過去ログ一覧前回次回


2007年06月15日(金) ないものねだり

一昨日の毎日新聞の投書欄に三十代の主婦の文章が載っていた。
同い年の知り合いの女性は既婚だけれどバリバリのキャリアウーマン。子どもがいないためか化粧やファッションにも手をかけていて、見るからに自立した女性という感じ。一方、自分は子どもの世話に追われ、おしゃれどころではない生活。
「私も子どもを作っていなかったら仕事を続けていられただろう。その分、趣味でスポーツをしたり夫と旅行をしたりという楽しみもあっただろう」
かぎっ子にしたくないという思いから専業主婦を選択したことは後悔していない。息子たちも可愛く、いまの暮らしに不満はない。それなのに彼女に嫉妬せずにいられない------という内容だ。

私は「これを読んだら『まったく勝手なこと言って!』と息巻くだろうなあ」と思いながら、友人A子を思い浮かべた。旅行代理店で企画を担当している独身女性であるが、以前彼女からこんな話を聞いたことがあるのだ。
根っからの旅行好きに加え、仕事にプラスになることもあって長期休暇のたびに海外に出かける彼女を見て、あるとき既婚の友人が言った。
「年に三回も海外に行けるなんて優雅よねえ。子どもがいたら、ちょっと友達とごはんってことすらできないんだよ。あー、私も慌てて結婚しないでもっと独身生活を謳歌すればよかった!」
「うらやましい」を連発されて、A子はむっとしたという。
「こういうことを言う人ってときどきおるけど、じゃあ毎日のように終電で真っ暗な部屋に帰ったり、深夜スーパーで買った弁当を一人きりで食べたりすることもうらやましいかって訊きたい。もし病気になったら?とか、老後はどうなる?とか、私は私で夫や子どものおる人にはない不安や悩みを抱えてるんや」
A子はこれまでに二度も会社が倒産するという憂き目に遭っている。「もしかしたら私は結婚できないかもしれない。一生働くのなら好きな仕事をしていたい」とアルバイトをして食いつなぎながら旅行業界での再就職をあきらめなかった。男も女もない仕事をしているだけに精神的にもきつい。ストレスから一人でカラオケボックスに通う時期もあったというし、真夜中に電話がかかってきて「いま帰ってきた。私、もう頑張られへん……」と泣かれたことも何度かある。
私はそんな彼女を知っているだけに「優雅なご身分ね」なんてぜったいに言えない。「オイシイとこだけ見て人のことお気楽モンみたいに言うんは失礼や」という憤りがとてもよくわかる。

けれども、A子が本当に腹立たしく思うのは「こっちの苦労も知らないのにうらやましいと言わないで」ということではないという。
「ほんまにうらやましいと思うんやったらやり直したらええやん。それをせえへんってことは本気じゃないってことなんよ、つまりはただのないものねだり。私、そういうのって図々しいと思う」
たしかにそうだなと思った。
自分がいまいる場所はたったひとつの決断や偶然によって与えられたものではない。瑣末なチョイスが何百、何千と積み重なった結果である。
そしてそのチョイスの大半は誰に強制されたわけでない、自分自身の意思によるもの。結婚を決めたのが自分なら、子どもを作ったのも自分。人生の舵取りは自分の手でしか行えないのだ。
が、それは言い換えれば、“船頭”の気持ち次第でどこへなと船を運ぶことができるということである。ぶちぶちと愚痴を言いながらもその場所から動こうとしないということは、結局は現状に納得しているということだろう。

とはいうものの、人生がある程度まで進むと来た道をそう簡単に引き返したり取り替えたりできないこともたしかである。……それならば。
阿川佐和子さんのエッセイに、「結婚しない十得、子どものいない十得」という話がある。夫や子どもがいないことをくよくよ考えるといくらでも寂しくなってしまうけれど、「この、身軽な自分だからこそできることがたくさんある」ことに目を向けてプラス思考で生きていきたいと書いている。
他人は実物以上によく見えるものなのだ。あれがない、これがないと自分に足りないものを探し出してわが身を嘆くのではなく、いまあるものに感謝し、その中に楽しみや幸せを見い出せる人はすてきだなと思う。
……え、そんなふうにはどうしてもなれないって?
ならば、人生を変えるしかない。

【あとがき】
……ん?なんかここんとこ、同じようなテーマの話が続いているな。どうしたんだろ。