのは賢いやり方ではなく、彼女の機嫌を損ねまいとそのように苦情を言う努力をする必要などない」というものだった。
しかし、私は別のことを考えていた。相談者の男性も回答者も大きな勘違いをしているのではないだろうか。
ほとんどの回答が彼女に批判的だったが、彼女はなにも声を荒げてクレームをつけてほしいと思っているわけではない、と私は思う。彼女が不機嫌になるのは男性が強い口調で相手を責め立てないからではなく、毅然とした態度で言うべきことを言えないから、なのだ。彼の度胸のなさ、自信のなさ、不器用さをまざまざと見せられて悲しくなるのだ。
この場面で気後れして、あるいは相手に遠慮して、はっきりものが言えない人はほかのことでもそうだろう。会社で上司に意見したり会議で発言したりできるだろうか。彼女はそういう人を選んだ自分にもまた腹が立つのかもしれない。

人と人が関われば、摩擦が起きるのは当たり前。お人好しだって怒るべきときは怒り、物申すべきときは物申さなくっちゃ。

【あとがき】
ドアパンチの女性ですが、傷をつけたのがもしうちの夫の車だったら……大変なことになっていましたね。夫はクルマを宝物のように大事にしていて、ホイールに一センチの傷を見つけても修理に出す人。なおかつ、相手が誰でも言うべきときには言うべきことを言う人なので、「言いがかり」なんて言われたら大騒動になるのは必至……おそろしい。